干すのを諦めて、ドラム式洗濯機に魂を売った
洗濯なんてボタンひとつで始まるというのに、その後の工程が多すぎる。
洗ってしまったあとがもうすこぶる面倒くさいのは一体どういうことだろう。
濡れた衣服を前にしては、もう前に進むことしかできない。
絶対的に、どれだけ嫌でも、面倒くさくても、忙しくても、干すしかないのである。
私しかこの家に人間がいない以上、こいつはそうしないと永遠に乾かず、挙句の果てには悪臭を放つようになるのだから。
その上、乾いたら乾いたで取り込み、それを畳まなければならないと来た。
ええい、工程が多すぎる。
一回着たものはばっちいからと全部捨てるような、クリーニングに出すような。
俺はセレブになりてえ!!(ドン!)
……カスのルフィみたいな願望である。
とはいえそんな桁外れな財力はないわけで、私は『洗濯物を干す』という行為だけでも放棄しようとドラム式洗濯機に魂を売った。
縦型の洗濯機とは異なりお値段の良さにめまいがしたが、私はそのためにちまちまと貯金を続けてきた女である。 ここで日和って別のものを買えば、今までの自分の努力とこれから苦労する未来に申し訳が立たない。
えいっ! と気合を入れて社会人たる威武を示した。
結果、まるっと『干す』という工程が消失し、あまつさえピ────ピ───ッと洗濯機に催促されたときには、ふっかふかのあったか洗濯物とご対面できるようになったのである。
神。
控えめに言って神。
いやこの場合は悪魔であろうか。
どちらでも良い、私の生活を助けてくれる存在が私の神なのである。
内容量は縦型に劣るがそこに目をつぶっても、干すという工程そのものを抹消できたのはありがたい。
あたたかくふかふかの洗濯物を抱きしめる喜びは、干したてのお布団に埋もれる至福に勝らずとも劣らぬはずだ。
ただし、残念なことにこの幸せは長くは続かない。 第2工程は文明によって消し飛んだとはいえ、第3工程はご健在なのだ。
しかしこれはどうしてもやらなければならない、ものではない。
自分さえ目をつぶれば、自分のズボラさを自分で赦しさえすれば。 こころの強さで克服できるはずのものだ。
ってことで、今も洗濯物が畳まれずに部屋の隅に山になっているってわけ。
こころの強さってこういうことだったかな。普通だったらこの乾燥までしてくれるドラム式洗濯機に感謝して、あとは任せろ、と言わんばかりに畳んで仕舞うってオチじゃないんですか?
うわ、書いているあいだに工程が増えている。
そうだった、しまわなくちゃいけないんだ洗濯物って……。
だったらせめてそろそろ洗濯物が自動で畳まれる機械とかは出ませんでしょうか? 仕舞うところは何とか人間が頑張るので……。
……出ない?
そっかー……。
────家事というのは、終わらせるものではなく、
どうにか自分が続けられる形に変えていくものなのかもしれない────。
私は今日も、洗濯物の山を横目に見ながらそう思っている。
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