祭りと、地域と、絆。
人。もの。場所。
出会いは偶然でなく、きっと理由がある。
それが、「祭り」であるならば、尚更に――
今はようやく普通に楽しめるのだが、小さな頃から祭りへの参加など、考えることすら避けていた。大勢の知らぬ人々に接することは恐怖でしかなかったから。日本人らしく、祭りにはどうしようもなく惹かれるのに。
先日のりょーやんさんの記事を読み、ちょっと書きたくなった。
いつも良質な記事を発信されているりょーやんさん。この記事は特にわたしの心に響いたんだ。新たな気づきと読んだことによるわたし自身の変化、これからどうしていきたいのか、考えてみたんだ。
未読の方はまずこちらからどうぞ。
祭り。
りょーやんさんはこう書いています。
「祭る」とは、
神があらわれるのを待ち、
神の権威に服する行為でもあったことになる。
「祀る」「奉る」といった漢字も使われますが、
上記の意味合いは
どの漢字表記にも共通する部分がある。
「祭り」という存在は、
語源的にも非常に神聖で、
厳かに「神」という存在を
崇め奉るものでもあるということです。
小さな頃のわたしは、日本神話の神々に畏怖を感じていた。
畏怖はいつしか畏敬の念となり、自然と神社へ足を運ぶようになった。
生まれ育った街では、盆踊りはあったが祭りらしい祭りはなかった。そのため、長いこと神輿や山車といったものに縁のない生活だった。
今住んでいる地域には、小さいながら天満宮がある。地元の若者が積極的に祭りを盛り上げている。
一方で、祭りの存続自体が危ぶまれる地域もある。隣の地域では、子ども会の存続が危うい。同時にその地域の祭りの存続まで危ういことがわかった。子ども会が無くなれば、祭りも無くなるとのこと…
ご縁があり、地域と祭りとわたしは繋がった。ならば、祭りが受け継がれていく為にできることをしよう。
見えない何かに誘導されてこの街へ来た。そしてここへ根を下ろした。その意味を、確かめたい。
…記事を読みながら、何故かそう思った。
りょーやんさんの記事には、知らなかった大切なことが書かれてた。
それは、「絆」という言葉のもつ意味。
祭りというものが人々の団結と絆を生み出すための営みであるなら。
それを妨げようとするどんなものにも、屈してはならない…
わたしも、もしかしてあなたも、
「絆?ちょっと、正直うっとおしいよ…」
なんて思うこと、あるかもしれない。
どうやら、それは正解。
ほだし。
そういうことらしい。
「うっとおしい」以上の関係だからこそ、特別なのだと…!
子を育てるようになり、生まれて初めて山車を子どもたちと引いた、昨年の夏祭り。
実はわたし自身も、この時に自分に生じた感覚を今でも鮮明に覚えている。
―自分は天と地と繋がるひとつの魂であり皆と繋がっている―

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