もう一つの月の光
こう見えて、私は結構音楽を聴いている。
物事を集中して考えるには、音楽で頭の中をいっぱいにするのが性に合っているから。
無心で目の前のことに没頭したいときはSlipknotか、Limp Bizkit。
なんでかはわからないけど、
ものすごく集中できる。
本を読んだり、
こうしてnoteを書くときにはクラシック。
しかも、圧倒的にピアノのものを聴く。
特に本に合わせることもないんだけど
その世界に深く潜るために、
私には音楽が必要。
そして、私の音楽の中心にはずっと
ドビュッシーがいた。
「夢」と「月の光」
「夢」のまどろみの中で置かれていく音。
どこにもたどり着かないまま、
意識がほどけていく。
柔らかいのに、決して曖昧にはならず
どこか、瞼の裏まで運んでくるあの感じ。
「月の光」のためらいながら置かれる音。
解決を急がないまま、
余白に光がたまっていくあの感じ。
聴くたびに、私は深く息をする。
ドビュッシーの音楽は
私にとって「祈り」の形そのものだった。
書き手として、
特に自分の内面を語る言葉を置くとき。
私の目指しているものが、いつもここにある。
——そう思っていた。
でもある夜
私の音楽の価値観が変わりそうになった。
その日の夜。
何の気なしに聴いた曲。
最初の数秒で、息がとまった。
「夢」のように意識がほどけていくのに、
輪郭がある。
夜の乾いた空気の中にはっきりと響くその音に、
私は心を奪われた。
力強いのにどこか切ない。
それでいて、とても優しいピアノの旋律。
そして、
およそピアノとは縁遠いと思っていた和楽器。
あの、息のこすれる音
西洋の楽譜には決して書き込めない、揺らぎ。
ドビュッシーが五線譜の中で
ぎりぎり掴もうとしていた「言葉にならないもの」
それが和楽器が一つ入っただけで
あっさりと、言葉としての存在感を放ってきた。
聴き終わったとき、私はしばらく動けなかった。
気づいたら涙がこぼれていた。
私の音楽の中心にいたドビュッシー。
——もしかしたら、超えるかもしれない。
本気でそう思った。
「かもしれない」と書くのは
まだ私自身が、
その大きさに追いついていないから。
そして「超える」と言い切ってしまうと
ドビュッシーへの長年の恩を
裏切るような気がするから。
でも、あの曲たちを聴いたあの夜
私の身体は、たしかにそう感じた。

この曲をつくった人がどんな想いだったか、
私は知らない。
どんな部屋で
どんな気持ちで指を置いたのか。
それはこれからも
たぶん、分からないまま。
でも、少しだけ想像することなら
私にもできる気がする。
そんな曲に出会えた私は、
なんて幸せなんだろう。
そして、これからもそんな出会いがあるのかもしれないって思えることが、こんなに嬉しいと思ったことはない。
これだから、
音楽との出会いはやめられない。
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