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一つだけの花は、礎の上にしか咲きません ——二代目経営者が考える、属人化という差別化と、説明書としてのマニュアル

前回、旗の話を書きました。いつか誰かの「福井のお菓子といえば」の続きに、弊社の名前を置いてもらえたら、と。

書き終えてから、ひとつ気になったことがあります。その旗は、弊社の一番深いところが、今よりもっと深くならないと立たないな、と。

深いところ、というのは、たいてい特定の誰かの手の中にあります。福井の湿度に合わせて焼き加減を決める、あの「もう少し」。文字にすればそれだけのことが、その人の手でしか出せません。

世の中では、こういう状態を属人化と呼んで、なくすべきものとして扱います。マニュアルにして、誰でも同じようにできるようにしなさい、と。

けれど私にとって、属人化とは、プロフェッショナルのことです——属人化とは、その人でなければ作れない、という状態のことです——。そして、誰にでも作れるものは、そもそも差別化になりません。弊社が選んでいただけている理由があるとすれば、それは誰にでも作れないところに残っているはずなのです。

もちろん、直したほうがいい属人化もあります。誰がやっても同じでいい仕事が、たまたま特定の人に貼りついているだけの状態。これは、その人が休んだ日に会社が止まるだけで、誰の得にもなりません。

ですから私は、属人化を二つに分けて考えています。なくすべき属人化と、深めるべき属人化——その人でなければ出せない差が、そのままお客様にとっての値打ちになっている領域のことです——。職人の腕前は、後者です。標準化して薄めるところではなく、もっと深く掘り進めるところだと思っています。そこを誰にでもできるところまで薄めてしまったら、弊社の煎餅は、弊社の煎餅でなくなります。

では、マニュアルは要らないのか。

ここが、私がいちばん誤解されたくないところです。答えは逆で、その深いところへ行くためにこそ、マニュアルが要ると思っています。

弊社の社員向けのハンドブックに、こんなふうに書きました。マニュアルは礎であって、そこには「なぜそうしないといけないのか」が書いてあるだけのものです。そして、その礎の上に、一つだけの花があります。

これから先のマニュアルは、指示書ではなく、説明書であるべきだと思っています——指示書とは「こうしなさい」と手順だけを並べたもの、説明書とは「なぜそうしないといけないのか」を説明したもののことです——。

指示書は、その通りにやる人しか育てません。なぜこの順番なのか、なぜこの温度なのか。理由が書いてあるから、条件が変わった日に、その人は自分で考えることができます。理由を持たない人は、いつもと違う朝が来た瞬間に、手が止まってしまいます。

だから弊社では、個性は型を染み込ませた者に後からにじみ出る、と言い続けています。

世界に一つだけの花、という歌があります。良い歌だと思います。ただ、あの言葉には、ひとつ落とし穴があるようにも感じています。自分は最初から特別なのだから、そのままの自分でいい。そう受け取ってしまうと、型を身につける前に、自分流を探しにいくことになります。

ハンドブックには、はっきり書きました。オンリーワンでいいという言葉を真に受けて、最初から自分流を探すと、何者にもなれません、と。真似すらできない人に、自分のやり方は生まれないからです。

花は、礎という土の上にしか咲きません。礎を飛ばして咲かせようとしたものは、たぶん花ではなく、ただのばらつきです。

そう考えると、マニュアルは属人化をなくす道具ではないのだと思います。むしろ、深めるべき属人化に一日でも早くたどり着いてもらうための、いちばん確かな近道です。標準化は、差別化の敵ではありません。差別化にたどり着くための、最初の一歩です。

このあたりで、教え方も自然と二つに分かれます。手順や知識のように、マニュアルに起こせるもの。弊社ではこれをティーチングと呼んでいます——ティーチングとは、マニュアルに起こせる仕事のことです——。ここは迷わず教えて、標準化してしまったほうがいい。「自分で考えてみて」と突き放すのは、この領域では、ただの時間の無駄です。

もうひとつは、マニュアルに起こせないもの。状況ごとの判断です。これがコーチングです——コーチングとは、答えを先に与えず、本人に考えさせて、答えをすり合わせながら育てていく過程のことです——。花が咲くのは、こちら側です。以前書いた手の記憶——配合や工程の知識ではなく、手と目に染み込んでしまった判断のことです——も、ここにあります。

見分ける基準は、ひとつだけです。マニュアルに起こせるかどうか。それだけを、弊社は物差しにしています。

そして、この物差しは、社長にもそのまま当てはまります。

私の仕事のうち、礎として書けるものは、書いて渡していったほうがいい。渡していくと、両手が空きます。

世の中では、こういう状態を「社長がいなくても回る会社」と呼ぶようです。ただ、私はこの言い方をしません。弊社で目指しているのは、社長の身に何かあったとしても継続する会社です。会社の目的は、まず生き残ることですから、誰か一人の体調や都合で止まってしまう作りにしておくわけにはいきません。

とはいえ、現場を離れた社長は、外から見れば何もしていないのと区別がつきません。職務怠慢だと言われても、返す言葉に困ります。

それでも手を離すのは、両手がふさがっていると、次の穴が掘れないからです。

今の穴を守る仕事には、私よりずっと上手な人たちがいます。けれど、まだこの世にない仕事を始める判断だけは、誰にも代わってもらえません。次の柱になる商品を考えること。まだ取引のない土地を見に行くこと。十年後に弊社の穴を掘っている人を育てること。どれも、今日やらなくても誰にも叱られない仕事です。だからこそ、社長が手を空けておかないと、いつまでも始まりません。

誰にでもできることで一日が埋まっている会社は、誰にもできないことを、誰もやっていない会社でもあります。手が空いていないことと、仕事をしていることは、同じではありませんでした。

マニュアルとは、誰でも同じにするための指示書ではなく、なぜそうするのかが書かれた説明書=礎のことで、その上にだけ、その人ひとりの花が咲くのだと、私は考えています。

明日もまた、同じ底へ手を伸ばします。弊社の土の上に、まだ見たことのない花が咲く日のために。

福井の田んぼの真ん中より。

株式会社五月ヶ瀬 二代目 瀬川裕司

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