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人事部付 真田雪乃の議事録<終-1 彼の瞳の色は >

これまでのあらすじ

雑談の重要性に気づいた真田雪乃さなだゆきのは、社内SNS上で匿名の相談ややりとりができる「ホンシャーマン」を発案。同期の山南とともに試験運用を始めるが、反応は今ひとつだった。

上杉部長の助言もあり、雪乃は“挨拶”から“雑談”へと切り口を変える。すると、営業所のリアルな声が少しずつ届き始め、雪乃はその中から惣菜自販機の導入という小さなアイデアを思いつく。

その時ふと、かつて厳しい言葉をぶつけてきた、しかし誰よりもお客様と現場を想うあの人の姿が浮かぶ。

ノートから切り取った“お礼のメモ”の欠片に導かれるように、雪乃は意を決して、彼に社内メールを送るのだった。
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最終章 人事部付 真田雪乃の議事録

第一話 彼の瞳の色は

「わぁ…この揚げ出し豆腐、すごい美味しいですね!」

揚げ出し豆腐といえば全体的にふわふわしているものだと思っていた。しかし、この揚げ出し豆腐は、外側が少しカリッとしているのだが、それを割ると中がもっちりとしている。それでいて、外側にも味が染みている、なんとも不思議な食感だった。

ここのお店はどの料理も格段に美味しい、というより、全ての料理の概念が覆される。アジの南蛮漬けは骨まで柔らかくて酸っぱさよりも甘みがあるし、だし巻き卵も丁度いいやわらかさで、雪乃の好みだった。

向かい側に座る門倉さんを間接照明の灯りが照らしている。
門倉さんは俯き加減で、表情が見えない。彼は、ビールを少しずつ飲んでいた。手元のお皿には、魚の背骨だけが綺麗に身を剥がされて残っていた。

From:真田雪乃

門倉さん

お疲れ様です。
また、大変ご無沙汰しています。
人事部の真田です。

急ぎではないのですが…門倉さんのご意見を聞きたくご連絡しました。
営業所へ業務用惣菜冷蔵庫の設置への提案を検討しています。
いくつかの要望はあったのですが、実際置くとなると、本当に営業所にとっていいのかどうか…進めかねています。

もしよかったら簡単で結構なので、門倉さんのご意見を伺えないでしょうか。お手隙の際に何卒よろしくお願いいたします。

真田

雪乃は散々文面を迷った。枕詞を付けたり語尾を消したり、不躾と回りくどさの周りを飛びながら、ようやくメールを送った。半日経って、SlackのDMが送られてきて飛び上がりそうになった。

門倉:メール見た。業務中は時間がないから、業務後に営業所の近くまで来てもらうことは可能?飯食いながら話そう。取り急ぎ。

門倉さんが指定した店は、南花営業所の面する大通りから一本入った路地裏にある小料理店、「なんはな」だった。

当日は、いつも履かないようなヒールが高めのパンプスを履いて行ったので、通勤するだけで脚が痛くなった。ふくらはぎをさすりながら、あまり業務が進まない日中を過ごし、呼吸が浅いまま、業務を終えた。

「そう、美味いか不味いか、それが問題だ」
急にハムレットめいた門倉さんの言葉に、雪乃は顔を上げた。

「自分の意見としては、そういうの置くなら、味覚に自信がある奴が試食した方がいいと思う」
惣菜冷蔵庫の話をしてくれてるのだ、と雪乃は気がついた。

「あと、汁物やこぼれるものは車の中に持っていけないからダメだな…」
「あ、そういう実用的なお話、聞きたいです!」
雪乃は「議事録」を取り出して、門倉さんの声を書きとめた。

門倉さんは持っていたビールのジョッキを置いた。
「個人的には、置いてほしいな。朝食を食べそびれた朝には最高にイライラするから」
雪乃は、門倉さんに会った時を思い出して、可笑しくなった。
「あの時…だいぶ口が悪かったですね…もしかして、朝ごはん食べてなかったんですか?」
そう言うと、門倉さんは軽く眉根を寄せてこちらを睨みつけてきた。
「違うって、それとこれとは…」

ただ、門倉さんは、前よりも眼光が和らいでいるようだった。
微かなグレーの瞳が間接照明に照らされてゆらめいた。

「門倉さんが穏やかになってしまったら...ちょっと寂しいです」

そう言うと、門倉さんがまるで独り言のように呟いた。
「好きな人には、優しくいたいんだ」

彼の口から、「好きな人」という言葉が発せられて、少しどきんとした。
けれども、その言葉を対処する術を雪乃は持っていなかった。

「じゃあ…好きな人には優しくしたらいいんじゃないですか?私には…そのままでいてほしいです!」

まっすぐ見て、そう言うと、門倉さんが「無茶言うなよ。」と呟いた。その後、雪乃が何かを言おうとしたのを、遮った。

「俺は...あの時まで、自分ばかりしか見えてなかったんだ。去年MVPを取れて、調子に乗ってた…というより、全部が怖かった…全てが、妬みや無能で自分を邪魔しているように見えた」

突然の語りに雪乃は驚いた。門倉さんは個室だというのに、雪乃にしか聞こえないような低く、柔らかい声でつぶやくように、語った。

「そんな時、営業所に1日だけ…真田さんが来てくれた。やっぱり最初は本社の奴ってことで、八つ当たりしてしまった。あの時、悪かった」
「そんな…」
「でも、真田さんが来た目的を知って、驚いた…純粋に同期のために動いている子がいるのに…俺ってなんで…自分のことしか考えてないんだろう。自分がすごく恥ずかしくなったんだ。それで…」

最後は、消え入りそうな声で、喧騒にかき消されてしまった。門倉さんは、残りのビールを飲み干し、手を上げて追加の注文をした。

こんな門倉さんを見たのは、初めて…
というより、そういえば、会ったのは今まで二回だけだ。

そして、ノートの欠けた部分を…
あの時の、門倉さんの声で満たしていただけだった。

そんなことを考えていたら、お互いが、黙っていることに気がついた。
なんとなく恥ずかしくなり、話題を変えた。

雪乃には、門倉さんにもう一つだけ、相談したいことがあった。

「実は...今度、門倉さんにお部屋選んでほしいんですよ」
門倉さんは、ビールを慌てて飲み込もうとして、ケフんと、軽くむせた。
「な…何用の?」

「私も、そろそろ親から独立しないとなぁと思って…ただ、朝が弱いので、ボロボロでも良いので…本社の一番近くで、探してほしいんです」

門倉さんは、「なんだ、早く言え」と小さく呟いた後、きっぱり言った。
「無理だな」
「なんでですか!」
雪乃はつい反発した。

「会社の近くに住むだろ?油断して余計寝坊するぞ。それにボロボロでもいいなんて…オートロック付きじゃないと危ないだろ?もうちょっと遠くだと、夜とか一人で歩くのも怖いし…結論、一人暮らしやめとけ」

先ほどのしんみりした口調とは打って変わって、いつもの…というか、前会った時の門倉さんに戻っていた。

「そんな不動産屋います?」
「俺は…向いてない人には勧めないんだ」

だから、雪乃は門倉さんに会いたかったんだ、と今になって気づいた。
門倉さんはうつむいて、残りのポテトサラダをつついていた。

会計を終え、「なんはな」を出ると、紺色の空に満月が出ていた。
11月の夜は火照った頬を冷やしてくれる。この路地裏は飲み屋街で、いくつもの灯りが窓から漏れていた。客の談笑する声がどこからともなく聞こえてくる。

門倉さんと並んで、黙って歩く。雪乃のヒールの音だけが、カツカツと鳴って踵に響いた。頭ひとつ分だけ、門倉さんは大きい。

なんとなく気まずくなり、早足で歩こうとしたら、パンプスのヒールがタイルの溝に引っかかった。

「あっ…」
よろけてしまい、思わず手をつく体勢になる。

その時。

門倉さんが無言で雪乃の腕を引いた。
そして、そのまま体ごと抱き止めた。

途端に鼓動が半音上がるのを感じた。

「よかった...事故の目撃者にはなりたくなくてね」
門倉さんの声が少し震えていた。彼の鼓動もまた高鳴っているのが、接触した身体から伝わってくる。

「助かりました...でも、もう大丈夫ですよ…門倉さん」

それなのに、門倉さんは体を離そうとしない。

息を少し吸い込む振動が聞こえた。
「雪乃さんって、鈍い…?」

夜風に包まれた門倉さんの体温を感じた。

「うん...鈍い」


最終話へ続く)

#創作大賞2025 #お仕事小説部門

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