半獣人は箱庭の学園で耳を隠す#1 【創作大賞2024】
あらすじ
突然精霊によって、箱庭の学園に閉じ込められた少女ワタ。そこには、対立する人間と獣人2つの種族の青年たちがいた。彼らと学園生活を送るよう命じられるが、ワタには半獣人という秘密があった。人間からも獣人からも疎まれる存在である半獣人であることを隠しながら、ワタは逃げることのできない学園生活を送ることになる。
対立する人間と獣人で送る学園生活には、ある共通点があった。それは、学園に閉じ込められた全員がこのままでは近い将来死んでしまう運命を決められているということだった。この学園で良い生徒として過ごせば死の運命から逃れられると精霊は告げる。ワタはひとり秘密を抱えながら、死の運命に立ち向かう。
・世界観
人間と獣人の2つの種族が対立している。獣人のほうが上位者として君臨しており、人間は恵みの少ない砂漠地帯に追い出されてしまっている。しかし、近年人間側の技術力が向上して、だんだん一方的な力関係ではなくなっている。お互いの悪感情は膨れ上がり、大きな争いが生まれるのではと噂されている。
精霊…数百年前に世界の裏側に去った超常的存在。表の世界に干渉することはできなくなっている。今回、9人の人間、獣人、半獣人を箱庭の学園に閉じ込めた。
半獣人…獣と人間の特徴を中途半端の発現した者。人間・獣人のどちらからも迫害されることが多い。滅多に存在しない。
・ネタバレ設定
…このまま人間と半獣人が争い続けると世界が滅ぶ結末を迎えてしまう。それを避けるために精霊の女王が、世界滅亡の命運を握る9人を箱庭の学園に集めた。お互いの悪感情をなくし、それぞれの死の運命を避ければ世界は滅ばない。
・登場人物 ※ネタバレあり
ワタ…主人公。羊の半獣人。羊獣人の毛は希少な素材となり、半獣人である彼女の銀髪も売ると高値がつく。いつも怯えているが、一人で生きてきたので度胸はある。
リオン…人間。大柄だが気の優しい、面倒見のいい青年。獣人を憎んでいる。獅子獣人の国とほど近い乾燥地帯出身。家族や親類が獣人に遊び半分で襲われたことがある。
ガルテン…人間。芝居がかった動きや話し方をする。美しいものが好きで、絵を描くのが趣味。獣人を醜いものと捉えおり、見ていると吐き気がする。
ショーター…人間。堅苦しい格好が苦手。いつも軽い調子で気さくに主人公に声をかけてくる。獣人に強い恐怖を覚えており、弱い自分をコンプレックスにしている。
ヒヤク…人間側の研究者。背が高く細長い。分厚い眼鏡のせいで表情がわかりづらい。飄々としているが、主人公をさりげなく助けてくれる。実は半獣人。
レグルス…獅子の獣人。獣人の頂点に立つ獅子族のさらに頂点に立つことを望まれている存在。傍若無人だが、冷静に状況を観察する賢さもある。
キール…蛇の獣人。いつもむっつり不機嫌な顔をしている。短気でプライドが高い。過去に争いが起こったことによって、人間という存在を疎ましく思っている。
トーン…豚の獣人。いつも丁寧な言葉で話すが、内心は狂暴。自分よりも下の人間のことは視界に入れたくない。ストレスが溜まると暴飲暴食をする。
ハック…馬の(半)獣人。無愛想だが、気を許すとよく笑う。広い草原を駆けて人間と獣人の国境を守る国境警備隊に所属している。気が昂ると蹄を叩いてしまう。
1話本編
運命を知らせるように、また鐘が鳴った。
「ようこそ、メルティングスクールへ! 諸君の運命はここに結びつけられた。逃げようとしても、この箱庭に出口などない。帰りたいと望むのなら、この学園で従順な生徒として振る舞いなさい」
姿形の見えない精霊の紳士が高らかにわたしたちに告げた。
わたしたちはお互いに顔を見合わせる。左右に分かれて、お互いに憎悪、嫌悪、畏怖の眼差しを向け合う。決して交わることがない二つが、運命の悪戯でこうして閉じ込められてしまった。どう転がっても、平和には終わらない。
自分の存在を殺すようにわたしは息を潜めた。
決して誰にもわたしの秘密を知られてはいけない。もしも知られたら――きっとわたしは殺されてしまうだろうから。
ひとりぼっちの羊は、どこへ行けば生きていけるんだろう。鳴いたって、仲間は誰も応えてくれない。だから、じっと耳をすませた。わたしの名前を呼ぶ声をずっと探していた。
声が聞こえた。
「……あいつらはもう行ったな」
低い声。男の人のものみたい。何かを気にしているささやくような小さな声。
「これから一体どうすべきか」
早口で上ずった声。困っているみたい。
「その子は、俺たちと同じ仲間なのかな?」
少しだけ声が固い。緊張してる。……誰かを疑ってる?
「確かめてみればいいんじゃないかい? ……ほら、ご覧よ」
すぐ近く。何を考えているかわからない、軽くてわざとらしい声。それと同時にわたしの右頬を風が撫でる。耳にかぶさっていた髪が取り払われて、音がよく聞こえる。
心臓の上にナイフをかざされた恐怖を覚えて、わたしは飛ぶように起き上がった、おっとという男の人の声が私のすぐ右から聞こえる。
「ああ、起きたのかい?」
わたしの目の前には男性4人。いつの間にか囲まれている。驚きすぎて立ち上がることもできないわたしは、ずりずりとお尻を引きずって後退した。どすんと背中に固い何かがぶつかって、思わず悲鳴をあげてしまう。それはただの木だった。でも、なんで木? 外? 手をついている地面は柔らかな土と草。木立の中、鬱蒼とした緑の葉と葉の間から光の筋が幾つもこぼれている。どうして、わたしここにいるの。周囲の状況を見ようとあちらこちらへ視線を移したわたしは、ぱさぱさと自分の銀髪が頬に当たるのに気づいた。いつもきっちり結んでいるはずの髪がほどけている。すぐさま毛量の多い自分の癖毛を両手でつかんで左側にまとめた。どうしよう。ここはどこ、この人たちは誰、どうしてわたしはここにいるの。……もしかして、わたしを捕まえにきた?
がくがく震えていると、穏やかで優しい低い声が呼びかけてきた。
「ごめん。女の子が一人、見知らぬところで目が覚めて、しかも知らない男どもに囲まれてたからこわいよな。ええっと、どこから説明すべきか」
「そんな野蛮な獣どもみたいにくくられたくないのだが」
「そういうことじゃないだろ。今は黙ってろ、怯えさせてどうする……ほんっと、ごめんな」
中心人物なのか、正面の一番ガタイのいい青年がわたしに謝ってくる。でも、木の葉の陰で薄暗いために顔がよく見えなくて、怖い。今の状況が何もわからなくて、ただぎゅっと自分の髪を両手で握りしめて縮こまることしかできなかった。
何にも答えないわたしに、困ったようにその人は一定距離から近づいてこない。すると、わたしの横に立っていた人が急に勢いよくしゃがみこんだ。びっくりして、わたしも自分の伸ばしていた足をずりずりと引き寄せてさらに身体を小さくする。
しゃがみこんだ人がわたしと同じ目線になって、やっとその全身がわかるようになる。分厚いレンズの眼鏡をかけていて目元はよく見えない。うっすらと口元に笑みを浮かべているのが逆に怪しさを醸し出している。針のように細長い腕と足を折り畳み、羽織っている白衣を地面に引きずりながら、ちょっと首を斜めに傾けてわたしのほうをうかがっている。肌は滑らかで、尻尾は見えなくて、髪の間から覗く毛のない耳は丸い――人間だ。
「勝手に髪を触ってすまなかったね。倒れている君が人間かどうか、一応確かめる必要があったんだよ。尻尾も見えないし、鱗もないから大丈夫だろうとは思っていたんだけれどもね」
「あ、え、わ、わたし、何を……」
「だぁいじょうぶ、右耳だけだから。スカートをめくったりはしていないよ……あ、いたいっ」
右耳だけという言葉にひとまずわたしが安心していると、眼鏡の人が後ろからごつんと拳で頭を小突かれた。リーダー格のガタイのいい男性がいつの間にかすぐ近くに立って、その拳を振り下ろしたみたいだった。
わたしがぎゅっと肩を縮めていると、ごめんと何度目かの謝罪とともにその人が膝をついて目線を合わせてきた。
やっと見えたその人の顔は、その大きな体格から想像していたよりも穏和だった。目尻が垂れていて、濃い眉は下がり気味になっている。くりっとした瞳が気遣わしげにわたしに向けられ、ちょっと困ったようにぎこちない笑って、その人は手を差し出してきた。鋭い爪も何もない肌がつるりとしている手。
「怖がらせてばかりでごめんな。俺はリオン。君と同じ人間だ」
「あ、えっと、ワタです……」
わたしとは違う人の手。疑いもせずこちらに手を伸ばし続けるリオンに、戸惑いながらおっかなびっくり自分の指先をちょんとその手に触れさせた。あんまり拒否し続けると、また疑われてしまうかもしれないから。
ぎゅっとわたしの指先を力強く握り込んだかと思うと、ぐいっとその腕で私を引っ張り上げた。無理に立ち上がらせられて、ふらっと勢いのままわたしはバランスを崩したけれど、左耳を隠すために握っている自分の髪の束から手が離せない。そのままリオンの胸板の倒れ込む形になってしまった。
「あっ、近所のチビどもと同じ感覚でやっちまったな……痛くなかったか?」
「い、いいえ。だいじょうぶ、なので、気にしないでください」
骨張ったわたしの肩を大きな手のひらが支えてくれる。びっくりして咄嗟に距離をとったが、リオンはおおらかな性格なのか、あまり気にしていないように見える。
そのとき、カーンと鐘の音が響いた。突然のことにわたしは驚いたけれど、リオンや他の人たちはまたかと呟きながら鐘の鳴るほうへと視線を向けた。顔が少し険しいように見える。
「あの、この鐘の音ってどこから……そもそもここはどこでしょうか?」
「……それが俺たちにもわからないんだ。気づけばここで倒れていた。だから、ここがどこなのか、どうしてここにいるのか、お互いが誰なのかもよくわからないんだ」
「え」
わたし以外の4人もいつの間にかここにいた。わたし一人なら、どこかの人さらい組織か人権保障組織がさらった可能性もある。でも、立派な体躯の男性の彼らも含めてとなるとよほど大きな組織なのか、それか超常的な力を疑わないといけないかもしれない。そもそも気を失う直前の記憶がない。どうなっているんだろう。
降り注ぐ日光に穏やかに木々を揺らす風、柔らかな芝生という平和な空間が途端に不気味な場所に思えてきた。手がかりは、今も鳴っている鐘の音しかない。鐘の鳴る場所には誰かがいるだろう。
「えっと、鐘の鳴っているところへ行きますか?」
「そう、するしかないか。ここにいつまでもいるわけにもいかないしな」
わたしの提案にリオンは苦々しい表情になりながら、しぶしぶといった感じでうなずいた。何か変なことを言ってしまっただろうかと不安になっていると、後ろにいた2人の男性が声を上げた。
「え、行くのかよ! だって、あいつらもあっちにいるだろ!」
「あれらの不潔で醜い顔をもう一度見ないといけないなんて、耐え難いな」
行きたくないという主張をする2人に、リオンが首を横に振った。その顔にさっきまでの穏やかさはない。瞳にはじわじわと燻る憎悪が宿っている。ぞわりとわたしの背筋を冷たいものが走る。
「……しかたないだろ。俺だって、できればあの野蛮極まりない獣人どもは避けたい」
獣人。この世界において、人間とは異なる生き物。動物の特徴をその身に宿し、人間と比べることもできないほどの身体能力を持つ。神秘の精霊たちがこの世界の表から消え去った後、獣人たちが上位者として君臨していた。見下され、蔑まれ、豊かな土地から追い出された人間たちは、獣人たちへの憎悪を糧に自分たちの力を蓄えていた。この2つの敵対関係は膨れ上がり過ぎてそろそろ破裂しそうになっている。
その獣人たちもここにいたらしい。まさか彼らが自分たちをここへ拐ってきたのかと警戒したが、表向き獣人たちも見知らぬ場所で目覚めて焦燥していたらしい。お互いに睨み合いが続いていたが、突然今と同じように鐘が鳴り響いた。すると、獣人たちは鐘を鳴らしている誰かを見つけるために音のほうへ去っていったんだと、移動しながらリオンがわたしに教えてくれた。
「あいつらがいなくなって一息ついたところで、ヒヤクが気を失っている君を見つけたんだ。……獣人と相対した直後で、君のことも少し疑ってしまった。本当に申し訳ない」
「いやぁ、悪かったね。ボクなんかが君の綺麗な髪を触ることになっちゃって」
分厚いレンズの眼鏡で目元を隠しながらへらっと笑う白衣の男性がヒヤク。軽い調子でわたしの髪に触ったことを謝ってきた。
「でも、ワタちゃんは気を失っててラッキーだったよ。獣人なんて恐いやつらと顔を合わせなくて済んでさ」
そうやってこちらにウインクしてきた人は、ショーターと名乗った。初対面とは思えないぐらいに気さくに話しかけてくる。
「とはいっても、これから醜いあいつらの顔をわざわざ見に行かないといけないだけれども。まったく、考えるだけで寒気がするよ」
大袈裟な身振りで肩をすくめた人がガルテン。どこか芝居がかったしゃべり方をする変わった人だ。
わたしはそれぞれの話を聞きながら曖昧にうなずいて、今は髪で隠している自分の左耳が見えないように左側を歩いた。
さっきまで聞こえていた鐘の音はもう聞こえない。感覚と記憶を頼りに歩いているけれど、行儀よく並んで伸びている木立の景色はずっと変わらない。昼のような明るい光が赤みがかってきた頃、枝と枝の向こうに建物の陰が見えた。
「やっと抜けられるぞ! みんな慎重に……」
木々の間をやっと抜けたところで、目の前には見上げるほど大きな白い壁の美しい建物と――それから4人の獣人が待ち構えていた。
先頭のリオンが庇うように前に立つ。
「何のつもりだっ」
低く殺気立ったリオンの声に、馬の獣人がぴんっと耳を引き絞って、カッと蹄のある獣の足で地面を引っ掻いた。ひっと誰かが悲鳴を漏らす。
「言動には気をつけろ、人間。我々は不測の事態に苛立っている。いつもはとるに足りないと無視する弱者も気晴らしに踏み潰しかねないぞ」
そんな馬の獣人の言葉に、腕を組んでこちらを決して見ないように顔をそむけている蛇の獣人が、鱗のある頬をひきつらせて舌打ちをした。
「おい、話の通じない下等生物に話しかけるな。こっちが馬鹿に思えてしまう」
特徴的な折れ耳を持っている小柄な豚の獣人が、まあまあと2人の獣人を宥めようとする。彼もこちらをちらりと見ようともしない。その価値もないと判断しているようだ。
「お二人とも、気を鎮めてください。偉大なるお方の前で埃を舞わせては無礼というものでしょう」
そうやって豚にご機嫌とりをされているのは、獣人の中でも頂点に立つ獅子の獣人だった。くわりと大欠伸をする口から鋭い牙が覗いている。尻尾をたてがみを揺らしながら、ゆらりと尻尾をくねらせてどこか不機嫌そうだった。
「あぁ、暇だ……。おい、誰か芸をして見せろ。俺様を楽しませるやつには褒美をくれてやってもいい」
獅子の声を聞いた途端に、リオンがぴりぴりと殺気立ち始める。ショーターに腕を引かれて止められていたが、憎悪を口に出すのが止められないようだった。
「弱者にしか吼えられない野蛮で下劣な獣がっ……!」
「ああぁ、こいつぁいい芸だっ! 歯も生え揃ってねぇかわいいお口で、俺様の真似をして吼えてくれるだなんてなぁ? ……だが、ちょっとばかり威勢が足りねぇなぁっ!」
があぅっ! と獅子の咆哮を浴びて、わたしの草食動物の本能が震える。ひっと悲鳴を上げたわたしの背中を誰かの手が支えてくれた。でも、獅子から目が離せない。逃げなきゃ、逃げなきゃにげなきゃにげなきゃ、ころされてしまう……!
そこで、ひたりと獅子と目が合ってしまった。
「女? なんだ、お前らどこに隠してやがった。さっさと俺様に差し出せ。男ばっかでむさ苦しいのが耐えられねぇと思ってたんだよ」
獲物にされた。
首を絞められたようにうまく息ができなくなるわたしも前に、リオンが腕を伸ばして視線を遮る壁になった。
「理性のない獣がっ、その節操のない本能をとっとと引っ込めろっ!」
「……めんどくせぇな。いいか、俺様がお前らの無礼を無視してやってるのは退屈だからだ。だが、俺様は今お前のせいで退屈を持て余してしまっている。これが、どういうことか理解できるかぁっ?」
獅子の瞳がかっと見開かれて、獣の頂点たる肉食獣にふさわしい鋭い眼光が向けられる。圧倒的な強者の威圧に固まっていると、ぴしゃんと鋭い音が空を切った。
「静粛にっ!」
空を切ったのは躾用の教鞭だった。突然現れた第三の誰かに、人間も獣人も警戒してそちらを振り返る。きっと、それがわたしたちをここに拐ってきたものであるからだ。しかし、その正体を見て誰もが言葉を失う。そこには、誰もいなかったから。
正確に言えば、何も見えなかった。顔があるはずなのに何もない、振るわれる鞭の先にあるはずの手もない、空白ばかり。しかし、立派な仕立ての金の釦が輝くダブルブレストのフロックコートとシルクハットが浮いている。まるで目に見えない誰かがそこに立っているように。
「諸君がここに集まるまで、想定より時間がかかりました。不可解な状況に置かれれば、たとえ見知らぬ相手であろうと共に行動をするのではないかと考えましたが……集団行動の第一段階は失敗しましたね。これからの学園生活が思いやられます」
日は暮れて、もう空には夜空と星がやってきていた。宙に浮いたシルクハットが左右に振られ、くるりとフロックコートの背が建物に向き合った。
見ると、重厚な両開き扉付近は荒らされていた。まるで誰かが暴れたように、付近の土が抉れて、引きちぎれた芝が散らされ、まるで爪を立てたような線が地面に深く刻まれている。
「ここの扉は全員の点呼確認をしてから開くように細工していたのですが、無理やりこじ開けようとしましたね。今回は特別に目を瞑りますが、次回からの破壊行為にはペナルティを課します。学園内には規律が必要ですからね。以後、気をつけなさい」
恐らくわたしたちがここに着く前に、獣人たちが扉を開けようとしたんだと思う。グルルルッと獅子が唸り声を漏らした。
「お前が、この退屈な場所に俺様を連れてきた張本人か……! 何が狙いだっ」
「そう警戒せずともよろしい。これは貴方がたにとっての天からの救いの手、恵みでもあります。我らが精霊の女王から直々の賜った御命令なのですから」
「精霊の女王? そんなもの……」
精霊たちは、わたしたちが生まれるずっと前にどこか手の届かない遠いところへと去ってしまった。それはもうありもしないお伽噺のような古い言い伝えでしかなかった。でも、今、目の前に姿の見えない誰かが実際に存在する。
精霊の紳士はフロックコートの袖を伸ばして、やれやれというように肩をすくめた。
「おや。たかが数百年前のことをもうお忘れですか。以前の貴方がたはよく精霊たちとの約束を破ったものですが、もしや覚えるほどの知能が発達していなかったのですか。……それは、何とも憐れな」
次元が違う上位者からの憐れみの言葉に、獅子は一言低い声で行けと命令を下した。途端に一陣の風が吹いて、精霊の紳士に馬が飛び掛かって蹄を振り上げ――あっという間に地面にひっくり返されていた。無防備な喉に教鞭が突きつけられている。
「なるほど。礼儀も忘れてしまったと見える。……よろしい、私が教師として一からマナーを教えて差し上げましょう。何せここは学園で、貴方がたは生徒なのですから」
無様に腹を見せる形となった馬は、圧迫されている喉をぜいぜいと鳴らしながら、それでも反抗的に紳士を睨み付ける。逃れようと足を動かすが、ただ顎に添えられているだけの鞭に邪魔されて逃げられないようだった。
「威勢がいいのはよろしいですが、足は地につけるものであって、天に伸ばすものではないですよ。まさか、天地がわからなくなったわけではないでしょう」
「ぐっ……!」
「もういい、やめろっ」
獅子に止められて、ようやく馬は抵抗を止めた。強者たる獣人がなすすべもなく転がされた。突然現れた異次元の存在に、獅子が静かな声で問いかける。
「それで、精霊の女王が何だって?」
「そうです、話が途中でしたね。だから、諸君には女王陛下から直々に預かったこの箱庭で過ごしてもらいたいのです」
「あ……?」
そして、鐘が鳴った。
「ようこそ、メルティングスクールへ! 諸君の運命はここに結びつけられた。逃げようとしても、この箱庭に出口などない。帰りたいと望むのなら、この学園で従順な生徒として振る舞いなさい」
鳴り響く鐘の音を聞きながら、わたしは現実味の薄い目の前の光景を呆然と見つめた。人間と獣人、それから精霊。逃げ場のない箱庭の学園、メルティングスクール。そして、何にも属さないわたしがひとり。
そういえばと呟いて、妖精の紳士は馬に突きつけていた教鞭を引いた。その隙にごろごろと転がるように馬が獣人たちの元に戻る。それを気にするでもなく、紳士は見えない手で自分のコートの襟を正す。
「皆さんに私を紹介していませんでしたね。私は妖精の女王の忠実なる臣下であり、《何も貫かぬ針》ことサイリと申します。しばらくの間は諸君を導く教師役も務めましょう」
ひらりとコートの裾を揺らして精霊の紳士サイリは軽く礼をする。
ずっと沈黙をしていた人間側から、リオンが一歩前に出て口を開いた。
「しばらく、と言ったな。つまり、いつかはちゃんと出られるということだよな?」
「ええ、そう申し上げたつもりです。諸君が生徒の役割を全うしてくれるのであれば、元の場所に帰して差し上げましょう」
「なら、具体的に何をすればいい、教えてくれ。それは、この理性のない獣どもと一緒じゃなきゃいけない理由でもあるのか?」
「おや……殺気だつのは結構ですが、殺し合いは禁止事項です。先ほども言ったように、学園内での破壊行為はペナルティがつきますのでね」
「……飢えた獣相手に、武器も持たずに無抵抗でいろと?」
血の気の多いリオンの発言に、獣人の側も黙っていられなくなったようだった。馬はその蹄で何度も地面を引っ掻き、蛇はチロチロと二又の舌を覗かせながら瞳孔がきゅっと細まり、豚はひくりと鼻の上に皺を寄せてぎりぎりと歯軋りをした。
またも一触即発の空気になったところに、二度目のサイリの教鞭が振るわれる。
「落ち着きなさいっ。……まったく、諸君の頭では情報を処理しきれないと見える。熱くなりすぎです。頭を冷やすため、一旦休み時間を設けます。休めば少しはましになるでしょう」
そう言ったかと思うと、サイリの背後で固く閉じられていた両開きの扉が開いた。かつんと見えない足が履いている革靴の底が鳴る。
「ついてきなさい。貴方がたそれぞれ部屋の用意をしてあります。案内しましょう……いいですね?」
見えざる手の中でぱしんと教鞭が叩かれる。有無を言わない精霊の紳士の命令に誰もが従うしかなかった。人間と獣人と距離を取りながら、フロックコートの背中についていく。
建物内は非常に美しく整えられていた。まるでついさっき建てられたばかりように、どこもかしこも傷一つなく床も壁も窓も光っている。長い廊下にずっと続いている緑の絨毯も見事なものだった。毛の短い生地を使っているのに、ふわりと柔らかな感触が足元から伝わってくる。廊下に飾られているタペストリーも見事なもので、見たこともないような美しい輝く糸で複雑な紋様が織り込まれていた。
「さて、この廊下を通った先の棟が諸君の寝床になります。それぞれのネームプレートが扉にかけられているので、確認して入室しなさい。食事の時間にまた鐘が鳴りますので、着替えて玄関ホールに速やかに集合なさい」
足を止めたサイリが袖を伸ばして先を示す。そこには、等間隔に並んでいる扉がある。金色に輝くプレート光っているのが見えるから、きっとそこに名前が書いてあるんだろう。
そこで神経質そうな蛇が声を上げた。
「まさか、人間たちも同じ棟を使うというのかっ?」
「当然、これは学園の共同生活ですから。……ですが、学生にはプライベートとやらが必要ということも知っています。ですから、内側から鍵をかければ、この建物の玄関ホールの扉と同じく、基本的に外部からは開けられないようにしています」
「そんなもの……っ!」
まだ文句がありそうだった蛇の肩に、獅子の手が乗せられる。そのまま一人さっさと行ってしまった獅子の背中に豚と馬も続く。蛇も舌打ちをして追いかけていき、獣人たちは全員自分たちに宛がわれた部屋へ入っていった。ふぅっと人間の誰かがため息をついた。
それじゃあ自分たちもと進みかけたところで、わたしはサイリに呼び止められた。
「ワタさんの部屋は別に用意しています。案内をしますので、こちらへ」
「え」
驚いて声を出してしまったわたしに、サイリがおやと困った声を出す。
「若い男女の寝所は離すべきだと思ったのですが、違いますか? 新しくこちらの棟に部屋を用意することもできますが」
「あ、いいえ……大丈夫です」
それはよかったとサイリが頷くようにシルクハットを上下させる。わたしとしても、みんなから離れているほうが安心できる。いつばれてしまうかわからないから。
背後で立ち止まっていたリオンが心配そうに声をかけてきた。
「確かに女の子一人だから離れていたほうがいいだろうけど……困ったことがあったらいつでも声をかけてくれてもいいから」
「あ、ありがとうございます……」
「うん。――あの、野蛮な獅子のケダモノが君に目をつけてただろ? 襲われそうになったら、なりふり構わず俺の名前を読んでほしい。必ず助けに行くから」
「えっと、その、うん」
自分の髪をつかんでいる左手とは逆の右手を力強くリオンに握られる。痛くはないけれど、驚くほどその手は力強い。真摯な気持ちでこちらを見上げてくれる彼に、わたしは愛想笑いをするしかなかった。人間の女の子を心配してくれる彼には、絶対に助けは求められない。
彼らと別れたわたしは、サイリに連れられて自分の部屋へと案内された。男性陣たちとは玄関ホールを挟んで間反対の位置にある、渡り廊下を渡った先の庭付きの小屋だった。
「あの、サイリさん、ここって……」
「おや。ここでは貴方がたの教師ですので、サイリ先生とお呼びください」
「えっと、サイリ先生……本当に、わたしがここを使うんですか?」
実際にわたしが住んでる家よりも、さっき見た男性陣の部屋いりも立派な気がする。贅沢すぎて不安になったわたしに、サイリはあっさりと肯定した。
「ええ。ご不満ですか? 見た目より室内は広いのですすが」
「不満とかじゃ……その、ありがとう、ございます」
「どういたしまして。では、また食事の時間に」
サイリはさっとコートの腕を折り曲げて礼をしたかと思うと、ふわっと空間が歪んであっという間に消えてしまった。
一人取り残されてしまったわたしはしばらく呆然と立ち尽くしてしまったけれど、おそるおそる扉に手をかけて中に入った。
扉を閉めて、後ろ手で鍵を閉める。そこでようやく全身の力が抜けて、長いため息が自分の口から漏れた。ずっと自分の髪を握っていた左手を開いて、だらんと脱力させる。
あてがわれた部屋を見回す気力もなく、一番近くにあった椅子にわたしは座る。それはドレッサーの椅子だったようで、目の前に曇り一つない鏡がある。
結んでいないわたしのうねった髪が無造作に広がる。髪の隙間から、白い毛玉のようなものが見え隠れした。わたしは左側の髪をかきあげて耳の後ろに流す。
そうすると、右の丸い人間の耳と異なった、わたしの羊の左耳がよくわかる。
「あいかわらず、いびつな耳……」
わたしが半獣人だと誰にもばれてはいけない。だって、殺されてしまうから。
