短編小説「お侍、神社に行く。【2】」
【前回】
「お侍、神社に行く。」
朱塗りの鳥居を見上げるルカの背中は、まるで主君の帰還を待つ忠犬のごとく真っ直ぐに伸びきっている。
木漏れ日が彼のブロンドを斑模様に染める中、彼は深く、深呼吸を一つ。
「いざ、神々の坐す聖域へ。拙者、粗相のないよう努める所存」
普段のラフなTシャツ姿に、不釣り合いなほど悲壮な決意をにじませて、彼は深々と一礼した。角度はきっちり九十度。すれ違う参拝客たちが、何事かと振り返っていく。
週末の神社。玉砂利を踏む小気味よい音が、静かな境内に響き渡る。
私が少し前を歩き、彼がその足跡を正確にトレースするように続く。文化の違いを愛するルカにとって、ここは巨大なテーマパークよりも刺激的なワンダーランドなのだ。
手水舎(ちょうずや)の前で、彼の足がピタリと止まる。
青銅の龍の口から、絶え間なく澄んだ水が流れ落ちている。ルカのサファイアの瞳が、限界まで見開かれた。
「おお……見よ、あの猛き水竜を。これはもしや、伝説に聞く『不老不死の霊薬』では?」
「違うよ。ただの手を洗うお水。飲むとお腹を壊す霊薬ね」
「なんというトラップ! 神域とはかくも過酷なサバイバル……」
柄杓(ひしゃく)を両手で恭しく受け取ると、彼は刀の血を振るうような鋭い動作で水をすくい、私の見よう見まねで左手、右手と清めていく。口を漱ぐ手順では、水を含んだままなぜか目を閉じ、微動だにしない。「クチュクチュ」という音が、厳かな空気にシュールに溶け込んでいく。
拝殿へ進むと、ルカはポケットから大事そうに何かを取り出した。
ピカピカに磨き上げられた、穴の開いた五十円玉。彼曰く「菊の花の紋章が刻まれた、最も高貴なる硬貨」。
賽銭箱に向かって、彼はそれをふわりと放り投げた。チャリン、という控えめな音。
そして、鈴の緒を握りしめる。
「神よ、我らの声をお聞き届けたまえ!」
ガラガラガラガラッ!
渾身の力を込めたその一振りは、境内の鳩を一斉に飛び立たせるほどの爆音を生み出した。隣で祈っていたおばあちゃんが、ビクッと肩を震わせる。私は慌ててルカの背中をつついた。
二礼。二拍手。
パンッ、パンッ! と、空気を切り裂くような見事な柏手。
そして、一礼。
目を閉じ、長い睫毛を伏せた横顔は、彫刻のように美しい。いったい、彼はどんな壮大な願い事を神様にぶつけているのだろう。世界平和か、それとも武士道精神の復興か。
「何をお願いしたの?」
帰り道、おみくじの紙片を握りしめながら尋ねると、彼はふわりと笑った。
「秘密でござる。しかし……神の思し召しは、しかと受け取った」
彼が広げたおみくじには、『大吉』の文字が誇らしげに躍っている。
「見よ。『待ち人、来る』『争い事、勝つ』。すなわち、我が元へ刺客が放たれるが、見事これを返り討ちにするという神の啓示!」
「いや、待ち人は恋人とか運命の人のことで、刺客じゃないから」
初夏の風が吹き抜け、神社の森がざわわと揺れる。
ルカが結び所に結ぼうとして、不器用な指先で紙を破りそうになっている。その横顔の、なんと真剣で、愛おしいことか。
私はただ、彼の手元から白い紙片をそっと受け取る。
「……手伝おうか、お侍さん」
「かたじけない、姫君」
五十円玉の願い事が何だったのか、私はもう聞かない。
風に揺れる無数のおみくじの中に、彼の不器用な祈りも、静かに混ざり合っていく。
【3へ】
