見出し画像

【バイスティックの7原則・非審判的態度】


支援でなく、支配になっていないか


非審判的態度の原則について

ケアマネジャーとして日々現場にいると、

支援のつもりで行っていることが、

いつの間にか相手の自由を狭めてしまう瞬間がある。


それは大きな出来事ではなく、

むしろほんの少しの都合から生まれる。


「運動の時間になっても参加してくれない。」

「食後の時間はスタッフが交代で休憩に入るため、

できれば利用者には少し昼寝をしてほしい。」


どれも現場のリアリティとしては自然な願いだ。

しかし、その積み重ねがいつしか

「こちらが決めた1日の流れ」を

相手に強いることになってはいないだろうか。


私はその違和感を、日々肌で感じている。





協力的でないという言葉の裏側



あるスタッフが言った。


「〇〇さん、今日は全然やる気がないんですよね」


やる気がないとは、

本当に本人の状態を表した言葉だろうか。


それとも、

「こちらの計画通りに動いてくれない」

というスタッフ側の困りごとの反映だろうか。


評価は、とても便利な言葉だ。

しかし評価を使った瞬間、

私たちは相手を理解しようとする姿勢を手放してしまうことがある。

そして非審判的態度が誤った解釈となってしまう





支援の名のもとに、本人の時間を奪っていないか



食後に昼寝をしてほしいのは、

休憩に入りたいというスタッフ側の事情があるからだ。


運動に誘いたいのは、

リハビリとしての体裁もあるからだ。


どれも間違っているわけではない。

安全の確保、業務の段取り、

生活のリズムを整えるという目的は大切だ。


しかし、

昼寝したくない人に「寝てください」と言う時、

運動したくない人に「今は運動の時間だから」と言う時、

そこに本人の選択はどれほど残っているだろう。


本人の生活が、

私たちの都合によって形づくられていく。

気がつかないうちに、

その構造の中で利用者は「従う役割」を背負わされてしまう。


支援と支配の境界は、とても薄い。





では、どうすればいいのか



行動に「問い」を立てることから始まる



支配に傾かないために必要なのは、

利用者の行動と言葉に 問いを立て続けること だと思う。


「どうして参加したくないのだろう」

「なぜ、いま眠りたくないと感じているのだろう」

「この行動の裏には、どんな思いや背景があるのだろう」


最初は答えが見つからなくてもいい。

問いを手放さない姿勢そのものが、

非審判的態度の核心だからだ。


誰もが「普通こうするはず」という基準を持っている。

自分の価値観、生活の癖、これまでの経験。

それらが知らないうちに

相手にも当てはまると思い込んでしまう。

だからこそ、あえて距離を取る。

支援者としての正解よりも、

目の前の人の理由を大切にする。

効率や段取りよりも、

相手の小さなサインに耳を傾ける。


自分の価値観や一般論を押し付けるのではなく、

まず本人の判断に耳を澄ますこと。


それが傾聴であり、

非審判的態度の実践だ。



問いを持つ支援者であるということ



利用者の行動には、必ず理由がある。

言葉には、必ず言葉になるまでの過程がある。

しかし、私たちが忙しくなるほど、

その理由や過程に目を向ける余裕が失われてしまう。

だから、私は自分に問いかけ続ける。

「この行動を理解しようとしているか?」

「それとも、都合よく動いてほしいだけになっていないか?」

「私は今、支援者なのか、それとも支配者なのか?」

問いに絶対の正解はない。

ただ、その問いを持ち続ける支援者であるかどうかが、

目の前の人の尊厳を守るラインを決める。


私たち専門職が本当に守らなければならないのは、

業務の効率ではない、究極の生産性でもない

相手の人生のリズムと意思の調和である



おわりに


支援者は、支援のつもりで相手を追い詰めてしまうことがある。

その危うさに気づけるかどうかが、

専門職を分ける。

私はまだ何度も迷いながら仕事をしている。

思い通りに進めたい気持ちが顔を出す日もよくある。

それでも、自分に問い続けたい。

私はこの人を理解しようとしているだろうか?

この声かけは、本当に本人のためだろうか?


この問いを忘れない限り、

支援は支配に変わらない。

そしてこれらの問いこそが、

我々を専門職たらしめているのである


いいなと思ったら応援しよう!