人事部付 真田雪乃の議事録<3-4 〇〇〇〇大好きおじさん>
前回までのあらすじ
シロヤマ・コーポレーションで人事部付として働く2年目の真田雪乃は、社内で広まる川端部長のセクハラの噂を耳にする。
発端は、同期の芹沢結衣。美貌ゆえに人との距離を測りかねていた彼女は、容姿や恋愛の話題ばかりを振ってくる川端部長の言動に、静かに悩んでいた。
実際には「ただ、その話題をやめてほしい」だけだったが、想像以上に噂が広がり、結衣は罪悪感を抱く。
話を聞いた雪乃は、彼女の「川端部長と対話がしたい」という願いを受け取り、上杉部長のもとへと向かうのだった——。
前話 第三章第一話 最初の話 話一覧
第三章 欠けたところを満たすもの
第四話 〇〇〇〇大好きおじさん
上杉部長、雪乃、結衣が会議室に入ってきた時、川端部長はぎょっとした表情になり、やがて、小さくなってうなだれた。
「やはり…」
ここ最近、川端部長はしょんぼりした様子だった。業務で顔を合わせても、いつもの覇気がなく、時々上の空なのだ。よっぽど「セクハラ」の訴えや、そして噂がショックだったのだろうか…。
川端部長は普段から「セクハラ」を嗜められているのを、雪乃は会議で目撃している。しかし、本当に訴えられてしまったのは初めてだったようだ。
上杉部長が朗らかな口調で言った。
「川端部長、そんなに落ち込まなくて大丈夫ですよ!今日は、対話をしましょう」
八人掛けのテーブルを四人で、1席分の間を空けながら囲む。コロナ禍におけるソーシャルディスタンスが要請されていた時、雪乃はまだ入社していなかったが、なんとなく、こんな感じだったのだろう…と想像した。
部屋の沈黙は、隣の会議室から聞こえるプレゼンテーションの声が埋めた。
上杉部長が早速本題を切り出した。
「今日は、部長がセクハラの疑いで訴えられた件について…当事者も交えて対話とヒアリング、今後のことについて、お話ししたいと思います」
「ああ…わかった」
川端部長が、眉毛を下げていた。雪乃はこんなに悲しそうなおじさんは見たことがない。
なんとなく、川端部長に悪意はないような気がしていた。
でも、結衣の気持ちも尊重したい。
「まずは…何がことの全容か、認識を合わせたいと思う。芹沢さん、話せるかい」
「はい」
結衣は、緊張した面持ちで話し始めた。
雪乃に語っていたことと同様に、結衣はこれまでのことを、少しかいつまんで語った。自分自身が贔屓目で見られると、周りの心にさざなみが立つこと。恵まれている立場になら何を言ってもいいと思っている人がいること。そんな空気にならないように、結衣が必死で関係性を築いていること。
それらが、静かに語られた。
結衣は、決して川端部長が悪いわけではない、という口調だった。
しかし、結衣がそう言えば言うほど、必死の思い出築いてきた関係を知らず知らずのうちに、川端部長が壊してしまった…という事実が浮かび上がってきた。
「悪かった…。若い人になら、容姿に恵まれているなら多少は何を言ってもいい…と、私も思っていた。これまでの建物管理部の関係性を分かっていなかった。話しにくいことを話させてしまって、すまなかった」
「川端部長、こちらこそ…こんなに…セクハラ…だとは私も思っていません。すみませんでした」
二人が頭を下げ合う様子を見て、上杉部長は安堵したようだった。
雪乃もほっとしたが、それと同時にある疑問が湧いた。川端部長は雪乃に対しても、外見や恋愛に言及してくる。結衣から聞いたことを合わせると、20代の若手女性に言ってくるようだ。若い女性が好き…と言われればそうなのかもしれないが、「セクハラ」という言葉のいやらしさと、川端部長の様子がどうしても結びつかない。だから、発言こそセクハラに該当するものの、今まで誰も訴えてこなかったのである。
「あの…すみません、川端部長」
川端部長が眉毛を下げたままの顔を上げた。
「どうして…そんな…恋愛のこととか外見のこととか…すぐ、聞いてくるんですか…?」
雪乃のこの疑問に、川端部長が言い淀んだ。
「実は…」
「いいですよ、言っちゃってください。川端部長」
上杉部長が促した。
「私は…少女漫画が大好きなんだ」
「えっ!」
上杉部長と結衣、雪乃は一瞬顔を見合わせた。
そして、ほぼ同時に吹き出した。
「部長…それ、本当ですか?」
その雰囲気に少し安心したように、川端部長は話し出した。
「ああ、実は中学生の娘がいるんだ。漫画雑誌をこっそり読んでいたら、とても面白くてね、今連載されているラブコメの今後を楽しみにしていて、そのことばかり考えてしまうのだよ、私自身はもう恋愛なんて遠いものだから、誰かとラブコメの話を共有したくてたまらないのだ…」
あまりに突飛な独白に、どう反応すればいいか雪乃はわかりかねていた。
対して、結衣と上杉部長が呆れている。
「うーん…だからって、現実の若手社員を当てはめるのは、良くないですよ!芹沢さんの話にもあったように、いろんな人生を送ってきた人がいるんです」
「そうだな、上杉部長の言う通りだ。本当に申し訳なかった」
川端部長は、またうなだれた。
「これは…みんなに覚えておいてほしいんだが、『アンコンシャスバイアス』という言葉がある」
上杉部長からまるで和菓子のような聞きなれない響きの用語が出てきたので、雪乃は慌てて「議事録」を取り出した。
「無意識の偏見、という意味だ。人は例えば属性や性別、容姿などで無意識のうちに人をジャッジしてしまう癖がある。例えばだ、Z世代だから、とか、子どもがいるから、こう考えるに違いない、とか。それは思考のショートカットとしては有効なんだが、相手の気持ちを聞かずに決めつけてしまう恐れがある」
雪乃は、「アンコンシャスバイアス」と、「議事録」に書こうとして、気がついた。
「私も…正直、決めつけてました。恋愛のことを聞く…それはセクハラ、川端部長が少女漫画好きなんて…こっちにもその…アンコ…はあったかもしれません」
「アンコンシャスバイアスね。美味しいやつじゃないんだよ?」
「すみません…お腹空いてるわけじゃないんです…」
なかなか横文字は覚えにくいものだ。
「私にもあります、それ」
3人が結衣の方を見る。結衣は静かに語ったが、その口調は柔らかだった。「私、対話をしたい…わかってほしい…ってずっと言ってるくせに、コールセンターの先輩たちには、どうせ話してもわかってもらえない…って思って、それで匿名でホットラインに言ったりなんかした。それって、私の偏見でした。女性だから、年上だから、きっとまたこれまでみたいに、意地悪を言われるかもしれない…って、決めつけてました。それって、すごく失礼なこと。傷つくかもしれないけど…私、話す努力をしようと思います」
「ああ。話してみたらいい。私や真田さん…少女漫画好きの川端さんもついてるから」
最後に、川端部長のことを言った時、少し可笑しそうに口角の右端を上げていた。
「そのことなんだがね…」
川端部長が急にもじもじとしはじめる。
「今後、芹沢さんに言うのは控える。ここに誓った!しかし…どうしても…語りたくなってしまう時があるんだ。少女漫画について…」
川端部長以外の3人は顔を見合わせた。上杉部長がまた呆れたように眉をしかめる。
「仕事の時は仕事してくださいよ!川端部長」
「いやいやもちろんだよ…しかし、最近はね、雑談をするのも難しいんだ。共通の話題っていうのがなくってね…どうやってコミュニケーションを取ろうか、迷ってるんだ」
「確かに、仕事以外の社内コミニュケーションもある意味重要ですもんね」
上杉部長は言ったものの、あまり重要には感じていないようだった。
雪乃は自席の周りで働いている人事部の社員とは、「暑いですね」「雨ですね」のような天気に関する雑談以外をしたことがない。一番話す機会の多い上杉部長のことすら、何も知らない。そういえばあまりシロヤマ・コーポレーションでは同期会以外の、いわゆる「部署飲み」などがない。以前は部署ごとの飲み会もあったらしいが、コロナ禍の影響で開かれなくなり、そのまま自然と廃れていった…と聞いたことがあった。
ある意味それは楽なことだったが、業務のことしか知らない相手だからこそ、知らない部分を別のもので埋めてしまうのではないか。
たとえば、憧れや嫉妬、そして偏見のように。「こういう属性だから、こうに違いない」といったアンコンシャス・バイアスは、欠けている相手への理解を、一時的にでも満たしてくれるものなのかもしれない。
だからきっと…「偏見はダメ」と言うだけでは、偏見は無くならない。
そこまで考えた時、口が勝手に動いていた。
「上杉部長!重要です!雑談、すごーく重要!」
上杉部長が首を傾げている。
「どうしてそう思うの?」
「雑談がないと…芹沢さんに今回起こったことが、ずっと、起こり続けます。人は、自分の知らないところを偏見で埋めるんですよ、きっと」
「確かにそうだな…真田さんの言う通りだ」
上杉部長が頷きながら、続けた。
「ただね…だからって、雑談しましょう!と呼びかけるのも難しいところだ。やりすぎもあるだろうし、逆に『雑談しましょう』と、呼びかけたところで何を話せばいいか…となって結局ギクシャクする場合もあるだろうね」
確かに、社内メールで「雑談強化週間」をするのは簡単な施策だが、それをしたところで、活発になるイメージが湧かない。
結衣がぽつりとつぶやいた。
「雑談…できてるようで本当の自分としての雑談、できてないですね…実は、そういう人ばっかりじゃないですか?雑談のための雑談…相手に合わせるための雑談をして、本当の自分は匿名のSNSの中…みたいな」
「そうだねえ…」
結衣の言葉は建物管理部での実感に基づいていて説得力がある。相手に合わせるだけの雑談をしても、疲れるだけなのだ。
「社内に匿名SNSみたいなのがあったら良いのにね…言いづらいことも言えるような…自由に投稿できるサイト。社内って分かってるから、そんな誹謗中傷みたいな悪いことはできないし」
雪乃がそう言うと、結衣が急に目を輝かせた。
「それ、私、とっても良いと思う!上杉部長、川端部長…どう思いますか…?」
上杉部長は慎重だ。
「うーん…やり過ぎさえ避ければ…自由にやれば良いと思うよ…?」
対して、川端部長は、結衣以上に目に光が灯っていた。
「少女漫画を語れる場を実現してくれるなら…私が全力で稟議を通す」
結衣がフフ、と笑った。
「詳しい者を知ってるんです…呼んできますね」
(第三章第五話へ続く)
いいなと思ったら応援しよう!
チップのご検討、ありがとうございます。
3歳児を育てつつ、スキマ時間に創作を続けています。
いただいたチップは、家事の時短や創作時間の確保に使わせていただき、より楽しい文章をお届けする力に変えていきます。応援が本当に励みになります。