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人事部付 真田雪乃の議事録<3-3 大事なことは、もう書いてある>

前回までのあらすじ
川端部長のセクハラが社内で噂になっていた。その発端は、雪乃の同期・芹沢結衣だった。
結衣は自身の容姿ゆえに人と本音で向き合えないことに長年悩んでおり、川端部長から投げかけられる容姿や恋愛の話題に、ずっと苦しんでいた。
「ただ、やめてほしい」——そんなささやかな願いから告発したものの、想像以上に事態が広がり、結衣は罪悪感を抱えていた。
追い詰められた彼女が助けを求めたのは、これまでほとんど話したことのない同期、真田雪乃だった——。
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第三章 欠けたところを満たすもの

第三話 大事なことは、もう書いてある

結衣は、途中言葉に詰まりつつ、順番を前後させながら、これまで自分に起こったことのすべてを話した。

いつも真ん中のテーブルで素早い会話を交わし合っているとは思えない結衣の苦しそうな独白に、雪乃は胸がジクジクと痛んだ。こんな苦しい思いを抱えながらも、朗らかに過ごしているのだ。

そして、自分を顧みて反省した。

もし、結衣の高校の時の友達だったら…普段は仲良くしていてもナンパ師にあんな対応をされたら…同じように、結衣に当たってしまうかもしれない。同じ部署だったら、その容姿を羨ましく思って、軽口を叩いてしまっていたかもしれない。

もしかしたら、同じような立場の人に、同じようなことをしていたかもしれない。

結衣が気遣わしげに言った。
「あ…ごめん、コーヒー冷めちゃったよね…飲んでくれててよかったのに」

雪乃は人の話をじっくり聞いていると、注文が来ていても食べたり飲んだりすることができない。ながら聞きのようで失礼だ…と思っているというわけではなく、ただただ、どのタイミングで口をつければ良いのか分からなくなってしまうのだ。

「ううん…大丈夫。あの…どうして、私に話してくれたの?」

この話は…人を選ぶ、と雪乃は感じた。

打ち明けてくれたことは、確かに嬉しい。しかし、結衣の話にあったように、相手を間違えると、自慢やマウントと捉えられかねない。それを、同期ではあるもののあまり接点のなかった雪乃を話し相手に選ぶのは、あまりにもリスクが大きすぎるのではないか。普段同期会で話している人の方が、幾分か理解は深いのではないか…と、雪乃はどうしても思ってしまう。

「この前…社員総会の後だったかな…?同期会の時…聞こえちゃったんだよね」
「え…何が?」
「直哉くんの話。MVPを受賞した直哉くんの悩みが端っこのテーブルから聞こえてきて、ごめんだけど盗み聞きしちゃった」

数ヶ月前のことだ。星原直哉は仲介営業でMVPを取ったものの、お客さんの信頼を得られず、自分はMVPに値しないのだと悩んでいた。直哉の悩みから派生して、「選ばれる」という指標について茉莉也や直哉と話しあったことを懐かしく思い出した。あの時から直哉は同期会で、端っこのテーブルにいるようになり、雪乃、茉莉也、直哉の三人で近況を話し合う存在となっている。

「正直…私から見て、気にするほどじゃないじゃん、贅沢な悩みだな、賞取ったんだから堂々としとけよ…って、そんな風に思ってた。でも、ユッキーは、絶対にそんなこと口にしなくて、直哉くんの悩みを悩みとして捉えて…それで、私も気づいたんだ。自分が思われたくないことを、直哉くんに思ってんじゃんって」
「そんな…」
「ユッキーはすごいなって思って…ユッキーなら、聞いてくれるかもって、思ったんだ。ほんと、ごめんね」

普通のことをしていただけなのに、すごい、と言われて雪乃は、多少困惑してしまう。結衣の悩みだって、悩んでいるのだから贅沢ではないはずだ。贅沢な悩みってなんだろう…?それは、雪乃には想像がつかないものだった。それでも、ちゃんと話したことのない結衣が、わざわざ電話をかけてきてくれて、話してくれて…なんとかしてあげたい、そう思った。

「ありがとう…話してくれて」
すると、結衣が俯きながら、言った。
「実はさ、本当は…ずっと、思ってたんだけど」

「どうしたの?」
「本当は、同期会でも、ユッキーたちと同じテーブルにいたいんだよね」

雪乃は少し驚いたけれども、こうして心の内側を知ることができた今、結衣とはじっくり話す方が向いているのではないかと感じた。

「全然、おいでよ。いつでも…直哉がハーレム状態にはなっちゃうけど」
「羨ましいなあ、直哉くん。美女3人に囲まれて」

直哉が顔を赤らめている様子を想像して、二人でクスクスと笑った。

結衣の清々しい表情を見て、彼女は少しだけ荷物を下ろせたのではないか…雪乃は安堵した。

しかし結衣の問題は、まだ全然解決していない。
こんな時、何をしてあげたらいいのだろう。

雪乃一人で、全てを解決できるとは思わない。
でも…誰かの力を借りれば。

「ちょっとごめんね」

雪乃は持っていたモレスキンのノート、通称「議事録」を取り出した。
上司からの業務依頼、心に残った言葉…全てこのノートに書いてきた。
時々、困った時にこのノートを見直すと、すでに書かれた言葉が助けてくれるようになった。

大事なことはすべて、このノートに書いてある。

結衣が反応した。
「あ、モレスキンだ。使いやすい?」
見てすぐにモレスキンだと分かるのは、文房具好きなのかもしれない。

「うん。なんでもここに書いてる…時々前書いたこと読み返すとね、結構役に立ったりするんだよね…」

ノートのページをパラパラとめくっていたら、以前夏目エリア長と営業同行した時の走り書きが出てきた。

「営業同行したの?なんでもやるんだねーユッキーは」
「そうそう、たまたまだけど結構勉強になったんだよー。例えばね…」

ページの片隅に、斜めに書いてある、走り書きの文字をなぞった。

あなたは自由ですよ、これから何をしたいですか?

夏目エリア長の印象に残ったセリフがそのまま書いてあった。

「すごい、やっぱりエリア長って、かっこいいなあ…」
「でしょう、すごいかっこよかった。なかなか、お部屋が決まらなかったお客さんがいて…それで…でも、その一言でね、一気に流れ変わった」

「なんか人生だなあ…そうだよね。本当は、自由なんだよね…」

結衣は、少し上を見上げていた。
自由、という言葉…。

実のところ、エリア長から聞いた時は、良い言葉だと思いつつも、あまり雪乃自身に響いていなかった。

自由なんて、今の日本、今の時代で、自明のことだ。
支配もされていない。就職という大きな選択からお昼ご飯は何を食べているか、という小さな選択まで、自分で選択して決めている。

そんな中、自由だと思えていない人がいる。
今目の前にいる結衣は、その顔立ちから発生する、周りからの声が檻となって、人との対話を封じられていた。

もし、その檻を感じなくていいとするならば…
その檻は、ただの幻想に過ぎないとするならば…

「結衣ちゃんは…どうする…?」
雪乃は、声に出してしまっていることに気づいた。

結衣は、再び雪乃に向き直った。
「私、まずは自分の問題を解決する。そのために…ちょっと協力してほしいことがあるの……いいかな?」

雪乃は次の日、席に座る上杉部長に近づいて身を屈ませた。

「上杉部長…!少しお時間いいですか…?」
「どうしたんだい?そんな小声で…?」
「川端部長のことで…!」

上杉部長は全て察したように頷いて、「場所を変えよう」と言った。
最初からそうすれば良かった、と反省しながら上杉部長の背中についていく。

執務室を出て、「応接室3」と書かれた四人がけの小部屋に向かい合わせに座った。面接など、社外の来客が優先されることを前提に、社内の面談でも10分以内なら使っていいことになっている。

雪乃は、実はこの応接室で上杉部長と向かい合うのは初めてで、いつも話しているのに緊張を覚えた。肩幅が広くて丸く、かつてラグビーなどをやっていたようながっしりとした見た目だ。40代ぐらいに見えるが、本当は何歳なんだろう。どうして、ここで人事部長をしているのだろう。

1年半も上杉部長の下で働いているのに、個人的なことは一度も聞いたことがなかった。

とはいえここで長話はできない。
雪乃は本題を切り出した。
「あの…川端部長のセクハラの噂…聞きました」
「ああ…噂にするつもりはなかったんだけど…もちろん私も知っている」

あくまでも上杉部長は冷静な表情だったが、ほんの少しの痛切さが滲んでいた。雪乃は、結衣からの「頼み事」を切り出した。

「それで、その…川端部長と話したいんです。上杉部長と、私と、あと…当事者の、芹沢結衣さんと」

上杉部長が雪乃の方を見た。
「それは…芹沢さんが、望んでることなのかい?」
「そうです。私、彼女と話しました。それで、川端部長と話したいと」

そう言うと、部長は頬を緩めた。
「そっか、わかった。なんか…彼女らしいな」

(第三章第四話へ続く)

#創作大賞2025 #お仕事小説部門


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