人事部付 真田雪乃の議事録<3-1 鳴いてたらやっぱりうるさいホトトギス>
第三章のあらすじ
シロヤマ・コーポレーション本社の給湯室では、雪乃が勝手に“ホトトギス”と呼んでいた三人組の女性たちが、今日も噂話に花を咲かせていた。人事部付の真田雪乃はその様子にうんざりしながらも、黙々と山積みの業務をこなしていた。
そんな中、ホトトギスたちが漏らした“川端部長がセクハラで訴えられた”という噂に動揺する雪乃。さらにその直後、同期の芹沢結衣から「話したいことがある」と呼び出される。会社近くの喫茶店で結衣が明かしたのは、自らがその通報者であるという事実だった――。
騒がしい噂と対照的に、こっそりと明かされる事実。
雪乃は同期は声に耳を傾けた。
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第三章 欠けたところを満たすもの
第一話 鳴いてたらやっぱりうるさいホトトギス
「…嘘でしょ…!」
「……まあねぇ…最近はさ…」
「…….わかる!うちでもね…ダンナが…」
給湯室がいつにも増して騒がしい。
また、「ホトトギス」か…と雪乃はため息をついた。
本社の給湯室には、いつも決まった三人の女性が集まっている。
雪乃は会社の人に対してあまり嫌悪感を覚えることはないのだが、この人たちだけはどうしても好きになれない。
業務時間だというのに、必ず集まっては誰かの噂話をして、盛り上がっている。雪乃の席にも聞こえてくる会話の断片を耳が勝手に拾い、「誰のことだろう…」と思ってしまう自分も嫌になる。
雪乃は先日、この三人の名前を知った。
織部さん、豊川さん、徳永さん…というらしい。偶然にも、戦国時代に天下を争った武将の名前に似ているではないか。
そして、たびたび給湯室という止まり木で囀っている。
そういうわけで、雪乃は心のうちで「ホトトギス」と名付けた。
我ながら、なかなか上手いと思っている。「面白ワードを考えれば、なんでも乗り越えられる…」というのは南花営業所にいる同期、丸田茉莉也の知恵だ。
しかし、ホトトギスと名付けたところで、彼女たちのさえずりは止まらない。
(あの人たちは、忙しくないのだろうか…)
営業所を訪れた時の、皆の忙しなさを目の当たりにした後、本社ではこのように談笑しても仕事が成り立っていることを不思議に思ってしまう。
ただ、いつまでも気を散らしているわけにもいかない。雪乃自身も、忙しいのだ。
相変わらず人事部付の雪乃は、人事部を中心に部署からこぼれ落ちそうな依頼に対応する存在となっていた。
モレスキンのノートを開いて、依頼の優先順位を確認する。
依頼リスト
人事部 上杉部長より
・新卒採用パンフレットの文言チェック
・健康診断アンケート集計・未提出者へのリマインド
・評価システムの入力ミス確認と修正依頼のとりまとめ
・「ハラスメント講習」受講状況の確認と未受講者への案内
事務部 前田部長より
・勤怠システムの更新履歴チェック
・各営業所の文具・コピー用紙の在庫集計と次月発注調整
・社内マニュアルの体裁修正
・管理物件の空室率のまとめ
建物管理部 川端部長より
・管理物件の更新情報を各営業所とデータで共有するためのまとめ
・修繕・工事履歴のファイル整理
・内装業者との対応履歴のチェック
・オーナー別の要望メモ・対応履歴のデータベース化
依頼する方は誰もが「急ぎじゃない」と言ってくるが、急ぎじゃない仕事もこんなに溜まってくると、急かされているような気分になってしまう。一つ一つ、優先順位をつけて片付けなければならない。
PC画面を睨みつけていると、「真田さん、ちょっとこっち!」と給湯室から声がした。ホトトギスの一員、織部さんだ。
こうして呼ばれると、給湯室にある備品の不足を指摘されることもあるので、行かざるを得ない。うんざりした気持ちで給湯室に向かった。
ホトトギスの3人はいつもより興奮して話していた。こういう時の雰囲気を雪乃は知っていた。きっと、何か新しい情報を得たのだろう。
「どうされましたか…?」
「ねえねえ、真田さん、知ってる?大スクープよ!」
「えっ?」
雪乃にはなんのことかさっぱりわからない。
戸惑っていると、豊川さんが声を落として言った。
「川端部長…セクハラで訴えられたんだって!」
「えっ!川端部長が?」
雪乃は思わず大きな声を出してしまう。
「ちょっと、声が大きいわよ!これは秘密なんだからね!」
「失礼しました…でも、どうして皆さんがご存知なんですか…?」
「この前、社長室から出てきた川端部長がしょんぼりしてたのよ!それで秘書の女の子にお菓子渡してけしかけたら、こっそり教えてくれたのよ!」
お菓子で買収されている秘書は秘書として大丈夫なのだろうか。それに秘密なのに3人どころか雪乃にも知らせてしまっている。言いたいことは色々とあるが、一番疑問に思っていることを聞いた。
「それを…どうしてわざわざ私に?」
「真田さんなら…知ってるかな、と思って。誰が訴えたか」
小柄な徳永さんが少し上目遣いになったことに雪乃は困惑する。
「私は…何も分からないです。そもそも初めて聞いたので」
「そう言わずに…!なんでもね、匿名なんだけど、若い女性…っていってたのよ!誰なのかしら?と話してたのよねー。真田さんなら、知らない?心当たりのある人…」
「や、ほんと、全然わからないです、すみません…」
雪乃が戻ろうとすると、豊川さんが引き止めるように言った。
「最近の子はねーいやよねーなんでもすぐセクハラだのパワハラだの訴えてきて!きっと大したことされてないのよ!」
雪乃もまた「最近の子」と一括りにされているようで、ついムッとしてしまう。誰だか分かったところで、こうしてまた給湯室で陰口を叩くのだろう。
「とにかく、私は何も聞いてないですから!業務に戻ります!」
踵を返して席に戻った。
雪乃は席でため息をついた。あの人たちと関わるといつも嫌な気持ちになる。これからは、彼女たちがいない時に備品をチェックして、なるべく関わらないようにしようと誓った。先ほどまで依頼リストに集中していた心が飛散してしまう。
それにしても、川端部長はなぜ訴えられたのだろう、誰に?
どうしても噂話を引きずってしまう。
建物管理部の川端部長はおそらく50代ぐらいだろう、この年代でしかも役職者に対しては雪乃は緊張してしまうのだが、川端部長とはあまり緊張せずに話すことができた。川端部長は、眉毛までが白髪混じりで笑うと目尻に皺が寄る、小柄なかわいいおじさんと言った印象だ。最近は雪乃にも業務依頼をしてくるので顔を合わせることも多くなった。まあ、会うたびに「今日もかわいいね。デートなの?」「そろそろ彼氏はできた?」とか聞いてくるのには辟易してしまうが…
(まさか、それで…?)
確かに、現在実施されている「ハラスメント講習」の一つに「プライベートについてしつこく尋ねる」という項目があった。「彼氏がいるのか」「デートなのか」は、それに当てはまるではないか。
ただ、雪乃自身は聞かれても別に嫌な感じはしないし、雑談の一つだろうと思っていた。項目には当てはまるかもしれないが、訴えるほどなのだろうか。やはり、あの人たちの言うとおり、最近の若者だからすぐ訴えるのだろうか…?
そう思っていると、珍しくデスクの内線が鳴って雪乃は受話器を上げた。
「はい、人事部真田です…」
「あ、ユッキー?建物管理部の芹沢です!」
電話の相手は芹沢結衣。雪乃の同期だ。
あまり話したことはないものの、同期からかかってくる電話には安心感を覚える。
「結衣ちゃん…どうしたの?」
「あのさ、えーと、ちょっと今日何時終わる?ちょっと話せない?」
*
会社近くの喫茶店で本を読んでいると、カランコロン、と呼び鈴が鳴った。秋の心地よい風とともに、結衣が入ってきたのだ。雪乃は軽く手を上げて場所を知らせる。周りの客がチラチラと結衣の方を向くのが雪乃の方からも見えた。
雑誌からそのまま出てきたようなすらっとしたスタイルの彼女が歩くたびに、少しウェーブのかかった黒髪がなびく。
「やー遅れてごめんねーユッキー」
結衣はカラッと笑いながら向かいの席に座った。
「ううん。お疲れ、久しぶりだね」
「ねー。同じ本社なのに、ちゃんと話すの初めてだよね」
結衣は本社にある建物管理部のコールセンターに配属になったと聞いている。コールセンターは、全国の管理物件に住む入居者からの建物に関する故障報告やクレームを受け付け、修理事業者やオーナーに繋ぐのが仕事だ。
「最近、忙しい?」
「うーん…繁忙期よりはマシだけど…家ってどっか壊れるから、電話はいつでもあるよねぇ…」
結衣が軽く眉根を寄せた。
「まあそうだよね…。どこでも…」
同期会では端っこにいる雪乃たちと対照的に、結衣は真ん中のテーブルでポンポンと跳ねる会話を交わしている一人だ。話せないことはない…と思っていたが、いざ向かい合うと雑談の仕方さえ忘れてしまう。茉莉也や直哉と同じように話せばいいと思っても、うまく会話が続けられない。
コーヒーが来る前だったが、本題に入ることにした。
「私に、話したいことがあるんだっけ?」
「そう。ユッキーって人事部だよね」
そう言って周りを見回し、声を少し小さくした。
「上杉部長とかから聞いた?川端部長が…セクハラで訴えられた話」
知っているものの、言っていいものか、一瞬迷ってしまう。
「うん…風の噂で…」
「あれさー」
結衣がウェーブのかかった髪を触った。
「言ったの、私なんだよね」
その事実は雪乃の胸にストンと落ち、驚く気持ちは意外と起こらなかった。川端部長が管掌する建物管理部のコールセンターで一番若いのは去年新卒で入った結衣のはずだ。だからある程度推測はできていた。
しかし、こうして本人から告げられると、その事実が重く感じてしまう。
結衣の顔を見た。少し俯くと、形のいいの目元を長い睫毛が覆っていている。その睫毛も、くるりと上むきにカールしていた。
幼い頃遊んだリカちゃん人形のような端正な顔立ち。こんな人目を引く見た目に生まれた彼女は、どんな人生を送ってきたのだろう。
そして、川端部長に、何を言われたのだろうか。
「結衣ちゃん。なんでも、聞かせてよ。私でよければ」
そう言うと、彼女は微笑んだ。
「ユッキーがいいから、呼んだんだよ」
(第三章第二話に続く)
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