アホウドリの空_Season2〜自衛隊ラブストーリー〜【その伍】閑話休題 友情は翼のないキューピットである。 ④
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【その伍】閑話休題 友情は翼のないキューピットである。 第六代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン ④
彼女は袖でゴシゴシと涙を拭くと、鼻を啜りながら空を見上げた。
「それから……あの日のことは、ごめんなさい。あれ、お兄ちゃん……門真一尉の作戦だったんです」
「……え?」
「坂本三曹のような人は待っていても来てくれないから、好きなら自分から行けって。さっさと既成事実を作れって。だからあの日、あたし、すごく勇気を出して、酔っ払ったあなたを強引にホテルに誘ったんです」
そう。帰り道、彼女から誘われたことは、実は朧気ながら覚えていた。だが、それは自分が酔っ払って都合よく書き換えた記憶なのだと思い込んでいた。
「幻滅しました……?」
涙を流しながら寂しげに笑う彼女に、ブンブンと首を横に振る。
「幻滅なんてするわけない! 俺の方こそ、何も気づけなくて! 俺、てっきりあの時、君が怒ってると思って。今日も、ずっと素っ気なかったし」
きょとんとする美鈴。
「え? あたし、怒ってませんでしたよ?」
彼女がすっと距離を詰めてくる。目を潤ませながら。
「やり過ぎたから、きっと嫌われた、と思って。坂本さんを見ると泣きそうになっちゃうから、ずっと頑張って耐えてたんです」
……そうだったのか。一連の彼女の態度を思い返し、ようやく合点が行く。常に、自分なんか、というマイナス思考が出発点だったので、物事の見え方が全て裏返しになってしまっていた。神月に「普通の子として見てあげて」と言われた理由が分かった気がした。
「あたしたち……、今日から好き同士、ってことで、いいんですよね?」
「もっ、もちろん!」
「……やったぁ」
美鈴は指でそっと涙を拭うと、今日、初めての笑顔を見せてくれた。
たまらなく可愛い。いや、可愛すぎる。本当にいいのか? 俺なんかが彼氏で……。
首を傾げて、自分を見上げてくる彼女。パーソナルスペースを割るどころか、すごく近い。こういう時はどうしたら良いのだろう? 超絶イケメンの上官を思い浮かべる。
多分、抱きしめる、が正解なのだろうが、ただでさえ心臓が爆速になっている自分にはハードルが高すぎる。頑張って不思議な重力に抗い、彼女の背中に手を回そうとした時。
「何やってんだよ? お前ら」
その声に振り向くと、桑野が物凄い形相で睨んでいた。通りからは見えないように、位置取りしていたのだが。つかつかと近寄って来る桑野に、美鈴が向き直る。
「桑野二曹、すみません。あたしたち、付き合うことになりました。だからもう、そっとしておいてもらえませんか?」
キッと桑野を睨みつける美鈴。
「はあ!? 嘘だろ? どういうことだよ?」
「そっ、そういうことです!」
坂本は美鈴を庇うように前に出た。自分の意思とは関係なく、身体が勝手に動いた。
「たっ、谷口は今日から俺の彼女です! だからもう、彼女にはちょっかいを出さないでください!」
足が震えている。相手は上官。体格も良い。喧嘩になったら絶対に勝ち目はない。でもここは理屈じゃない。ただ、彼女を守りたかった。
桑野は驚いたようにこっちを見ている。
「本当なのか? 谷口。俺を揶揄っているんじゃ……」
「航さん!」
美鈴は桑野の前に躍り出ると、坂本を振り返った。
え?
何が起こったのか理解が出来なかった。生まれて初めて経験する感触。これは、キス!?
彼女の腕が首に回っていて、ぐいっと身体を押し付けられる。倒れないよう、彼女の背中に手を回すと、抱きしめた。信じられなかった。こんなことが、自分に起きるなんて。
やがて、美鈴はすっと離れると、坂本に向かって微笑んでから、桑野に向き直った。
「分かってもらえましたか? あたし本気なんです。だから、邪魔をしないで」
彼は茫然と美鈴のことを見つめていたが、やがて深くため息をつくと、
「分かったよ、俺の負けだ」
と言って、首を振り、両手を上げた。
「金輪際、手出しはしないよ。その代わり、いいか? 坂本。谷口を泣かせるようなことがあったら、俺がお前を半殺しにするからな。覚えておけよ」
桑野に凄まれる。だが、もうさっきまでの自分じゃない。
「泣かせません! 絶対に! 俺が彼女を幸せにします!」
その語気に気圧されたのか、彼はしばらく目を見開いていたが、ポンッと力強く、坂本の肩を叩くと、その場を去って行った。
「守ってくれてありがとう、航さん。大好き」
背中に抱き着いてくる彼女。すすり泣く声が聞こえてくる。彼女を守っていける強さを手に入れたい。この時、坂本はそう心に誓ったのだった―――
「……航!」
呼ばれて、ハッと我に返る。手には、フレームに入った、結婚式の時のポートレート。
「もう、何度も呼んでるのに」
「ごめんごめん、ちょっと昔を思い出してて」
「何で結婚式の時の写真?」
「うん。何か、見ちゃってた」
「もー。そろそろ行かないと朝礼に間に合わないよ?」
「あ、もうこんな時間か」
坂本はポートレートを、そっとサイドボードの上に戻した。
「じゃあ、お家のこと、色々とお願いね」
「うん。俺には頑張って、としか言えないけど……、頑張って」
「うん。頑張って元気な男の子、産んでくるわ」
今日から一カ月、出産のため実家に帰る美鈴。坂本は、臨月のお腹をそっと撫でた。
「いいのかな? せめて実家に送るくらいは……。周りからも、休み取らなくていいのか、って聞かれてるし」
今日は彼女の両親が、遠くからわざわざ車で迎えに来てくれることになっていた。
「いいのよ。うちの親が好きで世話焼いてくれるんだから。まあ、狙いは美麗なんだけどね。ねー、じいじとばあば、大好きだよねー?」
ぬいぐるみを抱きしめ、こくんと頷く二人の愛娘。坂本は美麗をよっ、と抱き上げ、頬ずりする。
「ほらほら、新部隊発足の日に、隊長機の機付長が遅刻なんてカッコつかないわよ?」
そう、今日からここ、厚木の「ながと」戦闘飛行隊は、機体とパイロットが計画通りに拡充されたことを受けて、「ながと」戦闘航空群となり、隷下に二つの戦闘飛行隊が再編される。その栄えある飛行隊長を拝命したのは、「むつ」との人事ローテーションから戻ってきた刑部太一二等海佐と、市ヶ谷の統合幕僚監部から戻ってきた門真敏生二等海佐。
「懐かしいわね。こんな形で、またみんな勢揃いして。夕陽さん〝また敏生と飛べる〟って、すごく喜んでたわ」
隊長夫人で絶対的エースパイロットの門真夕陽一等海尉は、基地広報への異動などを挟みながら、何だかんだで、ずっと厚木にいる。
「あの人、本当に凄いんだよ。二人目で慣れてたとはいえ、産休明けのブランクも感じさせずに、バリバリ飛ぶんだもん。軽々と撃墜された若手パイロットたちが真っ青になってたよ」
ふん、と誇らしげに鼻を鳴らす妻。
「そんなの当り前よ。だって、北空の魔女はあたしの憧れの人だもん」
「そうだったね。でも、今は〝南洋のメデューサ〟って言うんだよ?」
「それ、当の本人は嫌がっていたから、やめてあげて」
「付けたのは米軍の連中だよ。俺じゃない」
笑いながら、美麗を下ろすと、リュックを手に取り、玄関に向かった。美鈴が美麗の手を引いて、見送りについてくる。
「美鈴さん」
「なあに? 航」
お互いの呼び方は、付き合い始めてから比較的すぐに落ち着いた。美鈴の方は、「坂本三曹」から、
「航さん」を直ぐに通り越して「航クン」、そしてひと月もすれば「航」に。
一方の自分は、あの日を境になぜか「谷口」から「谷口さん」となり、直ぐに他人行儀だと怒られて「美鈴さん」に。
完全に尻に敷かれている自覚はある。でも、それがたまらなく心地よい。
「俺、君と結婚出来て、本当に良かった。ありがとう」
「航……」
いってらっしゃい、のキス。
「あたし、今すごく幸せだよ」
「俺も。君がいて、美麗がいて、これから航太も生まれてくる。こんなに幸せなことは無いよ」
「まだまだよ。三人目も作るから。だから頑張って稼いできてね」
悪戯っぽく笑う、愛らしい妻に、目を見開く。
「本当に? あはは、よし。パパ頑張るぞ。な、美麗」
坂本は、愛娘の頭をそっと撫でると、玄関の扉を開けた。
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