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こころを観てきた私が、はじめて星にからだを重ねた夜

わたしが、星に“からだ”を重ねて読もうと思った夜の話です。
なぜ星を読むのか。ことばを添えたくなったのか。その理由が、ここにあります。


カウンセリングやセラピーという場で、
わたしはたくさんの「自己受容の物語」に立ち会ってきた。

泣きながら話してくれたこと。
ずっと言えなかった痛みや、あきらめ。
ようやくことばになったとき、
その人の輪郭が、すこしずつやわらかくなっていく。

そんな瞬間を、いくつも見てきた。

でも──
そんな仕事をしてきたわたし自身が、
ずっと“ふれてこなかった場所”がある。

 

たとえば、
ふれられると、からだがひらいてしまうこと。
思ってないのに、反応してしまう感覚。

それがある「わたし」は、
どこかでずっと、“なかったこと”にしてきた。

 

ある夜、なぜか急に、ホロスコープをひらいてみた。
何度も見てきたはずのその図に──
そのときだけ、まるで星のほうからふれてくるような感覚があった。

月とリリスが、ぴたりと重なっていた。
それが「3ハウス」、ことばと感覚の場所で起きていたことに気づいたとき──

ふと、こう思えた。

「これって、わたしのせいじゃないかもしれない」
「もしかしたら、最初から“そう感じるように”設計されていたのかもしれない」


それまでずっと、
セラピーや学びを通して「こころ」は見てきたけど、
“からだが感じる自分”にだけは、なぜか目を向けられなかった。

カウンセリングもセラピーも、結局は「自分を知って、受け入れる」ためのもの。
そして──占星術も、同じだった。

でも、星はちょっとだけ違ってた。
“恥ずかしくてふれられなかった場所”にまで、静かに、そっと届いてくれていた。

星は、わたしのなかの「恥じていた場所」にさえ、

「それでええよ」

って、声をかけてくれた気がした。

それが、すごくうれしかった。

 

とはいえ──
そのまますぐに「ことばにしよう」とは、思えなかった。

星に少し助けられても、
「誰にも共感されないかもしれない」って、やっぱりこわかった。

感じてしまうことがこわい。
反応してしまう自分が、きらい。

そんなふうに感じていたことを、
ひとに伝えるなんて、できないと思っていた。

 

でもある日、
うまれ故郷
京都・祇園の近くの小さな神社に、なぜか足が向いた。

鳥居をくぐったその瞬間、
ふいに、こんな言葉が内側から湧いてきた。

「自分を出していいよ」
「感じたことに、ことばを添えていいよ」

声ではなかったのかもしれない。
でも、まっすぐに届いてきた。

 

そのとき、はじめて思ったんよね。

これは“わたしにしか書けない処方箋”かもしれない。

ずっと恥ずかしかった感覚も、
なかったことにしていた疼きも、
ぜんぶことばにしていい。

星を読むという方法をつかって、
まだ名前のない“感じ方”に、ことばを添えていく。

それが、
わたしという“調律者”のかたちなのかもしれない。

――ほしのりりす


この連載は、ときどき「ことばの処方箋」を綴っています。
よければ、“すき”や“フォロー”でそっと知らせていただけるとうれしいです。

前回は──
📕 あなたは知ってる?月星座と惑星星座のこと。
わたしたちの感じ方や反応には、太陽だけじゃなく、
月や金星、火星といった“こころとからだ”の星たちが関わっています。
星に書かれた無意識のクセや、惹かれ方のヒントを、
少しやさしくひもといてみました。

次回は── 9/28 21公開
📗 「夜の処方箋」わたしの身体が黙っていた場所から、ことばが生まれた
感じてしまったあとに、そっとことばを添えるということ。
セラピーだけでは届かなかった“感じ方”に、
星とことばでふれていく、わたしなりの処方箋の話をします。

🌌 「よるの占星術|わたしをほどく、ほしの言葉」
あなたが隠してきた欲望も、やさしくほどいてあげる。
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ほしのりりす🌙🌑感じるよるの占星術 読み終えて、なにかが残ってしまったなら── その余韻を、そっと返してもらえると、うれしいです。 わたしはまた、ひらいて書ける気がします。

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