東武練馬駅|生活の流れに乗る街
池袋駅から電車に乗って、東武練馬駅に来る。
距離としてはそれほど遠くないのに、ホームに降りた瞬間、空気が切り替わるのが分かる。ターミナルの匂いではなく、生活の匂いがする。通学、通勤、買い物、帰宅。この駅は目的地というより、往復の途中に置かれている場所だ。
地下の通路をくぐって改札を出ると、視界に入ってくるのは大東文化大学の横断幕だ。
学生街というほどの規模ではないけれど、若い時間が流れている気配は、確かにある。
駅前はコンパクトだ。ローソンがあって、踏切があって、その音が街のBGMみたいに鳴っている。
派手な風景はないけれど、人の動きが途切れない。踏切の音を背中に聞きながら歩くと、道沿いに店が並びはじめる。松屋、家系ラーメンの店、てんや。
どれも生活のための店だ。観光のためではなく、日常のために置かれている。
少し先に、大きなイオンが見えてくる。
信号待ちをしている人たちが、青に変わった瞬間、一斉にイオンに向かって流れていく。
吸い込まれる、という言葉が自然に浮かぶ。その流れに乗ってイオンの前まで行ったが、店内には入らず、そこで立ち止まった。
春の訪れを感じる風が吹いていて、あたたかさの中に、少しだけ冷たさが混じっている。
坂を下って、もう少し歩く。表通りから外れたところに、また家系ラーメンの店があった。中に入ると、店主ひとりでやっている店だった。
カウンターと厨房だけの空間で、余計なものがない。
出てきたラーメンは、味の細かいことはもう思い出せないけれど、「美味しかった」という感覚だけは、はっきりと残っている。派手さではなく、身体に残るタイプの味だったのだと思う。
食べ終わると、コーヒーが飲みたくなった。
イオンでボトルコーヒーを買うか、パン屋で飲むか。
少しだけ迷う。冷蔵ケースの前に立って、透明なボトルに入った黒い液体を眺めながら、氷の音や、紙カップの感触を想像する。
パン屋のカウンターで、紙コップから立ちのぼる湯気を思い浮かべる。どちらでもいいのに、どちらも違う。その小さな差を、身体が勝手に選ぼうとしている時間が、妙に心地いい。
東武練馬は、何かを見に来る街ではない。
何かを体験しに来る街でもない。
踏切の音があって、チェーン店があって、個人店があって、大型商業施設があって、学生の気配があって、帰宅する人の流れがある。それらが重なって、特別な物語にならない風景をつくっている。
それでも、その中を歩いていると、なぜか記憶に残る。
派手さでもなく、名所でもなく、イベントでもないのに、身体に残る感覚がある。春の少し冷たい風、踏切の音、ラーメンの湯気、信号待ちの人の列、イオンに向かう流れ、コーヒーを選ぶ時間。
東武練馬駅は、街として何かを主張しない。ただ、生活がそこに置かれている。その「置かれている感じ」そのものが、この街の輪郭なのだと思う。
