私が子なしを選ぶ理由
私は結婚していますが、子どもは望んでいません。
理由はシンプルです。
私がこの世に生まれたくなかったから。
今でもルッキズム社会に苦しんでいるから。
自分の遺伝子に、これっぽっちも自信がないから。
「100%あなたの血が入るわけじゃないよ」
「旦那さんに似るかもしれないじゃん」
「子どもは可愛いよ」
周囲はそう言います。
でも、
ねえ、なんで無責任な「可能性」の話ばかりできるの?
その「かもしれない」から外れたとき、
私の顔を、私の性質を、色濃く継いでしまったとき、
あなたは、どう責任をとってくれるの?
私は、自分の血を信じていない以上に、自分の「母性」というものを信じきれないのです。
私は12歳の頃、親に見捨てられた同世代の子たちをたくさん見てきました。
学校に行けなくなっただけで、
我が子を閉鎖病棟へ放り込んだ親。
ずっと部屋の角に話しかけている子。
壊れた機械のように、ずっとドアを叩き続けている子。
面会に来る親は、ほとんどいませんでした。
「普通」というレールから少し外れただけで、檻の中に閉じ込められ、社会から切り離されている。
12歳の私は、その冷たさを肌で感じました。
そして、その「檻」の中にいたのは、私も同じです。
【第1章】私が「死にたい」感情を初めて持ったあの日。親が与えてはいけない一生物の呪い
https://note.com/human_ibis137/n/na1046228dbe2
私には、我が子を閉鎖病棟に入れる母親の血が流れている。
不機嫌を暴力でしか表現できなかった父親の血も流れている。
そんな私が、果たして「自分に似てしまった子」を、無条件に愛し抜けるのでしょうか。
「子どもが欲しい」と簡単に言える人に、問いたい。
もし、自分の嫌いな部分ばかりを煮詰めたような子が生まれてきても、同じことが言えますか?
健康で生まれる保証もない。
自分の顔すら愛せていない私に似てしまうかもしれない。
私の母のように「お金がない」という呪いの言葉を吐いてしまうかもしれない。
https://note.com/human_ibis137/n/na1046228dbe2
私には、我が子を閉鎖病棟に入れる母親の血が流れている。
不機嫌を暴力でしか表現できなかった父親の血も流れている。
そんな私が、果たして「自分に似てしまった子」を、無条件に愛し抜けるのでしょうか。
「子どもが欲しい」と簡単に言える人に、問いたい。
もし、自分の嫌いな部分ばかりを煮詰めたような子が生まれてきても、同じことが言えますか?
健康で生まれる保証もない。
自分の顔すら愛せていない私に似てしまうかもしれない。
私の母のように「お金がない」という呪いの言葉を吐いてしまうかもしれない。
https://note.com/human_ibis137/n/na1046228dbe2
私には、我が子を閉鎖病棟に入れる母親の血が流れている。
不機嫌を暴力でしか表現できなかった父親の血も流れている。
そんな私が、果たして「自分に似てしまった子」を、無条件に愛し抜けるのでしょうか。
「子どもが欲しい」と簡単に言える人に、問いたい。
もし、自分の嫌いな部分ばかりを煮詰めたような子が生まれてきても、同じことが言えますか?
健康で生まれる保証もない。
自分の顔すら愛せていない私に似てしまうかもしれない。
私の母のように「お金がない」という呪いの言葉を吐いてしまうかもしれない。
私もイライラしてしまうこともある。
不機嫌を子供にぶつけて人の顔色を常に伺う生きづらい子になるかもしれない。
何より、私が感じてきた「死にたい」という地獄を、その子にも味わせてしまうかもしれない。
それはあまりにも可哀想
そのすべての絶望を、自分のこととして引き受ける覚悟が、私にはまだ持てません。
各方面に失礼なことを言っているのは承知です。
でもこれが、あの頃、檻の中から世界を見ていた私の中に芽生えた、切実な真実なんです。
あまりに重い、命の責任。
夫には申し訳ないという気持ちもあります。
でも、綺麗事だけで命を繋ぐことは、私にはどうしてもできません。
これからも、この消えない恐怖と向き合いながら、現実を見て考えていこうと思います。
