月夜の里の不思議な日常
その里は、地図には載っていない。
ただ、心が少し疲れた時にだけ、
ふわりと現れる場所。
壱:竹林の『月うさぎ茶屋

一番に足を踏み入れたのは、
静かな、静かな竹林の奥。
そこには、今夜だけ開店した、
お姫様のアルバイト先がある。
月明かりの下、竹の葉が擦れる音を背に、
かぐや姫は微笑む。
「いらっしゃいませ。
お月様そうじの合間に、冷たいお茶はいかが?」
彼女が運ぶのは、
月のしずくを固めた、きらきらと輝くわらびもち。
お手伝いの月うさぎたちが、
一生懸命、天の川を磨いている、
そんな夢のような、ひととき。
弐:狐たちの『大作戦

茶屋を後にし、
さらに奥へと進むと、
賑やかな声が聞こえてきた。
今夜は、里一番のハレの日。
でも、それは「人間には秘密」の、特別な日。
何百もの提灯が、夜を昼のように照らし、
着飾った狐たちが、そわそわと行き交う。
彼らの手には、おかしな看板。
「天気あやつり作戦!」「人間の目あざむき作戦!」
「絶対に、最高の一日にするんだ!」
みんなの想いが、一つの大きな光となって、
満月の下、白い花嫁の列が、
静かに、そして誇らしげに、進み始めた。
参:お地蔵様の『井戸端会議』

狐たちのパレードを見送り、
少し離れた、静かな路傍の石畳へ。
そこには、満開の桜の下、
小さくて、丸い、5人の神様が座っていた。
「最近の人間さんは、忙しそうだのぉ」
「願い事は多いが、お参りしてすぐ帰ってしまうわ」
お茶を啜り、お団子を頬張りながら、
彼らは、人間の事情を、のんびりと語り合う。
でも、その声は温かい。
「腰が痛い人、増えたなぁ。……少し、さすってやろうか」
「わらしたちのこと、忘れんといてほしいわぁ」
どんなに時代が変わっても、
彼らはここで、
ずっと、私たちを見守ってくれている。
終幕:交差する世界
ふと、気がつくと、
桜の香りは消え、
足元のアスファルトには、街灯の光が落ちていた。
スマホの画面には、いつもの見慣れた時刻。
「……夢だったのかな」
そう呟いて、ポケットに手を入れたとき、
指先に、小さくて冷たい、硬いものが触れた。
取り出してみると、それはきらきらと光る、
小さな「月の、かけら」。
そして耳の奥で、かすかに聞こえる、
狐たちの遠い囃子唄と、
お地蔵様たちの、優しい笑い声。
隠されているだけで、消えたわけじゃない。
私たちが日々を忙しく生きる、すぐその隣で、
お姫様は今もお茶を淹れ、
狐たちは恋を実らせ、
お地蔵様はお団子を食べている。
あなたがふと、夜空を見上げたその瞬間、
あの不思議な里の門は、
いつでも、あなたのすぐ後ろで、
静かに開いているのかもしれない。
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