人事部付 真田雪乃の議事録<1-9 それなら現場で会議をひらけばいいじゃない>
前回までのあらすじ
賃貸仲介・管理を事業とするシロヤマ・コーポレーションの本社で「人事部付」として働く真田雪乃。同期の丸田茉莉也が働く南花営業所の労働環境を知るために営業所を訪れる。電話対応、営業の門倉さんの強い言葉や、森川さんから聞いた営業所の現実を知り、雪乃は自分にできることを考えて、あることを提案しに島崎所長の席に向かうのであった。
前話 最初の話 話一覧
第一章 ホワイトな本社 ブラックな営業所
第九話 それなら現場で会議をひらけばいいじゃない
「会議…?ここで…?」
島崎所長は、黒縁眼鏡の奥に戸惑いを隠さなかった。
「はい。皆さんで話し合って欲しいんです。私、議事録を取りますから。」
「何を、話し合ったらいいの?」
「今の状況ですとか働き方に思うこと、本社に思っていること…本音を言ってほしいんです!所長は…もし、多少過激な議論になっても、止めずに見守ってていただけませんか…?」
所長は、誰かの顔を思い浮かべているのか、苦笑した。
「うーん…わかった、可能な限り、そうするよ。」
(私にできることは、議事録を取ることだ。)
それこそが、雪乃が「議事録」の表紙を見て思ったことだ。
森川さんの言葉、営業所の様子──本社に持ち帰れる声はたくさん拾うことができた。けれど、本社がまた一方的に「解決策」を出せば、現場が本当に望んでいることと、ずれが生じてしまう。
雪乃が生まれる前に流行ったドラマに「事件は会議室で起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ」というセリフがあったのを思い出した。
(それなら、現場で会議をひらけばいいじゃない)
*
ただ、営業所の人たちが集まるのはそう簡単ではなかった。
森川さんが熊田夫妻の接客を終えたが、門倉さんがまだ内見に出ている。そのうちに新規客が飛び込みで来店、森川さんが接客に入る。黒木さんは朝から商談でなかなか戻ってこない。茉莉也も水嶋さんも、ずっと手を止めない。雪乃は電話番をしながら様子を伺った。
きっと毎日がこんな風に、それぞれが自分の業務で手一杯で、何かを話し合う余裕なんて、少しもなかったのではないだろうか。
だからこそ、茉莉也はあんな風に、自分を仕事が遅いと責めて、追い詰めてしまっているのではないだろうか。
この、現場会議。
どんなに今日、遅くなっても、実現させなければならない。
雪乃は背筋を伸ばした。
*
ようやく門倉さん、森川さんが内見を終え、黒木さんが戻ってきたところで、所長が呼びかけた。時計を見ると、もう18時近くである。
「みんな、手を止めて聞いてくれるかな。今日、本社から来てくれた真田さんが、今の状況や働き方、それぞれの本音を話してほしいって申し出てくれたんだ。忙しいと思うけど…ちょっと、集まってくれ」
営業所にいる全員が、所長の言葉でノートパソコンを閉じ、朝礼の時と同じく、所長の机の周りに集まって近くの椅子に座った。
雪乃は水嶋さんのことが少し気にかかり、小声で囁いた。
「お子さん、大丈夫なんですか…お迎え…」
「あ、今日は日曜日だからね。旦那がいるから大丈夫」
「…よかったです…!」
森川さんが最初に口を開いた。
「私はねー特にないかなあ!さっき、真田さんといっぱい話したもんね。あれが全部だと思う!まだ言えないこともあるし!」
雪乃と目を合わせて口の端を綻ばせる。
しかし、森川さん以外の人たちは、口をつぐんでいる。暖房と微かな有線のポップミュージックが沈黙を乗っ取っていた。
本当は言いたいことがあっても言えないのか、本当にないのか…。
ある考えに、恥ずかしさのあまり体中が熱くなった。
(私のやってること、この前の社長が私にした無茶振りと同じでは…?)
もちろん、城山社長と雪乃は立場が真逆だ。全ての権力を持っている社長(?)と、なんの権限もない雪乃。
しかし、社長に急に意見を求められて、「クリスマス休暇」のことを言うまで、何か捻り出さないといけない空気に極度の緊張を覚えた。今の営業所の人には、緊張はないにしても、いきなり意見を求められて困惑しているのではないだろうか。
こういう意見出しは、思いつきでやるものではなく、あらかじめ用意してもらうべきなのだ…沈黙の中、密かに反省した。
しかし…本当に考えていないのだろうか…?
雪乃とは違い、日頃から、意見を持っている人もいる。
「本社の人」である雪乃を見た途端にこぼれ出てしまうぐらいには…。
そこまで考えていたら、口から自然に言葉が出ていた。
「門倉さん」
名指しの先で、彼は体を一瞬ピクっとさせた。
「きっと…仰りたいことがあるはずです。私は、人事部じゃなくて、人事部付…なんの権限もないんです。だからこそ、聞かせてください」
門倉さんはしばらく黙っていたが、「わかった」と低く呟いた。
そして、ちらりとこちらに視線を向ける。
「そもそも…残業を申請制…というのは、なんのためなんだ?」
雪乃の脳裏に、あの時の会議の情景が蘇る。上杉部長が、最近の学生傾向を踏まえながら、残業を減らすべきだ…立ち上がりながら話して、その説得力に、雪乃はキーボードを打ちながら、心の中で拍手をしていた。
上杉部長の言葉は、会議後、自分自身の「議事録」にも転写したが、見直さなくても、いつでも思い出せる。
皆様ご存知のように、不動産会社と言えばやれブラックだキツイだなんだって言われてきました。人手は足りないし、このままじゃ成長どころか、会社を維持するのさえ厳しくなっていく。そこで、他の不動産会社と差をつけたいのが、新卒採用なんです。
最近の学生は、本当に考え方が変わってきました。会社に人生を捧げる時代は終わった。もっと自分の時間を大事にしたい——そんなふうに考える方が、いまは主流です。それは決してわがままではなく、自分の生き方を自分で選択したい、主体的な若者の姿と言えるでしょう——
頭の中に響いた声に励まされるように、雪乃は伝えた。
「残業が少ない方が…特に学生さんに向けての、広報的価値があるから…」
門倉さんが遮った。
「俺は、それこそ意味がないと思う」
そして、雪乃の方を見て、くぐもった声で続けた。
「求められるノルマが変わらない中で、働きやすさの広報なんて…嘘をついてるのと同じだと思う。学生が何も知らずに入ってきて、絶望したらどうするつもりだ…?何も、自分は、ノルマを少なくしてほしい…と言ってるわけじゃない。実態に合ってない、現場を考えてない施策が、気持ちが悪くてならないんだ。自分は、求められた目標を達成しようと遅くまでお客さんに付き合ってきたつもりだ。ただ紙と時間が無駄になるだけの残業申請なんて、こっちを馬鹿にしているとしか思えない」
衝撃だった。
地動説を唱えられた人々ってこんな感情だったのではないだろうか。
雪乃の「議事録」の9割は、実は上杉部長からの言葉だった。
今日、南花営業所を訪れるまでは文字通り、上杉部長のバイブルだった。
その中でも、あの会議での発言は、特に気に入っていた。
「主体的に人生を選択する」という言葉で、若者に貼られがちな「自分勝手」「わがまま」というレッテルをむしろ肯定して、その上で既存の社員も残業削減のために可能な限り努力すべきだ…思い出せばそれだけ、雪乃の中で、揺るぎない言葉になっていった。
しかし、門倉さんの言う通り…実態とかけ離れた新卒に対するアピールなんて…入社後、お互いを不幸にするだけだ。
(私は、言葉を持ち歩くだけで…何も考えてなかった)
雪乃は俯いて、ノートの罫線に目を落とした。
「あと…この前のクリスマス休暇も…」
門倉さんが言いかけると、島崎所長が割って入ろうとした。
「門倉。それは…真田さんが…」
「知ってます。だから言ってるんです」
それを聞いて、雪乃は顔を上げた。
「所長、大丈夫です」
正直、雪乃は全然大丈夫などではなく、怖かった。
自分自身が言ったことが、今、まさに否定されようとしている。
ただ…この人の言葉は、嘘がない。この人からなら…
「私…ぜんぶ、受け取りますから、聞かせてください」
門倉さんは、一瞬ひるんだような表情を見せたが、やがて、口を開いた。
「…クリスマスイブの過ごし方は人それぞれだ。一斉に休みにする必要はない。むしろ営業所を開けてくれたら、もしかしたらデート中のカップルや夫婦が新居を思い立って探そうと飛び込み来店したかもしれない。1件、つながったかもしれない…そういう、想像力のない奴の発想だと思った」
心から申し訳ない気持ちになった。閉まった営業所のドアを見て、カップルが肩を落とす光景を思い浮かべる。
「ごめんなさい…全然思いも至らなかったです…お客さんにも悪かったですし…チャンスを、無駄にしてしまいましたね」
門倉さんが右眉を下げて訝しげな表情になる。
「そもそも…どうしてクリスマスイブを休みにしようと思い立ったんだ?新卒の募集要項に、『クリスマス休暇』って書くため?」
「違います」
自分でも驚くぐらい、きっぱりとした声が出た。
(…門倉さんの言葉は、こんなにも正直なんだ。自分も、本当のことを言わなければ)
「私がクリスマスイブを休みにする提案をしたのは…ここにいる私の同期…友達の、丸田茉莉也さんに、ゆっくり…休んでもらいたかったからです。」
門倉さんが大きな目をさらに見開いた。
「嘘だろ…?たった一人のために…提案したってこと?」
「もちろん…多くの人、現場の皆さんが大変な中で、クリスマスにかこつけて土曜日に休んでもらいたかったというのはあります。でも…いちばんに思い出したのは、丸田さんの姿でした。彼女はすごく同期の中でも気が回る。つい気を回してしまう彼女が、多忙な営業所の中で…一人、抱え込んでいないか。実際、今朝もずっと電話で業務が進まなそうでした。だから…」
その時、茉莉也が声を絞り出した。
「雪乃、ありがとう!」
ありがとう…という言葉とは裏腹に、口調は悲痛さを帯びていた。
「そんなことを思っててくれたんだね。本当にありがとう。でも…もう、大丈夫。でも、抱え込んでるように見えても、それは私の仕事が遅いだけだから…」
茉莉也の語尾は、暖房の音に溶かされてしまった。またしばらく有線のポップミュージックが場を支配する。
「…だからって、休日出勤することないだろ?」
黒木さんが、沈黙をこじ開けるように重く口を開いた。
「ご本人が言わないから、僕が言ってしまいますけど、彼女…クリスマスの日も、それまでも、ずっと、休日出勤と、早朝出勤を続けています」
その言葉に、島崎所長がぎょっとした表情をした。
「そうなの?丸田さん」
「そうです…許可なく、すみませんでした…所長…」
茉莉也がうなだれた。
「いや、僕も気づかなかった。所長として情けない、申し訳なかった」
頭を下げ合う所長と茉莉也を交互に見て、黒木さんが続けた。
「僕も、偶然…知りました。丸田さんがかわいそうだって言いたいわけじゃない。今、営業所は丸田さん個人の善意に寄りかかっている。僕たち営業は事務のお二人のおかげで成り立ってると、思い知りました。今の構造が、いびつだと、自分は思います…」
「黒木さん…それは私が仕事が遅いから、埋め合わせをしないといけないんです…」
「だから、そうじゃないって…」
あくまでも頑なな茉莉也に黒木さんは少々苛立った口調だったが、どこか甘い雰囲気があった。まるで推理ドラマで共犯をかばいあう夫婦のような応酬を、周りが戸惑いながら見ている。二人の接点を知っているのは本人達以外だと雪乃だけらしい。
しかし、この応酬を茉莉也が強く押し切った。
「ごめんなさい黒木さん、私が仕事が遅いのは事実です。で、どうしてか、わかりました」
「え…わかったって、どういうこと?」
今度は黒木さんが戸惑い気味になる。
「物件のことを…よく知らないからなんです」
沈黙した全員を前に、茉莉也が続けた。
「私、真田さんの変化を聞いてました。今朝、正直あんなに電話対応が大変そうだったのに、森川さんのところから帰ってきたら、すごく見違えてました…やっぱり物件を知ることが鍵なんじゃないか…確信しました」
やはり茉莉也には背中にも顔がついているのではないか…。一瞬も振り向かなかったのに、茉莉也には雪乃の全てが聞こえていたのだ。
「私、全然物件に行ったことがない。全てが書類の上のことなんです。だから、想像力が限界で…ミスも増えてしまって、業務が滞ってしまいます。営業の方にお願いです。電話とって欲しいとか言わないので、お時間ある時に、物件のこと、共有して欲しいんです!」
語尾が切られた茉莉也の言葉が、営業所の中に響き、その余韻を有線が引き受けた。伸びやかな男声バラードのボーカルが微かに聞こえてくる。
「確かに、丸田さんの言うことは一理あると思う」
水嶋さんが、表情を変えずに言った。
「私も、営業で知ってる管理物件の処理はスムーズだけど、最近の管理物件はちょっと引っかかることがある」
森川さんが顔を輝かせて、パチンと手を叩いた。
「そうだ!朝礼の時、営業がさ、ローテーションで5分ぐらい、物件のこと共有するのはどうですか?黒木さんが管理物件を選定して、私と門倉さんの2人が、どんな案内してるのか説明したら、いろんな方向から理解できると思いますよ!」
門倉さんが急に声をしぼませる。
「えー…俺もやるんすか…いいですけど…」
「見せつけてやれよ門倉、理屈こねてばっかりじゃなくてさ」
所長がそう言うと、遠慮がちで和やかな笑いが営業所内で起こった。
「あ…あのね」
笑いが収まった時、水嶋さんが切り出した。
「物件共有、すごくいいと思う。営業同士の知見の共有にもなるし…。ただね」
そして、隣にいる茉莉也に首を向けて、微笑んだ。
「私、丸田さんが仕事が遅いって、一度も思ったことないよ?」
「え…」
茉莉也が目を見開いた。
「私は時間も限られてるし、パパっとやっちゃわないといけないけど…1年目でこのペースなら、全然大丈夫。それを言ってなかったから、苦しい思いさせちゃったね…ごめんなさい」
「いえ…でも、早くやらないと申し込みキャンセルが…」
「そんなの。いろんな要因がある、いくら早く処理しても、親に反対されたりしたらキャンセルになるじゃない?ぜんぶ、自分のせいにしなくていいんだよ?」
そして、水嶋さんは島崎所長に向き直った。
「所長、こういう状況なので…営業事務にも人、増やしてください」
所長が力強く頷いた。
「わかった。営業事務も募集する。あ、あとね…真田さん」
雪乃に穏やかな視線を向ける。
「僕は、クリスマスイブの休み、感謝してる。久しぶりに家族と一緒に過ごせたし、娘の学校の様子もたくさん聞けた。でも、門倉の名誉回復しておくと…」
そして、所長は門倉さんの方を一瞥して、黒縁眼鏡の奥の目元をくしゃっと崩して笑った。
「彼はあんなこと言ってるけど…誰よりも、残業申請、きっちり書いてる」
「なんか…わかる気がします」
そう言うと、門倉さんが目の端で口を尖らせているのが見えた。
「おい、何がわかるんだよ」
その言葉は聞こえないふりをして、ボールペンを動かした。
この会議の全てを、雪乃は「議事録」に書き記していた。
(第十話につづく)
いいなと思ったら応援しよう!
チップのご検討、ありがとうございます。
3歳児を育てつつ、スキマ時間に創作を続けています。
いただいたチップは、家事の時短や創作時間の確保に使わせていただき、より楽しい文章をお届けする力に変えていきます。応援が本当に励みになります。