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物語を紡ぐことは、誰かを温めるかまどを作ること。批判の言葉も古傷も、作品に活かしきる上田聡子の火入れの極意『あの子の隣で待つ春は』著者インタビュー

上田聡子:石川県輪島市生まれ。『金沢 洋食屋ななかまど物語』(PHP文芸文庫)がnoteから書籍化され、デビュー。鈴木出版月刊購読絵本「こどものくに ひまわり版」より刊行された絵本『ゆきのひのふろふきだいこん』の原作を担当。 そのほか、令和6年能登半島地震チャリティー同人誌『波の花 風吹く』『受け継がれたローカル線 ~富山・石川・福井 北陸三県鉄道賛歌~』(parubooks)に小説やエッセイを寄稿。北陸児童文学協会「つのぶえ」会員。



デビュー作『金沢 洋食屋ななかまど物語』から5年、上田聡子さんが新たに送る長編小説は、ふたりの女子中学生を主人公とした青春物語である。怪我が原因で大好きな陸上から離れてしまった山根朝佳。いじめが原因で不登校になったものの、物語を紡ぐことに救いを見出す戸田柚葉。ふたりの出会いが起こす小さな奇跡は、やがて周囲の人たちをも巻き込み、優しい変化を生み出していく。本書執筆のきっかけ、物語に込めた祈り、故郷能登への思いをうかがった。


「まるで自分の小説に命を吹き込んでもらえたみたい」自作の朗読ライブを聴き、感銘を受けた経験から生まれた物語

――中学生らしい悩みや葛藤の一つひとつに、ひたむきに向き合う主人公たちの姿が印象的な物語でした。本書執筆のきっかけ、経緯を教えてください。

上田聡子(以下、上田):2022年5月頃、文研出版の編集者さんとのご縁をいただき、一緒に構想を練りはじめました。私が最初に出したアイディアは、朝佳が単独主人公で、柚葉がその友人という設定だったんです。そこで編集さんから、「朝佳と柚葉の視点を交互に入れ替える」提案を受け、本書のW主人公の形が生まれました。

柚葉が書いた物語を、朝佳が朗読するようになる点が本書の肝でもあるのですが、見せ場ともいえる朗読会のシーンでもふたりの視点が入れ替わります。そこで生まれる効果が抜群だったので、この形にしてよかったです。

――中学生を主人公とした物語で、「朗読」をテーマに据えた作品は珍しいですよね。上田さんが朗読に興味を持ったきっかけ、本書で描きたいと思った理由をお聞かせください。

上田:私は2014年からnoteで短編小説を書きはじめたのですが、商業デビューする前、声優兼舞台女優の川瀬ゆう子さんから、「私の作品を朗読で使いたい」とご依頼を受けたんです。川瀬さんは、アコースティックユニット「NightOwl」のボーカル・作詞を担当されています。ご自身のライブでいつも朗読の時間を設けていて、ネットの海から見つけてくださった私の作品をそこで読みたいとのお話でした。

実際にライブ配信を見せてもらったのですが、川瀬さんの朗読が本当に素晴らしくて。まるで自分の小説に命を吹き込んでもらえたようで、とても感動しました。それで、この経験を物語にしてみたいと思ったのがきっかけです。

――作中でも、「物語を声に出して読むだけで、世界が立ち上がるんだね」という柚葉の台詞があります。このフレーズは、上田さんの作品を朗読してもらったときに感じた思いから生まれたのでしょうか。

上田:まさにその通りです。作中の台詞にもある通り、「ドラマみたいに聞こえる」んですよ。私は地方に住んでいるので、朗読の舞台にはあまり行ったことがないんですけど、ラジオドラマは聞いたことがあります。そのイメージに近くて、声優さんが生き生きとお話している様に感銘を受けました。

――朝佳の祖母は、目の調子が悪くなったことで、大好きだった読書があまりできなくなります。そこで、朝佳が自ら本を朗読するくだりがありますが、この場面もまた、朗読の奥深さを詳細に表していました。

上田:江戸時代は、読書といえば書物を声に出して読む「素読」が一般的だったようです。私自身も、商業小説を読書する際に声に出して読み上げることをよくやっています。それが、幅広い語彙を習得するのにもっとも近道だと気づいたためです。また、日本語の美しさを目と耳の両方で味わいたい気持ちもあります。

自分で書いた物語に、自分が励まされている。「人生の冬の時期」を描いたことで得られた気づき

――主人公のひとりである柚葉は、同級生の心ない言動をきっかけに不登校になりました。本書のあとがきで、上田さんにとっても「中学校という場所は、決して『通うのが楽なところ』ではなかった」との記述があります。柚葉が抱える葛藤を描く際、ご自身の経験と重なる部分も多かったのでしょうか。

上田:私は、今でこそ普通に人と話していますが、中学生の頃はクラスメイトとうまく会話ができませんでした。それゆえに、友人関係を築くのが難しくて、わりとしんどい学校生活でしたね。不登校にはならなかったものの、社会人になってからも人間関係の悩みは尽きなかったので、「学校を休んでしまいたいな」「会社をやめたいな」と追い詰められる気持ちはよくわかります。

自分の中に生まれたビビッドな感情を、物語のなかにハイライトとして編み込んでいくのが私の作風だと思っているので、これからもそういう書き方をしていくんだろうな、と。

――朝佳は、陸上から離れている間に、大切な友人である南美とギクシャクするようになります。しかし、朝佳も南美も、互いのことを嫌いになったわけではなく、単に気持ちがすれ違ってしまったために起きた関係性の衝突でした。

上田:人間関係ですれ違うとしんどいですよね。相手に自分の言葉が伝わらないと、本当にやるせない気持ちになります。でも、自分にとっての前提と他人にとっての前提は大体違っていて、重なるほうがまれだと思うんです。また、言葉に込めたニュアンスや把握している意味も違ったりする。そういった点においても、理解と誤解は紙一重だと感じます。

そもそも言葉自体が不確かなもので、私たちはその不確かなツールで相手のことをわかろうと努めている。それゆえに、自分からは見えないもの、見落としているものがたくさんあるのではないでしょうか。

――“自分にとっての前提と他人にとっての前提は違う”。この部分は、子どもだけでなく、大人も含めて見落としてしまいがちな部分ですよね。

上田:そうですね。私自身、昔はわりと甘えが強くて、相手の忙しさや都合を慮ることができず、何度か痛い目を見て気づきました。それ以降は、「他人をコントロールできない、したくない」との意識が強くなったように思います。

――怪我が原因で大好きな陸上から離れてしまった朝佳が、そこを転機として柚葉と出会い、新しい夢を見つけるストーリーに勇気をもらいました。朝佳のように「一旦休むこと」で大切なものを見つけるケースもある。これは、柚葉のように不登校に悩む子どもにも共通して伝えられるエールだと感じます。

上田:先ほど「不登校の経験はない」と申しましたが、実は20代の頃に心身の調子を崩してしまい、会社をやめて実家に引きこもっていた時期が4年ほどあるんです。また、昨年病気をえて、1年ほどゆるやかにお仕事をさせてもらったのですが、こういった「冬の時期」って、悪いことばかりではないんですよね。再び春を迎えるために調子を整えたり、じっと耐えてそのときにしかできない何かを積み上げたり。そのなかで、人生の羅針盤を正しい方向に置き直せると思うんです。

――本書のタイトルにも使われている「春」のワードに通じるお話ですね。

上田:『あの子の隣で待つ春は』というタイトルに込めた思いは、二つあります。実際に物語の節目を迎える季節の「春」、もうひとつは、うまくいかない人生の「冬の時期」を朝佳にも柚葉にも越えてほしい、どうにか明るい春を迎えてほしい、との願いでした。

本書終盤で、柚葉がある少女に語りかける場面があります。

“「怖いこととか、不安なこととか、たぶんいっぱい、あると思う。だめなときは、ずっと休んでいたって、いいよ。でも、どっかで必ず来るから。ちゃんと元気が出せるタイミングが」” (P202より引用)

この台詞は、本書刊行後のタイミングで病に罹った私にめちゃくちゃ響きました。自分で書いた本に、自分が励まされているところがあります。

「諦めること」を諦めた。自らの「好き」を手放さない意思

――学校に行けなくなるほどつらい思いをしたにもかかわらず、決して「物語ること」を手放さない柚葉の芯の強さが心に残りました。「物語を書いているときが、救われる時間」との台詞がありますが、これは上田さんの内心とも重なる台詞でしょうか。

上田:デビュー作『金沢 洋食屋ななかまど物語』を書き上げたとき、物語の執筆には自分を癒す側面があると感じました。当時、癒えていなかった失恋の傷が、作品を書き上げたことできれいさっぱり消えた感覚があったんです。でも、私にとって物語を書くのは簡単なことではなく、ある程度ストレスがかかることでもあるので、柚葉の心境とは少し違いますね。私にとって、一番ストレス解消になり、救われるのは料理です。

――料理は日常的にされるのでしょうか。

上田:そうですね。料理はいくらやっても苦にならないので。でも、いろんなことが雑なので、商売にはできません。趣味だからこそ、自分を救ってくれるところが大いにあると思っています。最近、SNSで朝ごはんの投稿をはじめたんですよ。

――先日、上田さんの朝ごはんの投稿をお見かけしましたが、とても美味しそうでした。「趣味だからこそ」という部分から、朝佳の高校生編の描写を彷彿とさせますね。

上田:ありがとうございます。私にとっても、朝佳の高校生編は思い入れの深いパートです。朝佳は、怪我をするまでは陸上選手になりたかったのですが、その夢が挫折したところから物語がはじまっています。その後、柚葉と出会い、物語と朗読の世界に魅せられ、新たな夢を見つけた朝佳は、自分が走る理由を「自分がただ走りたいから」と位置づけるに至りました。

“何か大事なものを、時間をかけて取り戻した気持ちだった。それはおそらく、子どものころに、陸上を始めたときの純粋な思いだ。” (P196より引用)

朝佳が最終的にこの境地に辿りつけたことを、本当によかったなと思っていて。私自身、もしプロの作家になれなかったとしても小説は書き続けただろうし、執筆を楽しもうとしていたはずなので。プロになれるかとか、稼げるかとか、大事なのはそこじゃないんだよってことを言いたくて、この一節を入れました。

――以前、『PHPくらしラク~る♪』(2022年3月号)に寄稿された上田さんの書評を拝読したのですが、スザーン・ロスさんの『漆に魅せられて』を取り上げていましたよね。書評の中で、印象に残った言葉として、「パッション(情熱)と信じる心を持つことよ!」を引用されていたのを、今のお話を聞いて思い出しました。

上田:私は10〜20代の頃、作家になりたいと思いながらもなかなか小説が書けなかったんです。どうにかやってみても全然うまくいかなかったので、周囲に「諦める」と50回近く言っていて……本当に情けないですよね。でも、何度諦めても、結局また「書きたい」と同じ道に戻ってきてしまう。これはもう、“諦めること”を諦めるしかないなと思って、「書きたいから書く」を続けた結果、今があります。

本書の刊行準備期間に起きた、能登半島地震。「できることを、やっていく」強い決意と、継続支援の必要性

――本書の刊行準備期間、令和6年能登半島地震が起きたことがあとがきで綴られています。当時の状況、心境について、ご無理のない範囲で教えてください。

上田:2023年の年末に、本書の初稿を書き上げました。それからほどなくして2024年1月1日の午前中に、夫と金沢の自宅から輪島の実家に向かい、お昼ごろに到着してみんなでくつろいでいたら、16時過ぎに地震が起きました。大津波警報が出たので、すぐに高台に避難したのですが、近隣の方が敷布団やマットレスを持ってきて、「これに座らし」と言ってくれて。毛布をいっぱい貸してくれたり、「水は流せんけど、どうぞ」と自宅のトイレを貸してくれた人もいて、ありがたかったです。

文研出版の編集者さんにも逐一状況を相談し、「スケジュールは調整できるので、またご相談ください」と温かいお返事をいただきました。2024年は、震災のことでずっとバタバタしていたのですが、編集者さんがいろいろとご配慮くださったおかげで、どうにかペースを立て直すことができました。

――令和6年能登半島地震チャリティー同人誌『波の花 風吹く』にも、震災当時の状況を綴ったエッセイと創作小説を寄稿されています。エッセイで綴られた「できることを、やっていく」の一言に強い意思を感じました。

上田:私の住まいは金沢なので、被災地から物理的に離れていてもできることとして、能登半島地震関連のクラウドファンディングの情報を随時noteにまとめて拡散していました。(2026年4月現在、当リストは更新停止中)そのほか、紅玉いづきさん、編乃肌さんと制作した令和6年能登半島地震チャリティー同人誌や『受け継がれたローカル線 ~富山・石川・福井 北陸三県鉄道賛歌~』(parubooks)にも復興応援をテーマに据えた小説やエッセイを寄稿しています。parubooksは、2024年11月に能登半島復興支援メンバーシップ「つなぐSupport NOTO note」を始動。こちらへも、短編小説や連載小説を定期的に寄稿しています。震災から2年が経ちますが、被災地にはまだまだ継続的な支援が必要です。

――思い入れのある故郷が被災地となり、大変な葛藤の中で、これほどの支援活動を継続することは決して簡単ではないと想像します。『波の花 風吹く』に収録された『キリコの灯かり、祭囃子の音』にも、読者へのエールが明確に込められていると感じました。

上田:エールを感じ取ってくださり、ありがとうございます。基本的にハートフルな作品が好みなので、自分の作品もそうでありたいと思っています。幼い頃から学生時代までは、特にむさぼるように本を読んでいたのですが、本がなかったら、きっとどこかで大きくつまづいていたんじゃないかな。

私は生来、「感受性が強く、生きづらい」子どもでした。本書で、柚葉が母親の電話を盗み聞きしてしまい、「あの子はね、感受性が強すぎる。だからきっと、生きづらいのよ」という台詞を聞いてショックを受ける場面があるのですが、この台詞は「あなたは、感受性が強すぎる」と当時の母が中学生の私に言った言葉そのままなんです。そのころの私は、なにかにつけて泣いて訴える子どもだったので、母はたしなめようとしただけで、悪気はなかったのだと思います。でも、私はその言葉に傷ついてしまって。ずっと忘れられず、深いところに残っていた古傷なので、本作で使いどころを見つけられてよかったです。

――物語のあちらこちらに、上田さんの体験が散りばめられているのですね。

上田:そうですね。デビュー作の『金沢 洋食屋ななかまど物語』を出したときも、少なくない読者さんに「好きな作品」と言ってもらえた一方で、一部「ご都合主義」「下手くそ」などとも言われ、さまざまな傷つきがありました。でも、本書を執筆する中で、その傷つきが昇華された部分もあって。

“わけもわからないままに、文化祭で柚葉の作品を読んだ自分は、いま思い返せば観客の指摘通り「下手」以外の何ものでもなかったはずだ。でも、あの日の「下手」から、すべてが始まって、今日ここにいる。” (P191より引用)

この一節は、デビュー作で批判されたからこそ出てきた言葉です。感受性が強すぎて周囲に馴染めず引きこもったり、生きづらくなったりしている人は多分いっぱいいて、中学時代の私も、紛れもなくそのひとりでした。でも、感受性のすべてを鈍感力に入れ替えてしまわずに大人になる方法はあると私は思っています。人それぞれではあるでしょうけど、どうにかしてその方法を見つけてほしいです。

――上田さんにとって、「物語を紡ぐこと」はどのような行為でしょうか。

上田:私にとって、物語を紡ぐことは、「誰かを温めるかまどを、れんがを積むところから作ること」かもしれません。かまどに例えたのは、最後に火を入れる作業がとても大事だからです。れんがを積んでかまどを作って、それらしい形にできたとしても、最後の火入れ具合で、その作品に命が宿るかどうかが左右されてしまう。私は遅筆なのですが、それはうまく火が入らない作品を商業で出してしまうのが何よりも怖いからです。

私の火入れの温度の調整は、自分のなかにある「こういうふうに書きたい」という思いから自然に定まってきたもので、noteで小説を書きはじめたときからずっと変わらず根底にあります。今回、本書をたくさんの学校で試験問題に使ってもらえたことで、自分の方向性が間違っていなかったのだと自信を持てました。これからも、私はこの方向で作品を書いていきたいです。

取材/執筆:碧月はる


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