老舗と呼ばれるには、あと五十年 ——二代目経営者が考える、老舗の条件と会社が長く続く理由
前回、礎と花の話を書きました。礎の上にだけ、その人ひとりの花が咲く、と。
今回は、その礎を五十年積み続けた先にある言葉の話です。老舗、という言葉です。
弊社は、ありがたいことに、老舗と呼んでいただくことがあります。自分たちでも、老舗のお菓子屋、と名乗ることがあります。創業から五十年余り。福井でお菓子を焼き続けてきた年月を思えば、そう名乗ることに嘘はないつもりでした。
ところが先日、ふと気になって調べてみると、老舗と呼べるのは創業や設立から百年以上経った会社、という定義があるそうです。そこまで続いた会社は、日本中で百社に三社ほどだとか。
その定義でいくと、弊社が老舗と呼ばれるには、あと五十年ほど足りません。
正直に言うと、少し嬉しくなりました。
まだ半分なのか、と思ったからです。
老舗という言葉は、たいてい過去形で語られます。長く続いてきた会社。伝統を守ってきた会社。歴史のある会社。どれも、うしろを振り返る言い方です。続いてきた年数そのものが、称号の資格であるかのように。
しかし、父が創業した昭和四十八年に、老舗を作ろうと思って始めたわけではないはずです。目の前のお客様に、今日のお菓子たちを届けようとしていただけです。その一日が、たまたま五十年分、積み重なりました。
続くことは、目的ではありませんでした。単なる結果です。
弊社の社員向けのハンドブックの、経営の原則のいちばんはじめに、こう書いています。目的は、生き残ることです、と。長く続いた会社という称号をいただくことではなく、明日も掘り続けていられること。それだけが目的です。
五十年の間には、掘る手を止める理由なら、いくらでもあったはずです。それでも止めなかった、というだけのことです。老舗の中身は、続いた長さではなく、やめなかった回数——やめる理由が並んだ日に、それでも掘るほうを選んだ回数のことです——なのだと思います。
だから私は、老舗を過去形ではなく、現在進行形で考えることにしました。私はこれを「現在進行形の老舗」と呼んでいます——長く続いたという称号ではなく、今日もまだ同じ穴を掘り続けている、という状態のことです——。
こう考えると、守るものと変えるものの区別も、はっきりします。
守るのは、穴の位置です。福井で、お菓子を、深く。ここは動かしません。
変えるのは、掘り方です。道具も、作り方の細部も、伝え方も、時代に合わせて変えていい。というより、変え続けないと、同じ深さには留まれません。昨日と同じやり方を繰り返すだけの会社は、守っているようでいて、実は少しずつ浅くなっていきます。砂は、放っておけば崩れ落ちてきますから。
伝統を守る、という言葉が少し苦手なのは、このためかもしれません。守られるだけの伝統は、たぶん止まった伝統です。事業承継というと、出来上がったものをそっくり受け取る話に聞こえるかもしれませんが、二代目の私が父から受け取ったのは、完成した形ではなく、掘りかけの穴でした。だとすれば、私の仕事は保存ではなく、続きを掘ることです。
あと五十年。
私一人では、届かない年月です。けれど弊社には、並んで掘ってくれる仲間がいて、礎の上に自分の花を咲かせようとしている人たちがいます。私の次に掘る人も、そのまた次に掘る人も、きっとこの穴の続きを掘ってくれるはずです。
百年経った日に、弊社はようやく、定義の上でも老舗になります。ただ、その日が来ても、たぶん同じことを言っている気がします。まだ途中です、と。
老舗とは、長く続いた会社に贈られる称号ではなく、今日もまだ同じ穴を掘り続けている会社の状態のことだと、私は考えています。
福井の田んぼの真ん中より。
株式会社五月ヶ瀬 二代目 瀬川裕司
