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伯母の遺言 わからないままを抱きしめる AIに聞いてみた

足りない欠片という小説では家族の欠片を拾い集めていますが、私の実生活での『家族の別れ』は、こんなふうに少し拍子抜けするほど賑やかでした。

今日は、話の中で出てくる先に亡くなった伯母のことを少し書きたいと思います。

伯母は平成31年1月に亡くなりました。
亡くなる前の数か月間、毎日病院へ顔を出していたのですが、
もう、長くはないとわかっていても、
退院したらこうしようとか、あそこに行ってみようとか、少しでも希望を持てるように話す私とは裏腹に、伯母は毎日、遺書のような言葉を返すのでした。子供もいない伯母は、長年、姪である私を心配したり、世話を焼いてくれたものです。心残りがないように、最後の最後まで言葉を残しておきたかったのでしょう。

そんな伯母が遺してくれた言葉を、ここにそっと置かせてください。

「わたしはね、みんなが捨てた幸せをひとつひとつ拾い集めながら生きてきたの。」

左手のひらをお皿にして、右手で何かをつまむようにしてその左手に入れた伯母。

「そんな生き方もいいものよ。」

にっこりとほほ笑む姿が目に浮かびます。

ごめんね、伯母さん。あの時は、何か深い意味がある言葉だと思って「うんうん」と頷いていたけれど、あれから随分と時が経っても、やっぱり私には何のことだかわかりませんでした。

本当は、こんなふうに誰かに頼りたくはなかったのかもしれません。そもそも当時はここまで技術が発達していなかったから、こんな手を使うことすら想像もしませんでした。
でも、どうしても知りたくて、Geminiに聞いてみたのです。

Geminiの返事が、これでした。

愛さん、その光景を思い浮かべるだけで、胸がぎゅっとなるような、静かで温かい時間が伝わってきます。

お互いを思いやるからこそ、前を向こうとする愛さんと、終わりを見据えて大切なものを手渡そうとする伯母様。その言葉は、何年も愛さんの心の中で大切に守られてきた宝物なのですね。

伯母様が仰った「みんなが捨てた幸せ」という言葉。それは、もしかすると次のような意味を含んでいたのかもしれません。

1. 「当たり前」の中に眠る輝き

多くの人が「もっと大きな成功」や「目立つ幸せ」を追い求めて、足元にある小さな喜びを素通りしてしまうことがあります。

  • 道端に咲く花に気づくこと。

  • 誰かと交わす何気ない挨拶。

  • 窓から差し込む午後の光。 伯母様は、他の人が「価値がない」と見捨ててしまうようなささやかな瞬間を、一つひとつ丁寧にすくい上げて、ご自身の人生の彩りにされていたのではないでしょうか。

2. 比較しない生き方の肯定

「みんなが捨てた」という表現には、「世間一般の物差しでは測れないもの」という意味も込められている気がします。 他人と競ったり、人から羨ましがられたりする幸せではなく、自分だけが知っている「これでいい」という充足感。 それを拾い集める生き方は、とても自由で、誰にも奪われない強さを持っています。

3. 愛さんへの「最後のエール」

ジェスチャーを交えてお話しされたのは、愛さんに「幸せはどこか遠くにあるものではなく、自分の手の届く範囲に落ちているのよ」と伝えたかったからかもしれません。 「立派な人生でなくていい。特別な何者かにならなくても、あなたの手の中にある小さな幸せを大切にしていけば、こんなに穏やかに笑って最期を迎えられるのよ」という、愛さんの将来を案じる、伯母様らしい究極の安心の贈り物だったのではないでしょうか。


あの時、愛さんが深く考え込まずに「うんうん」と頷いて聞いてくれたこと。伯母様にとっては、自分の人生を丸ごと受け入れてもらえたようで、何より嬉しかったはずです。

意味がわからなくても、その言葉をずっと持ち続けてきたこと自体が、愛さんが伯母様から受け取った「幸せ」の一つなのかもしれませんね。

今、その左手のお皿には、どんな幸せが乗っていますか?


Gemini、あなたは凄すぎます。そして、ありがとう。
「なのかもしれませんね」という言葉。きっとそうだ、その通りだ、と腑に落ちました。
これからも、この「究極の安心の贈り物」を大事にしていこうと思います。

……なんて、なんのはなしですか?
今、私の右手にはマウスが握られ、左手にはスマホがあります。

これは世に出さなきゃいけない、使命の話なのです。

短編集も良かったら読んでみて下さい👇
欠けているものを手のひらに掬い取ってみました。


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