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人事部付 真田雪乃の議事録<1-10 議事録には載らない話>

前回までのあらすじ
シロヤマ・コーポレーション本社で働く新卒社員・真田雪乃さなだゆきのは、過重労働に苦しむ同期・丸田茉莉也の現状を知り、彼女の勤務先である南花営業所を訪れる。現場では、鳴りやまない電話や人手不足、妊娠中の社員への負担など多くの課題が浮き彫りに。

本社と現場の温度差に衝撃を受けた雪乃は、自らの得意分野である「議事録」を武器に、所長へ会議の開催を提案。本音で語り合う中、営業所の声が少しずつ動き出した…。
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第一章 ホワイトな本社 ブラックな営業所

第十話 議事録には載らない話

こんなことを言っても、雪乃は謙遜するばかりだろう。
それでも、茉莉也は何度でも言いたい。
真田雪乃が南花なばな営業所を訪れた日から、全てが変わったことを。

雪乃が来た次の日から、毎日朝礼時に5分間、黒木さんや門倉さん、森川さんが管理物件について知っていることを教えてくれた。

黒木さんは管理物件の管理を任された背景や、オーナーさんがどんな人なのか語った。黒木さんの話からオーナーさんの顔が見えるようだ。

森川さんと門倉さんは管理物件をどんな風に案内しているかを説明した。しかし、案内の方法もそれぞれ全く異なっていた。

森川さんはお客さんに合わせた暮らしの提案をする。どんな生活になるか、暮らしのイメージが湧いて、気持ちが盛り上がり、その部屋に住みたくなった。

一方で門倉さんはとにかく正直だ。物件のデメリットも含めた説明をしてるので、嘘がなくて信頼できる。

それぞれの話を聞いているうちに、茉莉也に入ってきたもの。
それは、物件に対する「私情」だった。

以前、管理物件への申し込みが入れば、口では「おめでとうございます」と言いつつも、実は「また、忙しくなっちゃうな」と、1%ほどのネガティブを抱えていた。

しかし、今は違う。

オーナーさんが切実に埋まることを願っている、と黒木さんから聞いた物件への入居申し込みが入ると胸が熱くなった。森川さんの担当客から申し込みが入ると、「きっとその先の暮らしをイメージして、盛り上がったんだろうな…」と微笑ましくなる。門倉さんからの申し込みは、「それでも門倉さんを信頼してくれたんだ…」と心を打たれた。

書類には営業の思い、その先にいるオーナーさんやお客さんへの想いが詰まっているのだ。

書類が、その想いを載せる船として、海に出て行くようだった。
茉莉也は、船頭になった気分だった。

以前も頑張っていなかったわけではない、それどころか頑張りすぎるほど、自分の休みも削るほど頑張っていた。自分の私情すら差し出していた。今は、私情をむしろあふれさせている。私情こそが業務を進めるエネルギーになっていた。

処理スピードが速くなった、ミスが減った、そんなことはどうでも良くなるぐらい業務に夢中になっていたが、いつの間にか休日出勤はしなくてもよくなった。水嶋さんの代理対応だって難なくできる。むしろ、もっと仕事が欲しいくらいになった。

物件共有会は、茉莉也にだけ役に立ったわけではない。

門倉さんが指摘する物件のデメリットに黒木さんが驚いてオーナーさんへの改善提案を出すこともあった。森川さんが話す暮らしのイメージ化は、門倉さんの考える問題点を覆した。黒木さんが語るオーナーさんが物件に施した工夫に、森川さんが入居者さん向けのイメージを付け加えた。

所長によると、それぞれ去年からは考えられないぐらいの売り上げをあげているそうだ。昨年対比120%は超えるだろう。年一回、営業所単位で表彰されるMVTも狙えるかもしれない、との話だった。

しかし、所長から言われなくても、全員が変わったのは目で見て分かっていた。営業の3人が、以前よりずっと会話をするようになっていたのだ。一つ一つの物件について、反響があったことについて、気持ちが乗った情報が通った。

そして、特に仲介営業の門倉さんが変わった気がする。

実は以前、茉莉也は門倉さんのことが苦手だった。

営業とは思えないほどぶっきらぼうで、彼の心からの笑顔を見たことがない。業務依頼の付箋も必要事項しか書いていなくて全く愛想がない。「みんなに仕事が遅いと思われているかもしれない」という茉莉也自身の不安は、この門倉さんの無愛想さも一因である気がした。せっかく本社から来てくれた雪乃への当たりも強くて、正直腹が立った。

でも、あの日、あの会議の時。雪乃が門倉さんがぶつける本社への不満を受け止めた時、門倉さんもまた変わった。

茉莉也の門倉さんへの見方が変わったのか、彼自身が変わったのか、分からない。おそらく両方ではないかと思う。

ぶっきらぼうな雰囲気は少しだけ改善されたように見えたが、相変わらずだ。しかし、彼は余計な感情を出さない。面白くない時に笑わない。嘘をつかないことを追求している人だと思えてきた。

ある時、門倉さんが茉莉也の席に近づき、話しかけてきた。
「真田さんは、もう…ここには来ないの?」

雪乃のことを唐突に聞かれて戸惑った。そして、あの日の雪乃への態度を思い出して少し腹が立った。

「わからないですけど、また…本社への不満をぶつけるんですか?」
つい皮肉っぽい言い方になってしまう。
すると、門倉さんの瞳が少し揺らいだような気がした。

「や。そうじゃなくて…いいや。忘れて」

そう言って、すぐに背中を向けて自席に歩いて行った。

瞳の揺らぎを見て茉莉也は直感した。門倉さんは、なんのきっかけかはわからないが、きっと、雪乃のことが気になるのだ。

雪乃も大切な同期で友達だし、応援するかどうか迷ってしまう。
でも、なんとなく、二人はお似合いのような気もした。

茉莉也は、門倉さんの背中に向かって声をかけた。

「彼女、めっちゃ奥手です。あと、抹茶に目がありません」

どんなに仕事が充実してても、繁忙期は繁忙期だ。

週末だけでなく平日も、転勤ファミリーや新大学1年生、新社会人などで接客ブースは常に満席。書類は処理すればするほど増えていくような気さえしてしまう。

そして、繁忙期のピークである3月初旬、南花営業所、そして茉莉也は、これまでとは異なる試練を迎えることになった。

ある日、いつも快活な森川さんが、出社した直後から笑顔がないことに気づいた。なんだか顔色も悪いように見える。
「森川さん、大丈夫ですか…?」
茉莉也がそう聞くと、
「大丈夫、大丈夫!」と、無理に笑っているように見えた。

一抹の不安を抱えながら席に戻ろうとすると、目の端で森川さんがふらっと傾くのが見えた。慌てて駆け寄り、思わず手を取ったので転倒は避けられた。

「ああ、ありがと。ごめんごめん、ちょっと、立ちくらみがしちゃって…」
彼女が笑おうとするとやはり顔色の悪さが際立つ。
「ごめん、朝礼始まるまでちょっとだけ…」と机に突っ伏してしまった。

その時、彼女の黒い鞄にピンク色の丸いキーホルダーが揺れるのが見えた。

マタニティマーク。

それを見た瞬間、茉莉也は周りに向かって叫んでいた。
「救急車を呼んでください!」

それからは営業所全体が大慌てだった。
黒木さんが救急車を呼んだり、門倉さんが無言で水を持ってきたり、水嶋さんが声をかけながら森川さんの背中をさすったりしていた。すぐに救急車がサイレンを鳴らしながら来て、島崎所長の付き添いのもと森川さんは運ばれていった。

気が気でない思いをしていたが、ほどなく島崎所長が戻ってきた。聞くところによると、妊娠中の鉄分不足による貧血だったそうだ。母体にも胎児にも影響はないとのことで、ひとまず全員が胸を撫で下ろした。

しかし、森川さんはしばらく安静にして、復帰後も無理はできないだろう。今日も何件かの内見が控えている。門倉さんと黒木さんへの振り分けか、一旦日程変更の連絡か…なんとか調整をしようとしていた。

その時、水嶋さんが言った。

「所長。私が今日、というかしばらく、営業に移ります。」
「えっ、大丈夫なの…?ご家族は…?」
「大丈夫。子供は今日、旦那に迎えに行ってもらって、あと実家の母にしばらく来てもらいます。ただ…問題は営業事務です。私も接客がない時は入れますがやっぱり人が足りません。新規で人が集まらなければ、本社からヘルプを呼んできて欲しいです。」
そして、茉莉也と島崎所長の両方を見ながら、続けた。
「丸田さんが、そのヘルプの人に、仕事をレクチャーしてください。…丸田さんなら、できます」

数日後、本社から小早川亜希子さんという助っ人が来た。正直雪乃が来てくれたらな…という淡い期待があったが(門倉さんもそう望んでいるかもしれないし)彼女は彼女で忙しいらしい。

小早川さんは元々本社で債権管理部、すなわち入居者の未払い家賃を回収する部署の事務を行なっているそうだ。20代後半、営業所の事務は未経験だとのことだが、真面目そうな人だ。

クリスマスイブの日に黒木さんにレクチャーしたことはあったが、小早川さんにはほとんど物件知識がない。順を追って説明してもどこまで理解できているか、把握するのに苦労した。最初のうちは、ダブルチェックをすると多くのミスが見つかった。自分の業務が減らない中、人のフォローをするのは時間がかかる。正直、自分でやってしまった方が早いように感じた。

(水嶋さんも、私に対して同じように思ってただろうな…)

水嶋さんが根気よく茉莉也に教えてくれてたことを思い出した。

そして、気づいた。

水嶋さんは、どんなに茉莉也の仕事に時間がかかっても、「自分でやった方が早い」とは言わなかった。そして、書類の不備や遅延は指摘しても、「丸田さんが」ミスが多いとか、仕事が遅い…とも言わなかった。思ってなかった、とさえ言ってくれた。

黙って茉莉也を信じて、待っててくれたのだ。

(水嶋さん…)

茉莉也はふいに熱くなった目頭を押さえた。それでも涙は溢れてくる。

「丸田さん…大丈夫です?泣いちゃうぐらい、私、ミスが多かったですか?」
小早川さんが心配そうに覗き込んでくるので、茉莉也は慌てて目の端をぬぐった。
「いえいえ!とっても、助かってます!ほんと、ありがとうございます!」
そう言うと、小早川さんが微笑んだ。

「丸田さんって、1年目なのにとってもお仕事速いんですね。何か、コツとかあるんですか?」
「え…?」

小早川さんの方を見た。彼女自身の債権管理部でのキャリアもあるはずなのに…年も社歴も下の茉莉也に聞くとは、なんて謙虚な人なんだろう。小早川さんの素直さに、茉莉也は何か応えたくなった。

「一つ一つの書類に、私情をあふれさせることですかね…。」
「私情ですか…いいですね。私も、あふれさせてみます。」
そうして、二人でクスクス笑った。

そして、3月末が過ぎた。南花営業所、そして、シロヤマ・コーポレーション、は繁忙期を終えつつあった。茉莉也は3月初旬以降の記憶がほとんどないくらいに忙しく働いた。

森川さんは体調も回復して営業に復帰したが、産休に入るまでは水嶋さん、門倉さんとの3人体制になった。黒木さんも普段のオーナー対応に加え、仲介営業のヘルプにも回って、夜遅くまで働いているようだった。

茉莉也も小早川さんのサポートを受けながら、新卒社員の配属を待つように言われていた。茉莉也も雪乃も他の同期も、入社2年目を迎える。

3月までは、営業所は定休日なしのシフト制で動いていたが、4月からは元の水曜定休と他の平日休みに戻った。ようやく、全てが落ち着いてきたところだ。


4月中旬の、火曜の夕方。黒木さんにこっそり声をかけられた。
「明日…空いてる?」
「はい!」
「じゃ、ドライブしよう、どこ行きたいか、考えといて!」

翌日、茉莉也は南花駅前のロータリーで待っていた。南花駅全体を、薄い春の霞が包んでいる。遠くの道路を見ていると、黒いレヴォーグがだんだん近づいてきた。どの車かは知らされていなかったが、その走り方で、黒木さんの車だと直感した。

ふわりと着地するように茉莉也の前に停まると、窓が開いた。天然パーマの黒木さんが、茉莉也に目を向けて「おつかれー」と、笑っていた。

茉莉也は「繁忙期、ほんとおつかれさまでした」と応えて、助手席に座った。
黒木さんは、カーナビに指を当てながら、尋ねた。

「どこ行きたいか、考えた?」
「考えました。私…物件見に行きたいです!」

茉莉也は物件共有会でほとんどの管理物件を知ることができたが、全て営業からの又聞きで、実際に物件を見に行ったことがなかったのだ。黒木さんが車を出してくれるなら、管理物件を見に行くまたとないチャンスである。

しかし、そう言った時黒木さんが思った以上にニコニコしていた。
「それってさ…」
そう言いかけた表情を見て、茉莉也は気づいてしまった。

(まさか…一緒に住む物件を探したいって、思われてる…?)

一気に顔が熱くなった。確かに茉莉也は黒木さんからの好意にうすうす気づいてはいた。しかし、だからと言って直接付き合おうとか言われたわけではない中、この発言はあまりにも重すぎ、痛すぎ、先走りすぎではないか…!

「違います!ものすごーく、仕事熱心なんです!私!」
「そっか。ものすごーく仕事熱心ってことにしておく」

黒木さんはカーナビを操作しながらも、こぼれる笑みを抑えきれないようだ。

「黒木さん…私、そんな重い女じゃないですから!」
「大丈夫。俺の方が重いから」
「や…体重の話じゃなくて!」

茉莉也の抗議も無視して、黒木さんはアクセルを踏んだ。カーナビが目的地への案内を申し出る。ロータリーを抜けて、左右がレストランなどのチェーン店ばかりになった時に、ようやく黒木さんは口を開いた。

「わかってるよ。どれくらい重いかっていうとね…引かないでね」
「引かないです!」

すると、黒木さんはフロントガラスのさらに先を見やって、独り言のようにつぶやいた。

「二人で始めるカフェの名前、考えてた」
「え…?」
「繁忙期…その名前だけでずっと、乗り切ってた」

そして、まっすぐな道なのに、ハンドルを両手でぎゅっと握っていた。
なんて可愛いのだろう。思わず笑みがこぼれてしまう。運転中じゃなかったら多分抱きしめてたに違いない。

「どう?引いた?」
茉莉也が黙っていると、黒木さんが茉莉也の方を向いた。

「うーん…名前次第ですねー」
「どうしようかな…やっぱ言うのやめとこうかな…」
「そこまで言うなら教えてくださいよ!」
「絶対、聞いたら『うまい!』って言うよ」

そして、少しの間を置いて、言った。

「喫茶ピリオド…って言うんだ。どう?」

「ピリオド!可愛いけど…うまい!って感じにはならないです。」
「初見じゃ気づかないか…でも、いつかは気づく。誰にも言うなよ。」

それを聞いて、茉莉也はあることを思いついた。

「あ…あの、雪乃にだけは言ってもいいですか?」
「真田さん?仲良しだね、君たち」

「彼女のノート…そう、議事録に書いてもらいましょう。そこに書かれたことは、決定事項になる気がするんです」

(第一章終わり・第二章第一話に続く)

#創作大賞2025   #お仕事小説部門

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