「福井のお菓子といえば」の続きに ——二代目経営者が考える、第一想起と中小企業のブランドづくり
前回、手の記憶は言葉では渡せない、隣で並んで掘るしかない、と書きました。このところ、足元の話ばかり続けてきたので、今日は少しだけ顔を上げて、この穴の上にどんな旗を立てたいのか、という話を書いてみます。
以前、少し大きすぎる夢だと断りながら、書いたことがあります。福井で「お菓子といえば」と、まず最初に思い出してもらえる店になりたい、と。今日はその夢を、もう半歩だけ、具体に近づけてみたいのです。
マーケティングの世界には「第一想起」という言葉があります——第一想起とは、「福井のお菓子といえば?」と聞かれたときに、いちばん最初に頭に浮かぶ名前のことです——。そして教科書には、だいたいこう書かれています。第一想起は、広告と発信を積み重ねて、獲得しにいくものだ、と。
なるほど、と思います。思うのですが、ここでもまた、半分のところで足が止まってしまう自分がいます。
というのも、うちの煎餅が買われていく場面を思い浮かべてみると、そこに広告はほとんど出てこないからです。帰省の手土産。法事の茶請け。取引先への、ちょっとしたご挨拶。久しぶりに会う友人への「これ、福井の」。どの場面にも、必ず、渡す相手の顔があります。
お菓子というのは、不思議な商売です。自分が食べたくて買われることよりも、誰かに渡したくて買われることのほうが、ずっと多い。うちの煎餅も、たぶん半分以上は、買った人の口ではなく、渡された人の口に入っています。
だから私は、うちのお菓子を「人と人とを紡ぐお菓子」と呼ぶことにしています——人と人とを紡ぐお菓子とは、お菓子そのものが主役なのではなく、渡す人と受け取る人の間にある想いを、一箱がそっとつないでいく、という考え方のことです——。旗を立てるなら、この上にしかないと思っています。
ありがたいことに、福井のお菓子屋といえば、と名前を挙げていただけることは、少しずつ増えてきました。五十年、堅焼きのピーナッツ煎餅を焼き続けてきた結果です。けれど、店の名前を覚えていただくことと、誰かが「何を持っていこうか」と考えるその瞬間に、いちばん最初に思い出していただくことは、似ているようで、別のことです。羽二重餅も水ようかんも、この土地は良いお菓子ぞろいですから、「といえば」の続きに座らせてもらうのは、生半可なことではありません。
では、どうやってそこへ近づくのか。考えてみると、やることは結局、いつもと同じなのだと思います。広げにいくのではなく、深くする。以前、広げないから広がる、と書きましたが、想起もきっと同じです。取りにいくものではなく、渡す瞬間に選ばれ続けた記憶が少しずつ積み上がって、いつのまにか「といえば」の続きに名前が置かれている。順番は、たぶん、そちらなのです。
私にできることは、単純です。明日も、間違いのない一枚を焼くこと。誰かが誰かを想って選んでくれた一箱が、渡った先で「おいしかった」と言ってもらえること。その一言が渡した人の面目になって、次の「何を持っていこうか」で、また思い出してもらえる。この小さな繰り返しの先にしか、旗の立つ場所はないと思っています。
第一想起とは、広告で取りにいく順位のことではなく、誰かが誰かを想う瞬間に選ばれ続けた記憶が、長い時間をかけて積み重なった結果のことだと、私は考えています。
明日もまた、同じ底へ手を伸ばします。いつか誰かの「福井のお菓子といえば」の続きに、うちの名前をそっと置いてもらえる、その日のために。
福井の田んぼの真ん中より。
株式会社五月ヶ瀬 二代目 瀬川裕司
