人事部付 真田雪乃の議事録<1-6 部長を女子会に呼ぶ方法 >
前回までのあらすじ
真田雪乃が会議で提案したクリスマスの休暇に、仕事が終わらなくて南花営業所に休日出勤していた丸田茉莉也。営業の黒木さんが突然営業所に現れたことで、茉莉也は自分の限界を知り、仕事も手伝ってもらいながら、癒されるひとときを過ごしていた…
明日、休んじゃいなよ、という黒木さんの提案で茉莉也が休んだ日。それがまさに今、雪乃と会っている12月25日なのであった。
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第一章 ホワイトな本社 ブラックな営業所
第六話 部長を女子会に呼ぶ方法
「そ…そんな…貴重な休みに、会ってくれたの…?」
黒木さんが「明日さ、休んじゃいなよ」と言って休んだ日が、まさに今日であることに気がついて、驚きの声が口をついて出た。
それだけではない。雪乃には、茉莉也の話の全てが衝撃だった。
休日出勤や早朝出勤を余儀なくされるほどの、過重労働を続けていたこと。
茉莉也にこそ休んでほしかったクリスマスイブに一人、出社していたこと。
そして、黒木さんという素敵な男性が「何かを終わらせるカフェ」(?)を開いてくれたこと。
「貴重な休みだからこそ、雪乃に会いたかったんだよ?あ、食べなよ。溶けるよ?」
向かいに座る茉莉也が小さな手で促した。話を聞いている間、注文した抹茶ティラミスが席に置かれたことにも気づかなかった。
「いや溶けることはないでしょ!…あ、でも、遠慮なくいただきます」
真四角の枡に収まっているティラミスをスプーンで深く掬うと、白いマスカルポーネの部分がとろんと柔らかく揺れた。慎重にスプーンに乗せて口に運ぶと、抹茶の苦味とマスカルポーネの甘味が広がって、思わず口角が上がってしまう。その様子を茉莉也が微笑んで見ていた。ほどなくして、茉莉也の苺のタルトも運ばれてきた。彼女はフォークで綺麗に切り分けながら、静かに口に運んでいる。
「明日から年末までまた仕事だし、来年は3月まで繁忙期だし…って考えると、ずっと会えなくなるからさ。今日会っておこうと思ったんだ」
「そうだよね…繁忙期だよね…」
雪乃は二口目の抹茶ティラミスを口に運びながら、まだ経験したことのないシロヤマ・コーポレーションの「繁忙期」を想像した。
1月から3月は賃貸業界の繁忙期だ。転勤や進学、入学に伴い、学生からファミリーまで様々な層の大移動が一斉に行われる。本社さえピリピリする、と言われる繁忙期。一体、営業所中で一番多忙だと言われる南花営業所、そして今でさえ休日出勤をしている営業事務の茉莉也は、どうなってしまうのだろう…そう考えると、雪乃は身震いがした。
箏の柔らかな音が、店内の空気を静かに撫でている。畳の匂いと抹茶の香ばしさが混ざって心地がいい。周りも、若い女性客がマグカップを片手に読書をしていたり、老夫婦が談笑していたり、ゆっくりとした時間が流れている。
「さすがに、人増やしてくれる…よね?営業事務も」
雪乃がそう言うと、茉莉也は天井のくるくる回るシーリングファンを眺めながら、顎に指を当てた。
「どうかなあ。繁忙期だけパートさん呼んだりはしてくれると思うけど…」
「でも、茉莉也の話聞いてると、繁忙期じゃなくても人足りてないよね?もっと、所長に言った方がいいと思う」
そう言うと、茉莉也は雪乃に向き直り、えくぼをへこませた。
「大丈夫。自分の能力のなさは、自分でなんとかするから」
「えっ…」
雪乃が絶句していると、茉莉也が続けた。
「黒木さんが助けてくれたのはすごく嬉しかった。けど、それに甘えてちゃいけないとも思った。水嶋さんはお子さんを預けながら、短い時間でこなしてるんだから、もっと時間がある私はなおさら、やれなくちゃいけないの。だから、今まで通り頑張る」
「じゃあ…休日出勤と早朝出勤を、これからも続けるの…?」
「うん、仕事だからしょうがないよ」
茉莉也は笑顔を崩さずに何回も頷いた。
その姿を見た雪乃は、もどかしくてたまらなくなった。
「どうして?所長に言えばいいじゃない。このままだと…心も体も壊れちゃうよ?そんなの、私も、黒木さんも…営業所の人も、望んでない!」
思わず、語気を強めてしまった。読書をしている若い女性客と目が合って、慌てて会釈をする。
茉莉也は一瞬目を丸くしたが、やがて静かに微笑んだ。
「営業事務は…営業と違って、お金を生み出さないんだよ?」
子供を諭すような口調で言う。
「人件費なんてコストでしかない。営業は人を増やせばそれだけ、得られるお金も増える。営業事務は増やしてもコストにしかならない。私の仕事の遅さのせいで、営業所に不利益を与えたくないの」
「そんな…」
茉莉也の言葉は、営業所の利益のことまで考えていて、正しさをまとっていた。しかし、一人をこんなに苦しめる正しさって、果たして本当に正しさなんだろうか?
友達を助けたい。助けるために、その正しさを、破らなければならない。
雪乃は、広い頭の中の海に潜り、茉莉也を助けられそうな言葉を捕まえようとした。けれども、つかもうとするほど言葉は逃げていってしまう。その海は暗くなるばかりだ。
こんな時、上杉部長なら…なんて言うだろう。
仕事中に、こうやって自分の言葉が見つからない時、どんな方向に進めばいいか全く見当がつかない時、雪乃はいつも上杉部長に相談した。上杉部長が雪乃に渡すのは、言葉そのものというより、言葉を探す地図のようなものだ。でも、その地図で十分なのだ。地図があれば、自分で進める。
今すぐ部長に相談したくてたまらなくなった。
(今日も、部長に着いてきてもらったらよかった…って、何考えてるの、私。)
日曜日の女子会に着いてきてもらおうなんて、あり得ないことを考えた。
でも…方法はある。
「上杉部長を女子会に呼ぶ方法、考えた!」
そう言うと、茉莉也は呆れ顔になった。
「えーっ呼ぶの?雪乃ってほんと…部長のこと好きだよね…」
慌てて、立てた手を横に振る。
「ちがう!そりゃ、好きは好きだけど…慕ってるだけだよ!」
「でもさ」
茉莉也がにやっと口の端を上げて、テーブルに三つ指をついた。
「お慕い申し上げております…って昔の言葉で、告白じゃん?」
「いつの時代の話?今は、多様性の時代。好きって200色あんねん。」
「なんで急に関西弁やねん」
「ちゃうねんて」
「なんでやねん。せやかて…」
「ほんまどすなあ…」
「もうかってまっか」
「ぼちぼちでんな」
お互い断片的にしか知らない関西弁をしばらく披露しあっていた。
「…で、なんの話だっけ?部長をここに呼ぶの?」
茉莉也から聞かれて雪乃は、はたと気づいた。
「…そうだ!呼べないけど、言葉だけ呼ぶんだ」
雪乃は鞄から白いモレスキンのノートを取り出した。上杉部長の言葉から得られた気づきはだいたいこのノート、通称「議事録」に書いてあったのだ。そして、この「議事録」はどんな時も肌身離さず持ち歩いている。機密情報流出も懸念されるが、持ち歩いてないと置き忘れに気づかなくなりそうなのが不安だったのだ。
雪乃が「議事録」を開くと、ある書き込みが目に留まった。
「上杉部長 クリスマス休暇:対外的アピールの可能性、会社のために◎」
クリスマス休暇を提案して、「営業所の彼氏と一緒に過ごしたいから…」と噂を立てられたのが悔しくて、つい部長に訴えかけてしまったことを思い出す。
「クリスマスを休みにすることは、社員のことを考えてる会社だと対外アピールできる材料の一つだ。」
この提案をした時、心の中では茉莉也のことを考えていた。しかし、会社のためになる、と言われて少し安堵したのを今でも覚えている。
同時に、社内の働きやすくする環境を整えることは、会社の外に向けたアピールになる、そのことにが腑に落ちた。
ということは、逆に…。
雪乃は茉莉也の顔を改めて見た。以前会った時と変わらない、丸い瞳が印象的な愛らしい顔立ちだ。それでも、少しあどけなさが抜けて大人っぽくなったように見えるのは、以前おろしていた前髪が伸ばされて左右に分けられ、耳にかかっているからだと気がついた。
雪乃は軽く息を吸い込んだ。
今から話すことは、茉莉也を嫌な気持ちにさせるかもしれない。
黒木さんが昨日開いた「全てを終わらせるカフェ」(?)のように、彼女を癒すことはできないかもしれない。ただ、茉莉也の過剰とも言える責任感は、癒しだけでは崩せないのだ。
だったら、その責任感を、利用させてもらうしかない。
「議事録」を持つ指を震わせながら、雪乃は切り出した。
「きっと、その休日出勤…会社のためには、ならないと思う」
茉莉也の丸い瞳が揺らいだ。
「どうして、そう思うの?」
雪乃は、言葉を選びながら話を続けた。
「この会社に、こんな身を削って働いてる先輩がいる…と、学生さんが知ったら、その会社に入るの怖いな、自分も犠牲になっちゃうのかな、ってなる。長い目で見ると、新卒も入らなくなって、茉莉也が大変になっちゃうと思う」
茉莉也はタルトの切れ端にしばらく目を落としていた。
そして、息をついた。
「そっか…そうだよね…。うすうす、ダメなことだって、わかってはいるんだけどね…。もうちょっとうまくやらないと…ダメだよね…」
そして、顔を上げて雪乃を見据えた。
「ただね。うまくできるんだったら、とっくにそうしてるよ」
茉莉也の射るような目を見るのは初めてで、雪乃はうろたえてしまった。
「…ごめん。私、何にも知らないで…」
茉莉也は「大丈夫。責めてるわけじゃない」と首を横に振って、続けた。
「最初は、思ったよ。効率化とかできるんじゃないかって…でもね、その、効率化を考える時間すらないの。電話の量もすごくて。もう、進めるしかないんだな…って思った。やっぱり、電話が鳴らない朝とか休日に出て、自分の担当分をこなすしかないんだよ」
「そっか……ごめん、大変なのに…何もできなくて…。」
雪乃は、続く言葉が出なかった。
こんなに助けたいと思ってるのに、言葉はこんなにも無力だ。
茉莉也は、営業所の一瞬一瞬を、闘っている。
そんな彼女に、どんなに言葉を尽くしても、上から目線のアドバイス以上にはならない。助けようとすればそれだけ、彼女には鬱陶しく、時に追い詰めてしまうものになるだろう。
(やっぱり、余計なことを言わなければよかった…)
このまま、余計なことを言わずに茉莉也と友達でいたほうがいい。
そして、繁忙期が終わったら時々近況報告しながら、他愛のないおしゃべりでストレス発散して…
でも、その間、茉莉也はどんどん忙しくなって…繁忙期、越せるのだろうか…
(このまま引っ込んでたら、何も変わらない。)
同期以上に、茉莉也は友達だ。
しかし、友達以上に、同じ会社の同期でもある。
同じ会社の社員だからこそ、できることがあるのではないか。
雪乃は自分が唯一の「人事部付」であることを思い出した。
シロヤマ・コーポレーションで最も無力な…何者でもない存在。
何者でもない自分が、助けられる方法はあるだろうか…。
そう考えた時、思いついたことがそのまま声としてこぼれた。
「私、部長に許可取って、見に行くよ。南花営業所」
茉莉也が「え」と顔を上げた。
「何ができるのか、わからない。何もできないかもしれない。でも、どんなに大変なのか知らないと、私…わからないままだ」
そう言うと、茉莉也は頬を緩めた。
「ぜひ、おいでよ。黒木さんにも、会ってみてほしいな」
(第七話に続く)
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