雪の降る街で 第二章 「交錯」 ④
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第二章 「交錯」 ④
「悪かったな、こんな時間まで付き合わせちまって」
連絡を受け、朝霞から車で迎えにきた槙村が、溜息混じりに頭を下げた。
当の若葉は完全に沈没し、微かに寝息を立てている。
「いえ、あたしも久しぶりに若葉と飲めて楽しかったです。あ、遅くなりましたけどこの度はご結婚、おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。まあなんだ。俺自身もまさかこいつと結婚するとは思わなかった」
照れくさそうに鼻の頭を掻く槙村。
「おい、若葉。起きろ帰るぞ」
婚約者の髪をかき混ぜる手が優しい。
「うーん……、あれえ? 和馬がいるぅ」
若葉が眠そうにムクりと起き上がる。
「お前が呼んだんだろうが。帰るぞ」
「えへへー」
若葉を歩かせることを諦めた槙村が「よっ」と彼女を背負う。
彼女は甘えたように彼の首に腕を絡めたが、すぐに寝てしまった。
「全く、世話の焼ける」
悪態をつく彼の顔が嬉しそうなのは、気のせいではないだろう。
「橋本も送ってやる。成増だろ?」
「あ、大丈夫です。少し酔いを醒ましてから帰りますんで」
「こんな時間に若い女性一人じゃ危ないぞ」
「あたしの格闘技の腕はご存知ですよね?」
「まあ……、確かに。酒に滅法強いのもな」
レシートを見てげんなりとする槙村。
若葉の代わりに槙村と割り勘で会計を済ませ、店を出る。火照った顔に冬の夜風が心地よい。
「どこに停めたんですか?」
「マルイの向こうだ。全然空いてなくてな」
「あ、じゃあ酔い醒ましで付き合います」
噴水がライトアップされた夜の西口公園を歩く。
ベンチには肩を寄せ合うカップルや弾き語りのミュージシャン。昔はここで睦み合う恋人達に憧れていた。
物思いに耽りながら歩いていると、槙村が突然立ち止まった。
「橋本」
藍も立ち止まり槙村を見る。婚約者に目尻を下げていた先程までと異なる、鋭い目つき。
この目を持つ人種を藍は良く知っている。
「確認したいことがある。気を悪くするな」
「どうぞ。来ると思っていました」
「今日、奴の部屋に行ったらしいな。まだ連絡を取っているのか?」
予想外の方向から突かれ、心臓が跳ねる。ブランクは確実に藍の思考を鈍らせていた。
まさか、まさかあの男の人……。
「察しの通り、あの部屋にいたのは防衛省情報本部の人間だ。訪れる人間をチェックし、奴の交友関係を洗っている」
射抜くような槙村の眼光に背中が凍る。
「安心しろ。誰にも言わん。ただの興味だ」
「……それは新妻の親友に対しての興味ですか? それとも防大の後輩に対する……」
「後者だ」
信用できない。だが彼は腕の立つ情報部員。嘘はあっさりと見抜かれる。藍は観念した。
「……彼とはもう何も。携帯も繋がらないし、引っ越したことも知りませんでした」
知っていたら行くわけがない。だが情報部員はそうは捉えない。知らないふりをするためのカモフラージュだと勘繰るもの。
何より藍自身がそう教え込まれてきたのだから。
「奴は先月末、姿を消した。監視していた公安の刑事が二人、行方不明になっている」
槙村は畳みかけるように極秘情報をぶつけてきた。敵味方を探る為のかなりの荒技。だが、藍はその内容にひどく動揺した。
「彼は……まさか、そんな」
「本当に知らないようだな、分かった」
藍の表情から真相を読みとった槙村は話を広げるのを嫌い、さっさと畳んでしまった。
「……相変わらずですね、槙村一尉」
「そう責めるな。これも仕事だ」
「槙村一尉の専門は護衛艦勤務を隠れ蓑にした中国のシギント(信号情報による諜報活動)じゃなかったんですか?」
強がってもまだ足が震えている。久しく忘れていた、実戦部隊とはまた異なる緊張感。
「統合情報部も人手不足でね。来月からまた陸に上がることになった。期待の女性部員が離脱した穴がなかなか埋まらなくてね」
その言葉に藍の胸がズキンと痛む。
「部長も未だに残念がっているよ。だが当時、お前の表向きの所属は陸幕だった。俺達にはどうすることもできなかった」
「分かっています」
「橋本」
槙村はいつのまにか穏やかな目に戻っている。その目もまた、良く知っていた。
「もういいんだ。全て忘れろ、全てだ」
「それは元同僚としての忠告ですか?」
「いや、防大時代の可愛い後輩を思ってだ」
厳しかったが、本当の仲間達に巡り会えたあの頃。思い出すだけで胸が詰まる、藍にとってはキラキラの宝石箱。
「ひとつだけ、質問してもいいですか?」
「何だ?」
「槙村先輩、実は防大の頃から若葉のこと好きだったでしょ?」
彼の動きがぴたりと止まる。
これはささやかな仕返し。若葉はすっかり安心しきったように眠っていて、藍はくすりと笑った。
「お前も相変わらずだな」
「若葉のこと、幸せにしてあげて下さいね」
「ああ」
駐車場に着き、藍は助手席に押し込まれた若葉の髪をそっと撫でると、深々と頭を下げ二人を見送った。
不夜城のネオンの中に消えてゆくテールランプ。
藍はゆっくりと歩き出した。この時間になっても賑わいを見せる年の瀬の繁華街。雑踏の中をただ、あてもなくぼんやりと。
気がつくと、普段なら決して足を踏み入れないエリアに入り込んでいた。
案の定、スカウトやナンパの声が掛かり始める。藍はショルダーバッグを両手でギュッと抱え込むと、小走りに逃げ出した。
ロサ会館を過ぎたあたりで立ち止まり、ほっと一息つく。
ここならまだ女性も多い。抱えていたショルダーバッグを斜め掛けに戻し、雑踏に視線を戻すと動きが止まった。
あれは――――――
間違いない、あの後ろ姿は。藍は再び駆け出した。雑踏の中に消え入りそうになる背中。
お願い、置いていかないで。お願い。あたしを一人にしないで。
「待って!」
追いつき肩に手を掛けた。男が振り向く。
「あ……」
男は知らない顔だった。
「……すみません、人違いでした」
頭を下げ、足早にその場を立ち去る。
なにやってるんだろ。あたし。
いつのまにか涙が頬を伝っていた。
今日一日、幾度となく堪えた涙はもう止まる術を知らなくて、藍はひとり雑踏の中に佇む。
ふと、冷たいものが額に当たり空を見上げた。
「あ、雪……」
それは少し早めの初雪。
夜風に舞い上がりながらもゆっくりと落ちては溶け、アスファルトに染み込んでいく。
その一粒、一粒の生涯は決して誰からも気にされることはなく。
この雪のように、静かに消えてゆくことができたなら……。
つい、そんなことを考えてしまい、首を振る。
逃げるな! 逃げるな逃げるな!
必死に自分に言い聞かせる。
あたしは……逃げちゃダメなんだ。
それは消えることのない咎。雪の降る街。
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雪の降る街で 第一章 「鼓動」 ①|京
あとがき
槙村和馬登場。その正体はDIH(防衛省情報本部)の情報部員でした。そして藍も……?
「アホウドリの空」で夕陽と若葉が居酒屋で生簀を眺めながら恋バナに話を咲かせていた時、実は和馬と敏生が裏で色々と極秘情報をやり取りしていた、という設定もあったのですが、こちらは「アホウドリ」では回収できないので結局使っていません。(敏生と和馬の会話シーンは全削除💦)
ここら辺は今後のお話の中で想像を膨らませていただければ、と思います^^;
今回は池袋の繁華街で雪の中、泣きながら佇む藍が可哀想で、書いていて辛かったです;つД`)
さて、次回は8月26日(火)に掲載予定です。
ちょっとニヤニヤできる場面から始まります(・∀・) お楽しみに♪
おまけ 槙村和馬と若葉夫妻

