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節約って、我慢なんだろうか? 〜お金を使わないことではなく、流れを選ぶこと〜

前回、貯金について考えた。

貯金は、未来の自分や家族を助け、生活の土台を守るお金である。

ただし、貯めることばかり考えると、お金の流れだけでなく、自分の生活まで止まりやすくなる。

では、貯金をするために、多くの人が最初に考えることは何だろう。

たぶん、

節約

である。

支出を減らす。
安いものを選ぶ。
無駄遣いをやめる。
我慢する。

節約という言葉には、少し窮屈な響きがある。

もちろん、収入が減ったときや急な出費があったときに、支出を見直すのは現実的である。

でも、節約とは本当に「我慢すること」だけなのだろうか。

私は少し違う気がしている。

節約とは、お金を使わないことではなく、

お金の流れ先を選ぶこと

なのではないかと思う。

安いものを選ぶことだけが節約ではない

同じ価値を得られるなら、安く済ませるのは合理的である。

ただ、安いから買ったものを結局使わなかったり、すぐ壊れたり、満足できなかったりすることもある。

逆に、少し高くても、長く使えたり、毎日の気分をよくしてくれたり、自分や家族の時間を楽にしてくれるものもある。

そうした支出を、単純に「高いから無駄」とは言えない。

節約とは、価格だけを見ることではない。

そのお金が、自分にとってどれだけ意味のある使い方になっているかを見ることなのだと思う。

国産を選ぶことも、お金の流れの選び方である

私は、同じ満足度を得られるなら、できるだけ国産を選びたいと思っている。

食料品もそうだし、趣味で買う腕時計もそうである。

国産のほうが安いからではない。

仕事を通じて、日本の職人や現場の品質へのこだわりを見てきたこともあり、そこには基本的なリスペクトがある。

もちろん、海外ブランドには海外ブランドの魅力がある。

それでも、品質に納得できるなら、私はブランド力より、国産を応援する意味で選びたいことがある。

これは、安いものを買う話ではない。

自分のお金の流れを、自分が望む方向へ少し向けるということである。

無駄遣いは、金額だけで決まらない

数百円でも、何となく買い続け、あとで虚しくなるなら、それは見直してもよいかもしれない。

一方で、少し高い食事でも、大切な人と話す時間になったなら、無駄とは限らない。

食事、本、旅行、推し活、家族との外食。

人によって、削りたくないものは違う。

誰かにとっての無駄が、自分にとっての支えかもしれない。

節約は、正解を探すことより、自分の価値観を知る作業に近い。

だからこそ、これは本当に必要なのか、見栄で買おうとしていないかを、少しだけ観察したい。

「これは未来への投資だから」と言いながら、ただ欲しいものを買っていることもある。

私も、たぶんある。

いや、かなりある。

それを言い始めると、だいたい財布が危ない。

好きな世界を残すために使うお金もある

私は、ジャズロック系のピアニストのコンサートに行ったり、グッズを買ったりする。

ものすごい推し活というわけではない。

サラリーマンのお小遣いの範囲で、無理のない程度である。

もちろん、自分が楽しみたい。

でも同時に、超有名というわけではないその音楽の世界が、少しでも続いてほしいという気持ちもある。

だから、チケットやグッズにお金を使う。

これは無駄なのか。

私には、そうは思えない。

自分の価値観に合うところへ、お金の流れを少し向けている。

そう考えれば、これも節約と矛盾しない。

我慢しすぎる節約は、長続きしない

節約で難しいのは、続けることである。

楽しみや趣味、人付き合いを削りすぎると、どこかで反動が来る。

「今日はもういい」と、普段我慢していた分まで買ってしまう。

これは節約というより、感情のダム決壊である。

ダムも財布も、決壊するとだいたい大変である。

だから、価値の低い支出は減らす。

でも、健康、学び、休息、家族や友人との時間まで、むやみに削らない。

節約もまた、生活を守るためにある。

生活を壊してまで節約するのは、少し方向が違う。

時間を節約するために、お金を使うこともある

節約は、お金だけの話ではない。

たとえば私は、コミュニティの飲み会もある程度厳選している。

親睦は大事だが、回数が増えれば、読む、書く、休む、家族と過ごす時間が減る。

これは、お金より時間を節約したいという感覚に近い。

スマホもそうである。

Androidには、機能が豊富で価格も魅力的な機種が多い。

それでも私は、iPhoneを使い続けている。

機種を替えるたびに操作の違いへ慣れる時間を、別のことに使いたいからである。

私にとっては、少し高くても使い慣れたものを選ぶことが、時間を捻出するためのお金の使い方になる。

家計の話は、価値観の話でもある

一人なら、自分の価値観だけで決められる。

でも、家族がいるとそうはいかない。

自分には無駄に見える支出が、家族には大事な支えかもしれない。

逆に、自分が大切だと思っているものを、

「それ、本当に必要?」

と思われることもある。

家計は数字の話に見えるが、実際には価値観の話でもある。

ここを話さずに「節約しよう」とだけ言うと、小さな不満が残る。

ただし、本格的にやりすぎると、急に会社の予算会議になる。

家庭にまで稟議書を持ち込みたくはない。

節約は、未来への投票かもしれない

好きなお店で買う。

長く使えるものを選ぶ。

応援したい人の商品を買う。

家族との時間や、学び、健康にお金を回す。

それは、

自分はこういうものを大事にしたい

という小さな意思表示でもある。

もちろん、すべての買い物を立派に考える必要はない。

コンビニでプリンを買うたびに、

「これは私の未来への投票である」

などと考えていたら、疲れてしまう。

でも、ときどき自分のお金がどこへ流れているのかを眺めてみるのは悪くない。

節約とは、その流れを自分の意思で少し変えることなのだと思う。

財布のひもは、締めるだけではない

節約というと、財布のひもを締めるイメージがある。

もちろん、締めることも大事である。

財布のひもが常に全開だと、風通しは良いが、お金もよく出ていく。

それはそれで困る。

でも、締めっぱなしでも困る。

必要なときに開かない財布は、ただの頑固な袋である。

大事なのは、どこに向けて開くのかを、自分で選ぶことなのだと思う。

……などと、財布のひもについて真面目に語ってしまった。

危ない。

私はまた、日用品に哲学を背負わせようとしている。

財布のひもも大変である。

締めろと言われたり、開けろと言われたり。

そのうち、前回の貯金箱のブタと一緒に、

「どっちやねん」

と文句を言い出すかもしれない。

そのときは、ブタと財布のひもを並べて、少し話し合ってもらおう。

できれば、予算内で。

そんな感じで、次はたぶん、

お金を使うって、悪いことなんだろうか?

について考えてみたい。

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いちばのよしくん@CSM この記事は、私自身の経験と思考をもとに、生成AIとの対話を通じて探索・再構成した記録です。いただいたお気持ちは、次の寄り道の燃料としながら、生成AIと人間の共創の研究をさらに深めていきたいと思います。