そうならなければならないなら
「さようなら」の語源である
私はこの本のページを読んだ時
このフレーズと出会うために
この本を読んだんだなと思った
日本語というのは
難解である
ひらがな、カタカナ、漢字…
読み方何通りあるのよ…
イントネーションで意味違ってくる言葉
何個あるのよ…
文句を言ってはみたものの
日本語というのは真に美しい
毎日、幾通りとある言葉のうまい組み合わせに
まんまと感動している
なかでも私はオノマトペ(擬態語・擬音語)が好きだ
「雪がしんしんと降る」
なんて素敵なの!
「水がさらさらと流れる」
「花びらがはらはらと舞う」
「雨がしとしと降っている」
この表現の情景が浮かぶ私は日本人
美しい景色が浮かぶ
そして私はその景色の中にいる
何度も実際にみてきたおかげで
その日の気分で
何パターンかの景色が浮かぶ
えっ⁈
めちゃくちゃ幸せなんですけど
日本人でよかったと思ってしまう
ちょっといきなり汚い話になるが…
ここ3日くらい次男の調子が悪い
熱はないが、食欲がなくて
ぐったりしていることが多い
そして下痢気味なのだが
私は下痢の表現を
「うんちミチミチ?」
と確認している
すると次男が
「ミチミチだったぁ」
と教えてくれる
下痢してるときってミチミチって聞こえるから
すごい擬音語じゃん‼︎と今日思った
どんどんズレるが
便座に座りふんばっている子どもは
なぜあんなにかわいいのだろうか…
私は何度トイレでうっとりしたことか…
見惚れてしまうのだ
もよおしている子どもに
何度キスしたことか…
時には写真におさめたこともある
子どもたちにしてみれば邪魔の極みである
ごめんよ…あと少しの間だけ
うっとりさせておくれ
話は最初に戻るが
「さようなら」について
素敵な本を読んだので引用する
「さようなら」の深い意味
―「さようなら」という別れの言葉には、とても深い意味があったのですね。
柳田)この語意は一般的には「さようであるならば」なんですが、もう一つ
「そうでなければならないならば」
という意味もあるんです。
日本人が日常的に使う「さようなら」とか「さよなら」という別れの言葉の深い意味について、
私が啓蒙されたのは、倫理学者で日本人の精神史研究者である元東京大学教授の竹内整一先生の著書『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(ちくま新書)によってです。
興味深いことに、「さようなら」という日常的な日本語の深い意味について、竹内先生が深く思索をめぐらすようになったのは、二十世紀初頭のアメリカの女性飛行家アン・リンドバーグの日本訪問飛行の手記『翼よ、北に』(中村妙子訳、みすず書房)を読んだことからなんです。
来日したアンは、日本の鉄道の駅でも、横浜港の桟橋でも、出発する人々と見送る人々が、
互いに「さようなら」「さようなら」と言葉を交わし合う情景を見て、強く興味を引かれたというのです。何でこんなにも懸命に叫び合うのだろう。
「さようなら」ってどんな意味の言葉なのだろう。
そう疑問を抱いたアンは、日本人の知人に「さようなら」の語源と意味を調べてもらったのです。
そして、『翼よ、北に』に、こう記しているのです。
(「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。
これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らないAufWiedersehen(ドイツ語)やAurevoir(フランス語)やTill we meet again (英語)のように、
別れの痛みを再会の希望によって紛らそうという試みを「サヨナラ」はしない。
目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げるFare wellのように、別離の苦い味わいを避けてもいない。)
「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。
言葉にしないGood byであり、心をこめて手を握る暖かさなのだ――「サヨナラ」は。)
柳田邦男
そして最後に
私が初めて聞いた時
びっくりした(感動しすぎて)
有名な詩?を引用する
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ つがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
※こんだけサヨナラ言っといてアレですが
noteは今のところまだ続けてみようと思います
