雪の降る街で 第二章 「交錯」 ③
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第二章 「交錯」 ③
「あんなに怒鳴られたの、初めてだった。あのときはびっくりして泣いちゃったけど」
訓練後、同僚達からは散々に揶揄われた。藍と仁だけは良く言ったと褒めてくれたが。
「あれ以来ね、気づいたらあたし、ずっとコウちゃんのこと目で追っかけてた」
幸せそうに両手で胸を抑える菜々。彼女にとって、片想いの日々であったにも関わらず。
「お前、俺のこと買い被りすぎだよ」
菜々は柔らかく微笑むと首を横に振った。
「そういうところが好き。あたし、上辺だけの男なんて沢山見てきた。だから分かるの。コウちゃんは違う」
大きな瞳で見つめられるのが気恥ずかしくて、光一は軽く頭を掻くと目を逸らしたが、その先に菜々が回り込んできた。
「コウちゃん、ゴミついてる」
「へ? どこ?」
「睫毛のところ。取ってあげる。目瞑って」
素直に目を瞑る。まぶたに指がくると思っていた光一は次の瞬間、完全に意表をつかれた。
唇にのってきた、柔らかい感触。それがキスだと理解したときには彼女は既に離れていて、光一は目を丸くして彼女を見つめた。きっと間抜けな表情に違いない。
「これ、あたしのファーストキス」
手を後ろに組んではにかむ菜々。
「大丈夫。コウちゃんの気持ちがあたしにないことくらい分かってるから。だからこれは宣戦布告。ということでご飯行こっか」
「おいっ!」
ドアを開けようとした彼女の手首を掴む。
「自衛官がやられっぱなしですますわけないだろ」
そう言い放つと、光一は彼女をぐいっと抱き寄せ、今度は自分から唇を重ねた。
上手いキスの仕方なんか知らない。経験なんて片手で足りるほどだ。だから少しでも優しくすることだけを心掛ける。
菜々は光一の予想外の反撃に目を白黒させていたが、やがて彼の背中に両腕を回すと完全に身体を預けた。
「……コウちゃん、これって」
菜々が不安げに仰ぎ見る。
そんな彼女が愛おしく思えて、光一はそっと頭を撫でた。
「お前の好きに取ってくれて構わないよ」
俯き、胸に頭を預けてくる菜々。スンと鼻をすする音。
ここまで自分のことを想ってくれる女の子、傾かないはずがない。それは、今朝の時点で予想もしなかった恋の始まり。
「メシ、食いに行くか」
胸に顔を埋めたまま、こくんと頷く彼女。
「っても、もう金がない。インター近くのファミレスでいいか? 色気ないけど」
菜々がぷっと吹き出し肩を震わせる。顔を上げた彼女の目には案の定、涙が光っていた。
「うんっ。コウちゃんと一緒ならどこでも。じゃあ、あたしが奢ってあげる!」
「えー、いいよ。仮にも俺、上官だし」
「いいから奢らせて! 今日一日、あたしに付き合ってくれたお礼」
「だめ、俺の洋服を見立ててくれたお礼」
「もう、なにそれー」
膨れた菜々の頬を片手でムニっとつかむ。
「それと、俺のことを好きになってくれたことへのお礼も」
菜々は光一の言葉に息を飲んだが、やがて「イーッ」としかめ面をすると、嬉しそうに助手席に乗り込んだ。
光一は苦笑すると、彼女を追いかけるように運転席のドアを開けた。
*
池袋駅西口。
チーマーやカラーギャングが跋扈し、テレビドラマの舞台として若者達の間で社会現象となったのも今は昔。
元来、西口は芸術劇場や有名大学が立ち並ぶ文教地区だ。成増の実家から毎日、東口の有名女子高校に通っていた藍にとって、この街は庭のようなもの。
茗荷谷から歩いてきたものの時間が余ったので、軽く馴染みの場所をぶらついてから友人との待ち合わせ場所に向かった。
芸術劇場のはす向かいにあるビアホールチェーン。
店に入ると忘年会シーズンの為か、早い時間にも関わらず既に満席状態だ。
藍がホールをきょろきょろと見渡していると、店員に尋ねられるよりも早く
「藍! こっちこっち!」
と、ひと際大きな声が飛んできた。目を向けると、浅黒く日焼けしたボーイッシュな出で立ちの女性がブンブンと手を振っている。
「若葉、ごめん。待った?」
「ううん、たった今きたとこー」
深山若葉。防大で四年間同室だった、紛れもない親友。現在は海自の護衛艦勤務だ。
「旦那様の戸籍謄本は取れたの?」
藍がスカーフを外し、椅子に腰を下ろしながら尋ねると、若葉は不満そうに頷いた。
「うん、昨日のうちにね。まったく、クールを装って意外とドジなのよ、あいつ。謄本と抄本を間違える? 普通」
〝あいつ〟というのは彼女の婚約者で、藍の先輩でもある槙村和馬のこと。若葉と同じ護衛艦に勤務している。
元々は先月、二人の勤務地の佐世保で籍を入れると聞いていたのだが、彼が取り寄せる書類を間違えたため仕切り直しとなった。
それもあって、冬休みは槙村の実家の朝霞で過ごすことにしたらしい。
「ま、お陰でこうして藍と会えたんだけどね。あ、おねーさん! 注文いいですか~」
変わっていない。相変わらず男前の親友。防大の時は何をするにも彼女と一緒だった。
卒業以来、四年振りの再会に懐かしさが込み上げてくる。注文を終え、ビールが運ばれてくると二人は乾杯した。
「若葉が結婚かぁ。それも旦那様が槙村先輩なんて意外。驚いたよ」
「それ、みんなに言われるよ。お前ら仲悪かっただろって」
「そりゃそうだよ。若葉と槙村先輩、いつも喧嘩してたじゃん」
「あはは。まあ、あの頃からお互いに意識してたってことだよね~」
もっとも、藍は当時から彼女の想いに気づいていたが。ことある毎に彼の話題を出しては愚痴り倒していた彼女。
嫌いなら無視をすればいいのに、わざわざ自分から仕掛けて行っては揉め事を起こすの繰り返し。
一方の槙村も、彼女を受け流すわけでもなく、真正面で受け止めるのでその度に大騒ぎとなり、いつも教官に呼び出されては説教されていた。
幸せそうな彼女の様子に「よかったね」と心の中で呟く。
「あ、そうそう、サプライズと言えばね」
若葉が人差し指を立てる。
「ん?」
「敏生先輩も結婚したんだよ!」
「えー!? あの女たらしの敏生先輩が!?」
槙村の親友の門真敏生。超絶なイケメンで、防大では学生隊長も務めた人望の持ち主だが、女癖が最悪だった。
開校祭の時には鉢合わせた自称彼女達が大喧嘩を始めたほど。確か今は戦闘機パイロットになっていたはず。
「うん。二ヶ月前、横須賀に寄港したときに、先輩とあたし達とで横浜で一緒に飲んだんだけどさ。なんと彼女さん連れてきて」
「え~! どんな人?」
面白そうな話に藍が身を乗り出す。
「一緒の隊の子。ほら、知らない? 女性戦闘機パイロットで初めて千歳のトップパイロットになって騒がれた……」
「あの綺麗な人? 神月さんだっけ?」
自分と同じく、女性として最前線に立つ彼女のことはニュースなどで知っている。意思の強そうな大きな瞳がとても印象的だった。
「そう! とってもいい子だったわ」
「大丈夫かな? 彼女傷つくんじゃない?」
「いや、あれは完全に先輩のベタ惚れね。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうくらい。彼女も先輩の過去は織り込み済みだったし」
若葉が思い出したのか、クスクスと笑う。
「でね。先月、和馬に連絡が来て。彼女のご両親にお許しをいただいたから入籍するって」
「へぇ~。先輩、〝俺は一生独身で遊び続けるんだ!〟って豪語してたのに」
「ねー、びっくりよ。書類の不備でもたついてる間に先越されちゃったわ。和馬のやつ」
二人で声を上げて笑う。
「刑部先輩も結婚して一児のパパだしねー」
「いいな、みんな幸せそう……」
つい、ポロリと漏れてしまった呟き。藍は慌てて誤魔化すと、グイッとグラスを空けた。
「藍は……いい人見つけた?」
優しい目。彼女はどこまで知っているのだろうか。胸が詰まる。
「あたしには幸せになる資格なんてないから」
「藍……」
「あ、ごめんね。やめよ、こんな話」
彼女の前だとつい無防備になってしまう。だが打ち明ける訳にはいかなかった。若葉は軽く溜息をつくと、空のグラスを掴んだままの藍の手を、両手でそっと包み込んだ。
「あたしは噂しか知らないから本当のところは分からないし、知りたくもない。でもね」
強い口調。
「例え藍が世界中を敵に回したとしても、あたしは最後まで藍の味方だから。それだけは覚えておいて」
自分を信じ、周囲が無責任に垂れ流す噂に真剣に怒ってくれていることが伝わってくる。
藍にはもう、それだけで充分だった。
「ありがとう、若葉」
こぼれそうになる涙。自分は一体、いつからこんなに涙脆くなったんだろう。
「ほらー! 辛気臭い顔しない! せっかく久しぶりに再会したんだから飲も飲も!」
「ん、そだね」
親友にこれ以上気を使わせないよう、精一杯の笑顔をつくる。
「よーし。次、ジョッキでいいよね? おねーさーん! ヱビスの中ジョッキ三つ!」
「ちょっと、二人しかいないのに」
「いいのよ、あたしがすぐに飲むんだから」
「もう。じゃあ、もう一杯追加の四杯で!」
「よし! それでこそ藍よ!」
少しでも忘れたくて、藍は気心知れた親友ととことんはしゃぐことに決めたのだった。
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雪の降る街で 第一章 「鼓動」 ①|京
あとがき
光一と菜々ちゃん、交際スタートです♪
藍とのドキドキ三角関係を期待されていた方、ごめんなさい💦 これはそういうお話じゃ無いんです( ノД`)
そして、藍の飲み会の相手は親友の深山若葉でした。
この飲み会の話、実はアホウドリの空Season2(その参②)で出てるんですよね。夕陽の参加は敏生に阻止されて二人のサシ飲みになりましたが(笑)
※気になる方は下線部をクリックください♪
さて、幸せになっちゃいけない藍さん、一体何があったのでしょう。こちらはまだまだ引っ張りますのであしからず(;^_^A
ということで次回は8月23日(土)に掲載予定です。
次回は若葉の夫(まだ婚約者)で敏生の親友、槙村和馬が登場です。アホウドリではチラッと顔見せ程度でしたが、この男、実は……乞うご期待!!
