見出し画像

人事部付 真田雪乃の議事録<1-4 ブラックなクリスマス>

前回までのあらすじ
人事部付の新入社員、真田雪乃さなだゆきのは、上層部会議で突然社長に意見を求められ、咄嗟に「クリスマス休暇」を提案する。同期であり南花なばな営業所で営業事務をしている丸田茉莉也まるたまりやを想っての発言だったが、周囲には「私情」だと噂され、自身もその気持ちに揺れた。

一方、あんなに雪乃が茉莉也に休んでほしいと願った12月24日。
茉莉也自身は、営業所で休日出勤をしていたのだった。
前話 話一覧

第一章 ホワイトな本社 ブラックな営業所 

第四話 ブラックなクリスマス

東京近郊にある南花なばな駅前は、一通りのチェーン居酒屋、カフェ、カラオケ店がぐるりとバスロータリーとタクシー乗り場を囲んでいた。

クリスマスの華やかさを演出する気はないらしい。12月24日である今日も、雰囲気はいつものままだ。平日であれば乗り換え客で混み合うこの駅だが、茉莉也は急かされることなく改札を出ることができた。

冬の澄んだ空は、何からも守ってくれなさそうだった。茉莉也はかじかんだ手をお椀型にして、耳に当てながら歩いた。

3分ほど歩いて営業所に到着した。やはり鍵は空いていない。横のガスメーターについている南京錠を外すと、ガスメーターがの扉が開き、フックにぶら下がっている鍵が取り出された。

(12月24日に忍び込むのは、サンタ・泥棒・そしてブラック企業の社員)

休日出勤特有の胸のうわずりの中、ふとそんなことが思い浮かんだ。

(面白ワードを考えれば、なんでも乗り切れるんだから)

営業所の鍵を開け、電気スイッチをつけると数秒ほどジジジ…と渋った後、パチン、と眩しくなった。いつもの眩しさなのに、なぜだか胸がつっかえてしまう。

茉莉也は誰もいない営業所の自席に向かった。自席のノートパソコンのモニター周りには、淡いピンクや水色、黄色の付箋がびっしりと貼られていた。

メゾン・ド・アキモト 年末入居、優先順位高でお願いします(門倉)

ナバナマンション 保証会社変更で審査お願い!ごめん!(森川)

フローラテラス南花 数箇所 間違いありました 再度契約書の付箋の確認お願いします(水嶋)

ハイム南ヶ丘 共益費500円UP 募集図面、差し替えお願いします ※忙しい場合巻き取ります(黒木)

無数の依頼、指示、指摘が胸に迫る。
「はいはい。わかってますよー」
自分の強がった声が、がらんどうの部屋に吸収された。本来の業務に取り組む前に、まずはこの付箋を一つ一つ処理しなければならない。

「今日…来て正解だったな」
一人なのをいいことに、また口に出した。もし明日に回していたら…大量の電話を受けながらこの付箋をさばくことになる、と思うと身震いしてしまう。

シロヤマ・コーポレーションは不動産会社としては珍しく「ホワイト企業化」を推進している。産休育休制度、復帰時の時短勤務制度は当たり前にあり、近頃は男性育休の拡充も進められている、と所長が朝礼の時に話していた。

今日は土曜日であり、不動産屋として開けるべき曜日だが、クリスマスイブということで、本社の「粋」な計らいで、休日となっていた。

この提案をしたのは、茉莉也の同期の中で、とりわけ仲のいい真田雪乃らしい。彼女は大人しそうに見えるが、いざという時、言える子なのだ。とはいえ、なぜこの提案をしたのかはわからないが。

南花なばな営業所の営業事務は茉莉也と、水嶋あおいさんという女性社員の二人だ。水嶋さんは元営業で賃貸仲介部門で働いていたが、出産、育休を経て営業事務に移った。今は3歳になる男の子を保育園に預けて働いている。保育園への迎えのため、16時頃に営業所を出る。それまでに自身の仕事を超特急で終わらせるためには、営業所にかかってくる大量の電話を受けていては間に合わない。

結果的に、茉莉也が多くの架電を受けることになる。

水嶋さんはそうでなくても仕事が速い。元々営業で物件のことを理解しているし、何より性格がさばけている。何事も迷わず進め、物言いも単純明快だ。また、営業、茉莉也、所長、全員に変わらない態度で接する。だから営業所の中で信頼されているのは水嶋さんだ。茉莉也も水嶋さんのことを頼りにしている。だけど、あまりにも切り口が鮮やかで、しばらく立ち直れなくなってしまう時がある。

ミスを茉莉也に指摘したその数分後に、少し申し訳なさそうな顔で、「私、上がるね、これ代理対応お願いね」と言う。子どもの病気で1週間ほど休んでいる間も、個人のスマートフォンから私に連絡が来る。復帰時に進捗が芳しくないことを指摘される。

(当たり前だ。仕事だもの)

茉莉也が何かを思おうとするたびに、「仕事だもの」という重しで自分自身を押さえつけた。水嶋さんは責任感が強い。お客様に対して、安定の品質で契約書を納品しなければならない、という思いが見える。

お子さんの顔を写真で見せてもらったこともある。澄んだ瞳で何かを言いたげな様子が愛らしく、心を打たれた。もしこの子が保育園で母親の帰りを待っているとしたら、それはもう早く帰らなくてはならないだろう。

時々、しんどくなると、そうやって水嶋さんの子どもの写真を思い出す。水嶋さんの代わりに電話を受けて、水嶋さんが帰った後も、休んだ時も、代理対応をしている。その中で、ミスを指摘される。「まだこれやってなかったの?」と、言われる。仕事なんだから。彼女なりに大変なんだ。自分が頑張ればいい話なのだ。声を頭の中に響かせる。

幸いなことにクリスマスの予定もなくて、助かった。

大学時代からの恋人とは、結局半年前に関係が終わってしまった。彼が大阪の会社に就職が決まった時から、実は少し諦めていた。卒業時に別れを告げようと思ったら「必ず自分から会いに行くから」と言われ、そのまま関係を続ける。しかし、彼が大阪で土日休み、茉莉也が東京近郊で平日休みという、遠距離と休み違いが重なると、時間を合わせて会うことがほぼ不可能になった。忙しさから連絡頻度もだんだん減っていき、彼から「他に好きな人ができた」とLINEで別れを告げられた。

別れを告げられたLINEには、既読にしたまま返信ができていない。

最近、どのLINEへの返信も滞っている。雪乃からも誘いが来ているし、同期のグループLINEも盛り上がっているようだ。

しかし、どのメッセージにも、返信をする気持ちが全く起こらない。
返信をしていない事実が心を重くして、ますます返信する気がなくなってしまう。

ここ最近、茉莉也は早朝出勤と休日出勤を続けていた。
仕事が、どうしても終わらない。
昨日のようなシフト休みの日も、頭の中は営業所にいる。きっと今頃、自分の机には書類が溜まっていってて…付箋が貼られていて…そんなことを想像して胸を傷ませるぐらいなら、休日出勤した方がまだ心が落ち着くのだ。

営業事務の人員が増える気配は一向にない。営業部の人員は常に募集しているのに。ここで、「お金を生み出す部署かどうか」の違いを感じる。

どちらも人件費がかかる。
しかし営業は、人員が増えれば売り上げ増につながる。
お金を生み出さない営業事務は、できるだけ少ないコストで済ませたい。

それが、営業所の論理だ。

実際、事務部が18時以降に残業する場合、申請書を出して所長の許可をもらわなければならない。申請の受理に30分ほどかかり、かえって時間の無駄だ。こっそり早出したり、休日出勤を行ったりして、埋め合わせをすると、残業代もつかない。つかなくていい。

仕事を終わらせないと。
早く入居者さんに契約書を送ってあげないと。
自分の休みなんて、どうとでもなる。

水嶋さんによると、申し込みから契約までの時間が空けばそれだけ、入居希望者のキャンセル率が高まるのだそうだ。実際、月に何件か入居申し込みキャンセルが出ることがあった。キャンセルというのが、一番やるせない。せっかく書類を準備したのに、それが全て無駄になってしまう。

お客さんがキャンセルの連絡をする時、決して、「対応が遅かったから」とは言わない。
「どうしても親に反対されて」
「どうしても他にいい物件があって」

申し込み後のキャンセルは向こうも申し訳ない気持ちがあるのだろう。
「どうしても」を強調していた。

要は、気持ちが冷めたのだ。

本当のところの理由はわからない。それでも、キャンセルの電話を受けて、営業担当、オーナー担当にそれぞれ伝言する時、茉莉也自身のせいなんじゃないか…、そう思ってしまう。

スピードは大事だが、ミスも当然許されない。一つ一つの書類に、個人情報が含まれているのだ。名前、新しい住所、電話番号。以前うっかり入居者の契約書を取り違えそうになり、水嶋さんからこれまでより激しく叱責されて反省した。疲れている、という言い訳は通用しないのだ。


茉莉也はやっとの思いで、付箋を対応済・未対応に分けた。

あんなにびっしりとついていた付箋がまばらになってきた。ようやく終わりが見えてきた。残りは、明日電話で仲介業者さんに聞かないとわからない。

水嶋さんからミスの指摘が書かれた付箋もあったが、直せばいいだけだと言い聞かせる。

茉莉也は、時計を見上げた。
10時ごろ来て、今は14時近く。4時間もかけて付箋の仕事を処理していたことに驚いてしまう。しかし、明日電話を受けながらだと、この3倍の時間はかかっていただろう。

一旦休憩、と腕を上に思いっきりのばした。
「ううううーーーっ!!」
静かな店舗に声が響き、伸びた腕に血流が流れる。心地が良い。休日出勤で、そういう気持ちになる時もあることが不思議だ。

人生で一度くらいは、ブラック企業で過ごすクリスマスがあってもいいかもしれない。ホワイトクリスマスならぬ、ブラッククリスマスだ。

(面白ワードを考えれば、なんでも…)

突然、茉莉也の思考を断ち切るように店舗の自動ドアが開いて、チャイムが鳴った。

(こんな時に、お客さん?困ったな、営業の人もいないのに…。)

茉莉也は来客用の声に急いで切り替える。
「いらっしゃいませ〜!すみませーーん、今日お休みなんですよーー」

そう言いながら受付の方に向かう。椅子にかけてあったジャケットを着ながら店先に向かうと、茉莉也は意外な来客に目を丸くした。


そこにいた人物は、営業の黒木じんさんだった。

(黒木さんが…どうして?)

茉莉也は戸惑った。

「黒木さん、今日は…休日ですよ?」
茉莉也がそう言うと、
「そっちこそ。あ、メリークリスマス」
白い歯を見せて、笑った。

第五話につづく)

#創作大賞2025 #お仕事小説部門

いいなと思ったら応援しよう!

亜麻布みゆ📕言の葉みゆフィーユ チップのご検討、ありがとうございます。 3歳児を育てつつ、スキマ時間に創作を続けています。 いただいたチップは、家事の時短や創作時間の確保に使わせていただき、より楽しい文章をお届けする力に変えていきます。応援が本当に励みになります。