人事部付 真田雪乃の議事録<2-5 お部屋選びは人生選び>
前回までのあらすじ
シロヤマ・コーポレーションの人事部付、2年目の真田雪乃は、数字だけでは測れない「営業評価」のあり方に疑問を抱き、南花営業所の夏目エリア長を訪ねる。ところが、エリア長は急遽営業に出ることになり、雪乃はそのまま顧客対応に同行することに。初めて対応を任された顧客・鳥羽明里の情報を頭に入れながらあれこれと構えていた雪乃だったが──「離婚」という予想外の言葉に、思わず何も言えなくなってしまうのだった…。
前話 最初から 第二章第一話 話一覧
第二話 営業がわからない
第五話 お部屋選びは人生選び
FMラジオの音声が、意味にならずに車中に溶けていく。
「離婚」という、思いがけない鳥羽さんの言葉に、雪乃の思考から空気が抜けたようだった。
雪乃の周りに離婚を経験した人はいない。
そして、前に座る鳥羽さんの表情が全く見えない。
なんと声をかければいいのだろう…
「そうなんですね」と事実を淡々と受け止める…?
しかし、言いにくいことをせっかく打ち明けてくれたのだ。
では、「大変でしたね」と共感する…?
あなたには何がわかるの、と思われるだろうか。
SNSでは、「離婚したら、おめでとうって言われたい」と書いてあり、多くの賛同のコメントが寄せられていた。
しかし、今の鳥羽さんの後ろ姿に「おめでとう」は、絶対に違う。
正解は、誰も持っていないような気がした。
「あ...あのっ、たっ...たい…」
無理に声を出そうとして、息が切れた。
その時、運転席の夏目エリア長が、静かに言った。
「私も、経験者です。長い道のりでしたよね、お疲れ様でした。」
雪乃は「えっ...」と声をあげそうになるのを慌てて飲み込む。
鳥羽さんが、軽く息を吐くのが聞こえた。
「...そうなんです。もう、疲れちゃって」
それから、鳥羽さんは少しずつ、離婚に至るまでのことを、隣にいるエリア長の方を向いて離し始めた。雪乃は盗み聞きをしているような気持ちになって、手にしていたモレスキンのノートを鞄にしまった。
「誰だってそうですよね...」と前置きした後、「私には、この人しかいない、と思って結婚しました」と言った。
新婚の頃から、子どもは何人欲しいか、女の子か男の子、名前はどうする、そんな話題で夫婦は持ちきりだったのに、一向に妊娠の兆候は見られなかったそうだ。妊活専門のクリニックに行っても、原因がないと言われる。
最初は前向きだった。生理が来るたびに、次の打ち手を考えた。鍼、よもぎ蒸し、漢方、子宝神社...妊活に良いとされることは、科学、神頼み関わらず全て行ったそうだ。
「ずっと、二人で頑張ってると思ってたんです。けど、走ってるのは、私だけだったの」
排卵日を告げていたのに、まるでわざとかのように帰りが遅い夫に、焦り、苛立ち、強い言葉を浴びせてしまう。口論が絶えなくなり、夫婦生活どころではなくなった。そして、ある時夫に女性の陰が…
そこまで話したところで、鳥羽さんは初めて、雪乃のいる後部座席を振り返った。先ほどより幾分と表情がやわらかい。
「ごめんなさい、若い人に聞かせる話じゃなかったですね。でも...話したくなってしまって...」
「あっ...!!私の方は、もう、お構いなく…大丈夫です...ので…どうぞ...お心の済むまでお話しください!」
必死で手を横に振ったが、何も気の利いたことの言えない自分が情けなくなる。なにしろ雪乃には恋愛すら縁遠いのに、結婚の、またその先の苦労なんて、どんなに目を凝らしても霧の中に隠れてしまう世界なのだ。
エリア長が、ハンドルを軽く握り、車のスピードを少し上げた。
「これからは、いいことしか起こりませんよ。いいお部屋見つけましょう。お部屋選びは、人生選びですから」
*
すっかり生い茂った街路樹を通り抜けて、少し小道を入ったところに住宅街が見えてきた。戸建てとアパート、マンションが混在している。
やがて、陽光を跳ね返す白さの建物が眼前に現れた。
「一件目。プライムガーデン新南花ですよ」
雪乃はプライムガーデン新南花の資料を見直した。
物件名:プライムガーデン新南花(築5年)
賃料:8.8万円(共益費込)
間取り:1K(30㎡)
駅徒歩:8分
特徴:
・築浅デザイナーズ物件
・独立洗面台・浴室乾燥機付き
・駐車場敷地内(8,000円/月)
・オートロック
・宅配ボックス
住宅街に際立つ真っ白な外観を木々が囲んでいる。ベランダからは洗濯物が時々風にゆらめいているのだが見えた。
鳥羽さんは「おしゃれですね」と声を弾ませた。
女3人で小さなエレベーターに乗り込む。302号室を開けると、クリーニング済み物件特有の匂いが鼻をついた。
用意されたスリッパを履き、中に入って行った。電気はついていないのに、フローリングの白さと元々の彩光で明るい。
(私なら、この物件で決めてしまいそう…)
しかし、鳥羽さんの顔は少し曇っていた。
「ごめんなさい...ちょっと、小さく感じてしまうかもしれません...。」
鳥羽さんは深刻そうな面持ちで続けた。
「今まで住んでいたところは2人だったので、比べようがないですが、少々窮屈に感じてしまいます。あと、結婚してた時の物が多くて...もっと収納が欲しいです」
エリア長が頷いた。
「大丈夫ですよ。まだ2件ありますから、別の物件行きましょう」
しかし、残りの2件も、鳥羽さんの気にいることはなかった。外観を見た時にはどこか期待しているようにも見えたが、部屋に入ると、その目から光がすっと引いていった。
新南花駅に近いグリーンテラス新南花は淡いグレー系のタイル張りの外観だった。築13年でも、外観はこんなに新しく見えるのだな…と雪乃は手元の資料を見直した。
物件名:グリーンテラス新南花(築13年)
賃料:8.5万円(共益費込)
間取り:1LDK(42㎡)
駅徒歩:4分
特徴:
・リビング12畳
・ペット不可
・閑静な住宅街
・駐車場敷地内(10,000円/月)
しかし、部屋に入ると内装にプライムガーデン新南花ほどの輝きはない。クリーニング前ということも一つの要因になっていそうだ。
鳥羽さんは申し訳なさそうに、「ごめんなさい…あまり住むイメージが…湧かないです」と話す。
3件目の、ベルフィーノ南花西は大通りに面した細長いマンションだった。
徒歩11分とは言うものの、駅からまっすぐなので、あまり体感として距離は感じなさそうだ、と雪乃は資料を見ながら思った。
物件名:ベルフィーノ南花西(築8年)
賃料:9.1万円(共益費込)
間取り:1LDK(38㎡)
駅徒歩:11分
特徴:
・南向き
・システムキッチン
・ウォークインクローゼット
・他、床下収納あり
・ 駐車場1台無料
中に入ると、先ほどの2件と比べて至る所に収納があった。エリア長の見立て通りだ…と思っていたら、鳥羽さんはやはり俯いて「なんだか落ち着かないです」と言った。
確かに、車の往来は激しく、前の2件と比べると騒がしく感じてしまうかもしれない。ただ、鳥羽さんの表情からはそれ以上のもの…何か、決断できないものをが感じられた。
(まだ、新しい生活を始める心の準備ができていないのだろうか...。)
俯く鳥羽さんを前に、エリア長が部屋の天井を少し見上げていた。
そして、鳥羽さんに向き直った。
「鳥羽さん、これからは自由ですよ。これから、何がしたいですか?」
鳥羽さんは俯いたまま、つぶやいた。
「何も...したくないです」
エリア長が優しく頷いている。
「ずっと、夫のために、赤ちゃんをを授かるために、何かをしてきました。その、目的に疲れちゃって。しばらく、目的はお休みしたいんです」
「…承知しました」
エリア長は鞄からリングメモを取り出して、ワインレッドのボールペンで何かをさらさらと書き始めた。
それを、雪乃に手渡す。
「真田さん、悪いんだけど、頼んでもいいかしら」
「はい!もちろんです!」
「この電話番号にかけて、お部屋、空いてるか聞いてみてくれる?」
リングメモを見て雪乃は驚愕した。
異世界不動産 047-***-**** 時のほこら
「これは…物件名なのですか?本当に異世界不動産って…あるんですか?」
エリア長がこともなげに言う。
「あるよ。ちょっと変わった物件だけど…鳥羽さん、少しだけ駅遠でも大丈夫ですか?」
「はい、駅からの遠さは…車あるんで、正直そこまで、気にならないです」
雪乃は社用携帯で教えられた番号を押して、相手が出るのを待った。
少し高めの男性の声がした。
「いらっしゃいませ、異界の間取り、取り揃えております」
「えっ…?」
困惑して顔を上げると、エリア長が「いいの、続けて」と小声で促した。
「あっ...シロヤマ・コーポレーション南花営業所の真田と申します。あの...『時のほこら』は空いていますでしょうか...?」
すると、電話の向こうがいきなり勢いづいた。
「時のほこら!なんとまあお目々が高い!エレベストのぼってんのか〜い!空いてますよ〜!AD150%ですので、是非是非、ご案内お願いしまあす!」
「あ…ありがとうございます!では、案内します」
あまりのテンションの変化に雪乃は圧倒されて電話を切った。
「どう、空いてた?」
「あ…はい、空いてましたけど…。大丈夫な不動産屋さんなんですよね…?」
「大丈夫。あんな感じだけど、物件も不動産屋さんも、ちゃんとしてるの」
外は日が傾いていたが、まだ気温は下がりきっていない。夏が窓に照りつけてくる。クーラーの効いた車内の中で、3人とも言葉を発することはなかった。
「もうすぐ着きますよ」
車を10分ほど走らせると、もうあたりは街から外れ、低層の戸建てばかりの住宅街だった。車を止めた目の前には、今まで見てきたマンションとは異なる、小さな戸建てがあった。
「わぁ...可愛い」
鳥羽さんが声を上げる。
「戸建て...ですか?」
「そう、ちっちゃい、1LDKの平屋」
今までに見たことがない外観だった。正面の木目調からは昔ながらの平家を感じさせるのに、側面はコンクリート打ちっぱなしでモダンな雰囲気だ。見た目だけでは築年数が読めない。
「古民家の良さを残しながらリノベーションしてるんです。味があるでしょう」
土間の玄関を上がるとすぐに、洗面所を通ることになる。青のモザイクタイルは爽やかで、スリッパ越しに涼しさが伝わってきた。そこに小さい長方形の洗面ボウルが白く際立っている。
この洗面所を抜けると、リビング。壁も床も木目調なので、光が差し込むと部屋中が木洩れ陽で満たされるようだ。
「なんだか落ち着きますね」
鳥羽さんが緩く息を吸い込んだ。
「見せたいのは、これからですよ。この、小さい階段登りましょう。」
「階段?平屋じゃないんですか?」
「そう...ロフトなの」
(ロフトか…)
大学生の時に、友達の家がロフトだったことを雪乃は思い出した。梯子を使って登る隠し部屋のようなロフトに雪乃は憧れたが、「そんないいもんじゃないよ。」と彼女は言っていた。
「暑いし…寝ぼけてはしごから落ちそうになるし...」
遊びに行った時に見たロフトは簡易的な梯子がついていたが、常用するには不安定さがあった。
ただ、この「時のほこら」のロフトに繋がるのは小さいながら足場もしっかり登れる階段だ。大人の女性が順番に3人で登っても安定している。夏目が最初に登り、次に鳥羽さん、最後に雪乃が着いていく形になった。
登っていくと、ふんわりと心地よく、どこか懐かしい匂いが漂ってきた。
新しい畳の匂いだ。
4畳ほどのロフト一面に畳が敷き詰められている。
そして、全体的にほんのり白く明るい気がした。
見上げると、屋根裏部屋に、小さい窓がついていることに気づいた。
天窓から、今日の真っ青な空が見えた。
雪乃は目の前が開けたような気がした。
女性3人が横に並んで丁度収まるくらいの大きさのロフトだった。
しばらく、天窓の向こうの青を眺めていた。
「あの...すみません」
すると、鳥羽さんがおずおずと言った。
「はい、どうされました?」
「少し...寝っ転がってみても...いいでしょうか...」
エリア長が微笑んだ。
「どうぞ。ごゆっくり」
鳥羽さんは髪を直しながら畳に横になった。そして、天窓の空を見上げている。雪乃は…きっとエリア長も、鳥羽さんの顔は見られずに、窓越しに空を見つめた。三人の視線は空のどこか一点で合わさっているかもしれない。
鳥羽さんが何かを小さく呟いたのが、耳の端で聞こえたものの、なんて言ったのか、雪乃には聞こえなかった。
*
「なんだかすごく不思議な家だけど、ここ、住んでみたいです。お空を見て、目的のこと、ちょっと忘れて…そしたら、なんだか再出発できそうな気がするんです」
そう言って鳥羽さんはこの物件をその場で申し込みをすることになった。営業所に戻ると帰りが遅くなってしまうので、物件を押さえてもらった後は、必要事項を書いて、後ほど代筆をする約束をした。
鳥羽さんと駅で別れる時、夏の夕日が沈みかけていたが、まだ暑さが引かなかった。
雪乃は助手席に乗り換えた。エリア長と2人になった車内で、強めのクーラーの音だけがゴゴゴ…と響く。
「エリア長、すみません...私、何もできませんでした...」
自分がこのお客さんを対応する、と言ってくれたのに、無力感が改めて胸に迫った。しかし、エリア長は首を横に振った。
「実は、私も、ちょっと焦ってたの。転勤って聞いてたのに、話しが違うじゃないって…しばらく…考えてた」
雪乃は目を見開いた。そして、エリア長がどんな対応をしたか思い出した。
「そういえば…その……経験者って本当…なんですか?」
「本当よ。今は再婚して、8歳の子供がいる。嘘はついてないでしょう?」
雪乃は必死に首を縦に振った。
「ええ...もちろん...!!嘘はついてないです!」
その様子を見てエリア長はフフっと笑った。
「自己開示はね、呼び水。お客さんの話を引き出すためのね」
雪乃は鞄にしまってあった「議事録」を取り出して、ボールペンで走り書きをした。
夏目エリア長:自己開示は呼び水!
(でも、それだけじゃない…)
夏目エリア長の落ち着きを見ると、つい色々打ち明けたくなってしまう。雪乃が今まで誰にも言っていなかった、朝が弱いことも、彼女の前では言っても大丈夫な気がしてしまう。同じように、鳥羽さんもあんなに言いづらい話を、話すことができたのだろう。
しかし、このエリア長の言葉で、鳥羽さんが話す勇気を得たのに違いない。そして、最終的に納得いく選択ができたのだ。鳥羽さんには、どんな形であっても、絶対に幸せに過ごしてほしい。雪乃は、強くそう思った。
すると、エリア長が続けた。
「家賃9.5万円。広告料150%。合計、14万4,000円の売上、やったわね」
雪乃は、それを聞いて、少しだけ興醒めしてしまった。話されることは結局、お金…売上なのだ。ボランティアじゃない…という星原の先輩の言葉が、飛び石のように雪乃に迫った。
「ねえ、真田さんは、売上…嫌い?」
見透かされたように問われて、雪乃は慌てた。
「いえ…!!そんなことはないです…!会社にとって…必要なものですもんね!」
すると、夏目所長は口角を上げた。
「私はね、売上大好き」
そして、赤信号で止まり、横にいる雪乃を見た。
「売上にはね、お客さんの選択が、全部詰まってるの。」
「選択…」
その言葉を聞いて、腑に落ちた。
雪乃は、星原の話を聞いてから、ずっと考え続けていたことがあった。
売上は冷たく結果になり、誰かと誰かを比べて、傷つける。
人の心を無視して、振り回す。
売上は、心までは反映してくれない。
それでも、会社..経営…そのために仕方なく追いかける。
(でも、ちがうんだ。冷たかったのは…私の目だ)
人生の大事な選択、ここに住んでほしいというオーナーの思い。
全てが乗っているのに、自分の方が無視していた。
「アンケート…わざわざやらなくても…いいような気がしてきました。」
青信号になった。
エリア長が、また前に向き直り、微笑む横顔がだけが見えた。
「そう?…私はね、どっちでもいい。真田さんの選択に、任せようと思っていたのよ」
(六話・第二章最終話に続く)
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