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「透析はしない」と決めた患者さんのために、薬剤師ができること。専門医不在の病棟で考えた、薬の引き算

はじめに

「正しい医療」を提案しても、
患者さんに拒否されて言葉に詰まった経験はありませんか?

この記事は、教科書どおりの正解が通用しない現場で悩む、
若手の看護師さん・薬剤師さんに
読んでほしいと思って書きました。

この記事で取り上げている症例は、複数の症例を掛け合わせており、個人が特定されないように配慮しています。

📚 この記事を読む前に、無料の3記事で土台を作っておくのがおすすめです。リンクを貼っておくので、のぞいてみてください。

  1. 【腎機能評価の前提】夏が来る前に知ってほしい。「真面目に薬を飲む人」ほど危ない、急性腎障害(AKI)の罠

  2. 【数字の見方】【健康診断の落とし穴】「クレアチニンは正常」を信じてはいけない理由

  3. 【意思決定の前段】CKD患者の生活を守る薬の話(マガジン)

その上でこの記事は、「治療を選ばない」と決めた患者さんに薬剤師が何をできるか、専門医不在の現場で考え抜いた実例をお届けします。


患者さんのことが、信用できない。

この症例の患者さんと初めて会ったとき、
私はそう思ってしまいました。

転倒による大腿骨骨折で入院してきた70代の男性。
会話はできるのに、こちらが話を深めようとすると、
すぐに切り上げてしまう。
しかも、聞いてもいないのに「便は毎日出てる」と繰り返す

手術前の採血で見えてきたのは、見過ごせない腎不全でした。

eGFRは10未満。
下肢浮腫もある。
前の病院でも腎臓専門医から透析導入の話は出ていたのに、
本人は「透析はしない」の一点張り。

改めて確認しても、
その意思は変わりませんでした。

痛みは強くてリハビリもままならない。
でも、普段なら使いたい痛み止めが、
この人の腎機能をさらに追い込むかもしれない

同居家族はいても、介護の余力は乏しい。
病棟は回復期リハビリテーション病棟で、
入院できる期間には限りがある。
しかも、今一番頼りたい腎臓専門医はいない。

問題がありすぎて、それぞれの職種が
正直何から手を付けていいかわからない状況でした。


私が最初にひっかかったのは、
痛みのコントロールではありませんでした。

排便コントロールが鍵になる。

そう直感したのは、
「便は出ている」という言葉に、
単なる返答以上の切迫感があったからです。

冒頭で、「患者さんのことが、信用できない」と言いましたが、
今振り返ると、私が見誤っていたのは
「患者さんが信用できる・できない」という視点そのもの
でした。

『この人は何を隠しているのか』
ではなく
『何を守ろうとしているのか』

そこから根本的に見直したとき、
ようやくこの症例の本当の難しさが見えてきました。

この記事でお伝えしたいのは、

薬剤師の仕事は「薬を正しく飲ませること」だけではなく
ときに
「薬を減らし、生活を壊さない仕組みをつくること」でもある

という医療現場のむずかしさです。

透析を拒否した末期腎不全の患者さんに、
薬剤師としてどう関わったか。

痛み、排便、腎機能、退院後の生活
-そのどれか一つだけをを立てれば、別の何かが崩れる。
そんな状況のなかで私が3か月考え続けたのは、
この人にとって本当に守るべきものは何か、ということでした。



「当たり前の痛み止め」が使えない恐怖と葛藤

骨折の痛みは、本人にとってはっきりとした苦痛です。
特に体動時の痛みが強く、
痛み止めを求める気持ちはごくごく当たり前の反応です。

けれどこの患者さんには、
その「当たり前」がそのまま通用しませんでした。

eGFRはすでに10未満。
下肢浮腫もあり、
末期腎不全として考えなければならない状態です。
こうした状況では、
普段なら選択肢に上がるNSAIDsを安易に使うことはできません。
痛みを和らげるための薬が、
残された腎機能をさらに追い込む可能性があるからです。

●なぜNSAIDsを使えないかの解説はこちらから

●腎機能についての解説はこちらから

だからこの症例では、まず最初に
「NSAIDsは使わない」ことを先に決めました

主治医と共有したのは、その前提のうえで、
痛みを取ってリハビリができる環境を整えることを最優先にする
という方針
でした。

ただし、それだけでは足りません。
痛みが残っているからと薬を足せば、腎臓にしわ寄せがくる。
だから並行して、
①脱水を招かないよう全身状態に目を配ること
②腎虚血を起こす可能性がある薬があれば中止を検討すること

—処方全体の見直しも考えていきました。

鎮痛の土台にしたのは、アセトアミノフェンの定期投与です。
開始時の1回量は300mg。
強く痛みを抑え込むというより、
腎機能への負担をできるだけ増やさず、
最低限の鎮痛を安定して支えるための選択でした。

実際に困ったのは、
痛みが強くなるタイミングが『食後』ではなかったことです。
本人が一番つらいと訴えたのは、リハビリのときでした。

そこでリハビリスタッフと相談し、
リハビリの時間をできるだけ固定したうえで、
リハビリの30分前に内服するよう時間調整を行いました。

それでも足りない場合には、1回500mgまで調整しました。
ここで、あえて取りにいかなかった選択肢があります。
それは頓用です。

目の前の痛みだけを考えれば、頓用は分かりやすい方法です。
けれどこの患者さんは、
退院後の生活まで見据えなければならない症例でした。

『同居家族がいても十分な介護力を期待しにくい』
という生活背景を考えると、
必要なときに自分で判断して追加で飲むという処方は、
かえって管理を複雑にする可能性がある。

だから私は、退院後も中断しにくい形を優先し、
できるだけ頓用に頼らない設計を意識しました。
専門医がいないなかで一番不安だったのは、
疼痛管理だけを考えればよかったわけではないことです。

痛みを取ってリハビリを進めたい。
でも、痛みを取る選択が、
別のかたちで腎臓を傷めるかもしれない。

しかも、処方の調整は退院後の生活にもつながっていく。
誰かに判断を預ければ済む状況ではなく、
限られた選択肢のなかで、
何を優先し、何を諦めるか
を考え続ける必要がありました。

薬剤師として一番つらかったのは、
痛みを取りたいのに、取りきれない
—その現実を何度も突きつけられることでした。

痛みがある人の前で「これ以上は簡単に足せない」
と考えるのは正直苦しい。
けれどこの症例では、効かせることだけを優先すると、
別のところが崩れる。

だから必要だったのは、強い薬を足すことではなく、
"いつ痛いのか"に合わせて、
限られた選択肢を最も意味のある形で使うこと
でした。
この患者さんとの最初の格闘は、まさにそこから始まりました。


SDM(共同意思決定)—「正しい医療」より「患者の人生」を優先する

正直に言えば、
この場面は教科書どおりのSDMではありませんでした。

十分な情報を共有して、
患者さんも医療者も納得したうえで一つの方針を選び取る。
そういう理想的な共同意思決定とは、少し違っていました。

本人に透析のことを尋ねると、
返ってきたのは切実で整理された言葉ではなく、ひと言——

「めんどくさい」

透析が必要になりうる状態であることを、
どこまで理解していたのか。
最後まではっきりしませんでした。

必要性を十分に理解したうえで拒否していたのか、
よく分からないまま嫌がっていたのか、
その境目は曖昧でした。

説明そのものを避けたがる様子もあり、
こちらが話を深めようとしても、どこかで切り上げようとする。
ベッドサイドで印象に残っているのは、

「なんだっていい」
「専門の医者もいないじゃないか」

という言葉です。
その言葉を前にすると、
医療者としての"正しさ"は、思った以上に無力でした。

もちろん、この入院中に透析導入までは行わないとしても、
退院後にもう一度、
腎臓専門医へ相談したほうがいいと伝えていました。

けれど、本人の意思はかたくなでした。むしろ
こちらが"正しい話"を差し出すほど、そこから距離を取ろう
としているようにさえ見えました。

ここで私たちは、一度立ち止まるしかありませんでした。

この人に今必要なのは、
透析を受ける決心をしてもらうことなのか。
それとも、まだ受け止めきれない現実のなかで、
今の生活につながる道を整えることなのか。

本音を言えば、医療者としては透析をしてほしいと思います。
透析をしなければ、いずれ限界が来る。
それは分かっている。
でも、目の前の患者さんはその話を受け取る状態にない。

そして、こちらも腎臓専門医はいない。
ならば、この病棟で無理に答えを出させようとするより、
まずは残っている腎機能を少しでも守りながら、
自宅退院へ向けた現実的な支援を組み立てることのほうが、
この場にいる自分たちの役割に近いのではないか
——私のなかで、そこで軸足が変わりました。

最終的に医療側の目標は、
「透析導入を前に進めること」 から、
「まずは自宅退院を調整し、そのうえで腎臓専門医へつなぐこと」
へと整理されていきました。

このとき痛感したのは、
医師の専門性が患者さんに与える影響の大きさです。
「専門の医者じゃないじゃないか」という言葉は、
患者さんの警戒と拒否の根っこを、
そのまま表していたのだと思います。

だからこそ私は、
この局面で無理に"正しい選択"を押すのではなく、
ここでできること

残っている腎機能を守ること、
症状を悪化させないこと、
次の受診につなげること

に徹しようと考えるようになりました。

患者さんの人生にとって大事なのは、
医学的に正しい道をその場で選ばせることだけではない。
まだ受け止められない現実を前にした人に
無理に結論を迫るのではなく、
今できる範囲で、次につながる形を残すこと。

共同意思決定とは、いつも綺麗に成立するものではない。
それでもなお、医療者が諦めずにできることはある。
この症例を通して、そのことを強く感じました。


「たかが便秘」が命を縮める——立ちはだかる"薬のジレンマ"

私が早い段階から気にしていたのは便通でした。

本人は「毎日出ている」と言う。
けれど、聞くたびに話は少しあやふやで、
「どうだったかなー。あー出た出た」と曖昧になることもある。
便を見せてほしいと伝えても、
いつも流してしまって見せてくれませんでした。

最初の私は、そこに"あやしさ"ばかりを見ていました。
でも、途中ではっとしたんです。
あるとき本人が言った——

便を見せろというのが、
俺にとって恥ずかしいことだとは思わないのか

という言葉。
あまりに当たり前でした。
当たり前すぎて、医療者の側が忘れてしまいやすいことでした。

便秘を軽く見られない理由は、ちゃんとありました。
この患者さんはカリウムが高く、
カリウム吸着薬を高用量で使っていました。
便が硬くなるリスクは無視できません。
鉄剤も便秘を悪化させうる。
さらに、掻痒感も強くなってきていた。

末期腎不全の患者さんで便通が滞ることは、
単なる不快症状の問題では済みません。
近年、医学の世界では「腸腎連関(ちょうじんれんかん)」
という言葉が注目されています。

腸腎連関のイメージ

便秘によって腸内細菌のバランスが崩れると、
腸内で「尿毒素」が過剰に作り出されます。
それが血液に溶け出して全身を巡り、
残された腎臓の機能をさらに破壊したり、
心臓や血管に致命的なダメージを与えたりするんです。

だから私は、この人にとって
便は"ただの便"ではないと思っていました。
便秘の放置は、命を削ることに直結するからです。

ただ、ここでも話は単純ではありませんでした。
便秘の時によく使われる酸化マグネシウムは、
この腎機能では選びにくい。

他の薬も頭には浮かびましたが、
用法によっては患者さんの生活では続きにくい可能性がある。

最終的に使ったのはラクツロースでした。
派手ではないけれど、腎機能の制約のなかで
現実的に運用しやすい形を選んだつもりです。

でも、本当に大変だったのは、
薬の選択そのものではありませんでした。
本人の申告があてにならないように見える状態で、
どうやって排便管理を成立させるか。
これが一番大変でした。

「便が出ていないと危ない」
——そのことを正面切って説明しても、
たぶん最初は届かなかったと思います。

だから最初は、説明するより先に、
顔を見に行くことから始めました。
「様子を見に来ましたよ」くらいの距離感で、
「また来たのか。あんたも暇だねー」
と悪態をつかれながらも毎日少しずつ関わる。

便の話だけをしに行く人にならないようにしながら、
それでも少しずつ関係を積み上げていく。

そんな関わりを続けているうちに、
あるとき相手のほうから——

「なんでそんな便のこと気にするの?」

と聞いてきてくれました。
そこで初めて私は、ちゃんと説明するモードに入れました。

あの一言は、
こちらが説明する許可をもらえた瞬間だったのだと思います。

それまでは、医学的には正しい話でも、
本人にとっては、ただズカズカと踏み込まれるだけの話
だったのかもしれません。
でも、関係が少しできてからは違った。
便秘がなぜ危ないのかを、少しずつ共有できるようになった。

そして最終的に、本人は打ち明けてくれました。

「実は固いんだ」

その一言を聞いたとき、
私はようやく、
この人の便秘を"管理できる情報"としてではなく、
この人自身の困りごととして受け取れた気がしました。

便が出ているかどうかを把握することは、
医療者にとっては管理項目です。

でも患者さんにとっては、
恥ずかしさがあり、
見せたくなさがあり、
言いたくなさがある。

その当たり前を飛ばしてしまうと、
どれだけ正しい薬を選んでも、介入はうまくいかない。

便通管理とは下剤を選ぶことではなく、
"話せる関係"をつくって初めて成立する医療だ。
この症例で、そのことを強く学びました。


退院後の「たった一人」を見据えた、極限のポリファーマシー是正(引き算)

この症例が難しかったのは、
薬の数が極端に多かったことではありません。

この人が退院したあと、
本当に飲み続けられる形になっているか

ということでした。

同居家族はいる。
けれど、服薬管理をしっかり担える状況ではない。
平日はデイサービスを利用する予定がある一方で、
本人には服薬のドロップアウト歴もあり、
本人任せにすれば、いずれ飲まなくなる可能性が高い。

つまりこの患者さんの退院支援で必要だったのは、
「理想的な処方」を残すことではなく、
この生活のなかで、どこまでなら回るかを見極めることでした。

この症例の「引き算」は、
単に剤数を減らすことではなかった
——ここからは、実際に何をどう「引き算」したのか、
引き算の本当の意味をわたしなりに解釈してお伝えします。

この続きでは、
・レバミピドの中止
・カリウム吸着薬の減量
・デイサービスへの服薬移行
という「3つの引き算」の具体的な思考プロセスと
実際の会話を公開しています。

「教科書どおりにいかない場面で薬剤師は何を考えるか」——
リアルな臨床判断を知りたい
若手の看護師・薬剤師の方に届けたい記事です。

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