雪の降る街で 第十二章 「追憶」 ①
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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・出来事とは一切関係ございません。
第十二章 「追憶」 ①
電話を受けたのは藍だった。
声の主は警察。慌てて保留すると、仲木戸を呼びに行った。
「課長!」
「何だい? 会議中は取次ぎ無用だと……」
「その! 奥様とお子様がっ……!」
「……え?」
それからはよく覚えていない。ただ、彼のために慌ただしく走り回った記憶だけはある。
一週間の忌引きが終わっても彼は戻って来なかった。
事情が事情なだけに、上官からは落ち着くまで出勤不要との指示が下っているようだったが、流石に二週間も過ぎると心配になり、藍は課業後、課内の住所録を頼りに彼のマンションを訪れた。
呼び鈴を鳴らしても反応が無い。ドアノブに手を掛けると扉が開いた。胸騒ぎがして、慌てて中に入る。
「課長! いらっしゃいませんか!?」
大声で呼び掛けるも応答がない。
「失礼します!」
靴を脱ぎ家に上がる。激務続きの彼が千葉の自宅とは別に借りた、一LDKの賃貸マンション。
リビングの扉を開けると強烈なアルコール臭が漂ってきて、思わず口元を覆った。
「課長!?」
テーブルに俯している彼。
辺りには飲み散らかした空き缶が散乱している。
「何だ……橋本君か」
落胆したような口調に心がズキンと痛む。
藍はきゅっと唇を噛むと、足元に落ちていたごみ袋を手に取り、空き缶を拾い集めた。
仲木戸はその様子をぼうっと眺めていたが、やがてふらふらと立ち上がると、よろめきながら冷蔵庫の扉を開け、ビールを取り出した。
「課長! もうやめてください! 身体を壊しますから!」
そう言って、すっとビールを取り上げる。
「うるさい! 返せ! 君には関係ないだろう!」
「関係なくなんかない!!」
藍の怒鳴り声に仲木戸が目を見開く。
「だって好きなんだもん! 大好きなの! 貴方のことが! だから心配なの!」
言ってしまった。勢いに任せて。
「……ご、ごめんなさい。あたし帰ります。今の……忘れてください」
バッグを拾うと肩にかけ、振り返らずにリビングの扉を開けようとして、腕を掴まれた。
「待てよ」
後ろから抱きしめられる。
「頼む。俺を……一人にしないでくれ」
分かっている、彼の心が自分にないことくらい。
分かっている、自分が彼の心の隙間を埋める為の慰みでしかないことくらい。
それでもいい、少しでも彼の役に立ちたかった。
服を剝かれていく自分をどこか他人事のように見ているもう一人の自分。
それは諜報員としての意識か。だが、彼の手が身体を這うと、もう冷静でいることは出来なかった。
彼は激しかった。
決して乱暴なわけではない。ただ、我が身に降りかかった悲劇を振り払うかのように激しく藍を求めた。
一方の藍も、少ないながらも男性経験は持ち合わせていたが、今までの男とは勝手が違った。とめどなく快感が押し寄せ、何度も藍の意識を飛ばす。
そして彼に貫かれた瞬間、全てを悟った。いつの間にか彼を、本気で愛してしまっていたことに。
「好き……貴方のことが、好きです……賢治さん……ああああっ」
彼の全てをその奥深くに受け止めながら、藍は初めて、女に生まれた喜びを感じた。
「事故じゃ……なかった?」
驚く藍に槙村が頷く。
報告のため市ヶ谷に立ち寄った槙村に、喫茶店に呼び出された。
「分からん。だが怪しい点が多々あるらしい。警察が捜査中だ」
槙村の話に背中が冷える。
「まさか、殺された……?」
思考を巡らせる。
何度か会ったことのある彼の妻はおっとりとした性格で、恨みを買うような人ではなかった。個人的な怨恨の線は考えづらい。だとすれば、その筋の関係か。
勿論、犯人がDIHや公安の訳がない。マークはしているが、目立った動きさえ無ければ泳がせておけば良いだけ。消すときは家族ではなく本人を消す筈だ。となると、考えられるのは彼の思想と対極にいる連中。
考え込む藍を眺めていた槙村は、溜息をつくとソファの背凭れに身体を預けた。
「もうこれ以上は首を突っ込むな。お前、あいつの家に通っているそうじゃないか」
ハッと顔を上げる。気づかれていた。
「彼は皆が言うような人じゃありません」
槙村は鼻を鳴らすと身を乗り出してきた。
「これ以上はDIHとしても守り切れなくなるぞ? 部長も心配されている」
その言葉にふいっと横を向く。
「大丈夫です。あたしが立ち直らせます。彼をこっちの世界に引き戻してみせます」
槙村の呆れたような表情。
だが、藍には自信があった。これは絶対に自分にしか出来ないことだと心の中で思い込んでいた。
自分が既に盲目になっていたことにも気づかずに。
「どうしたんだい? 藍」
土曜日の昼下がり。昼食の支度途中、ふと物思いに耽っていると肩に彼の手が掛かった。
「な、何でもありません」
我に返った藍が恥ずかしそうに俯くと、後ろからそっと抱きしめられる。
「ありがとう。君がいたから俺は立ち直れた。感謝している」
「賢治さん……」
彼の言葉は嬉しかったが、今もまた、一番欲しい言葉は来ない。
「藍……」
頤に掛かった彼の手に導かれるまま、唇を重ねる。
頭では分かっている。妻子を亡くして間もない彼にそれを求めるのは、人としての理に反していることくらい。
だが、分かっていて飛び込んだ筈の世界が、こんなにも苦しいものだとは思ってもいなかった。
「ちょっ、賢治さん、お昼ご飯の支度をしないと……」
だが、彼は情熱的に藍を求めてきた。
「今、君が欲しいんだ」
「やっ……あん……」
シンクの縁に手をつき、彼を受け入れる。いつの日か、きっと言葉が来ると信じて。
だが、その時は結局やって来なかった。
二人が関係を結んでから早三カ月。藍がもう言葉を諦め、彼の言動の端々に証を見出そうとしていた、そんなある日のこと。
近場に買い物に行こうと、彼と一緒にマンションを出たところで、その男が現れた。
「仲木戸賢治さん、ですね」
口元に笑みこそ湛えていたが、目は笑っていない。藍は瞬時に同業者だと察知した。
「公安調査庁の宮本と申します。ちょっとお話をお聞かせ願えませんかね? 奥様とお子様がお亡くなりになった件について」
心臓が止まるかと思うほどの衝撃。
公安調査庁は戦前の特別高等警察の流れを汲む、ヒューミントのスペシャリスト集団。
表向きは情報収集と分析を生業とする法務省の外局だが、これまでも数多の過激な思想集団を極秘裏に壊滅に追い込んできた、陰の実力組織だ。
「公安調査庁が私にどのようなご用件で?」
仲木戸もまた然る者、顔色ひとつ変えずに対応する。本業の自分が動揺してどうする、と自分に言い聞かせ、心を落ち着ける。
宮本と名乗った男は藍を一瞥すると、下卑た笑いを浮かべて仲木戸に向き直った。
「あれは事故などではないと思いましてね。で、貴方の背景を洗っていたら、なかなか面白いものが出てきますなあ」
クックと愉快そうに笑う男。
三楯会がばれたか? あくまで隊内の懸念事案として封じ込めてきた極秘事項。公安調査庁の知るところとなっては、仲木戸だけではなく、自衛隊の根幹を揺るがしかねない一大スキャンダルとなってしまう。
何とかしてこの場を凌がなければならないが、先刻まで彼と甘美な世界に耽っていた身。思考が追いつかない。
「で、そちらのお嬢さんはDIHの刺客ですな。ハニトラとは、防衛省さんもえげつない」
な……んで。
血の気が引く。宮本の言葉に仲木戸が驚いた様子で藍を振り返る。
「違う! ハニートラップなんかじゃない! あたしはっ……貴方のことが……」
動転しつつも、必死に弁明する。彼に嫌われたくない一心で。それが事実だと肯定してしまっていることにも気づかずに。
だが、仲木戸は藍を守るように、スッと手で制した。
「橋本君、ここはいいから帰りなさい」
宮本を睨み付ける仲木戸。
「でもっ……」
「いいから」
いつになく強い口調だったが、振り向いた彼は何処となく寂しげだった。
藍は涙が滲みそうになるのを必死に堪えると、頭を下げてその場を後にした。
結局、それが彼との最後になってしまった。
その後の調べで彼は白となったが、妻子の件はあろうことか、夫と配下隊員の不倫関係に悩んだ妻の無理心中、で片づけられてしまった。
当然、必死に事実関係を否定したが、DIH所属であること自体が秘匿だったため、守ってもらうことも叶わず、汚名を雪ぐ機会も与えられぬまま陸幕を追われることになった。
「ほんと馬鹿だよね。あたしならいつか彼を変えられるって思っていた。自分は特別だと思ってた。彼との……幸せな未来を勝手に夢見ていた。ほんと……自分がいやになる……」
光一の前でぼろぼろと涙を流しながら、赤裸々に過去を語ってくれた藍。
無理に作ろうとする笑顔が痛々しくて直視できない。
「今でも……奴のことが好きなんですか?」
その質問に彼女はしばらく目を泳がせていたが、やがて膝に顔を埋めると小さく頷いた。
「じゃあ……もし、もし奴に会えたら、藍さんはどうするつもりですか?」
すっと顔を上げる藍。もう涙は流れていなかった。
「殺すわ。この手で」
冷たく言い放つ藍。月下に映えるのは狂気の瞳。
そんな彼女が、光一にはこの世の者とは思えないほど美しく見えた。
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雪の降る街で 第一章 「鼓動」 ①|京
あとがき
ついに明かされた藍と仲木戸の過去。いつまでも断ち切ることの出来ない彼への想い。
彼女は一体、何処へ向かおうとしているのでしょうか?
そして次回、衝撃の事実が……!!
11月21日(金)に掲載予定です。
引き続き、お付き合いいただけますとありがたいです🙇♀️
