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行き止まりの駅、冷めたコーヒーの苦味|高松駅

高松駅に降り立つと、いつも少しだけ呼吸が深くなる。 ここは「どんつき」の駅だ。 すべての線路が、この場所で唐突に終わりを迎える。 遠鉄の新浜松駅、小田急線の片瀬江ノ島駅、相鉄線の横浜駅。 そんな行き止まりの構造を持つ駅に、私はどうしても惹かれてしまう。 これ以上先へは行けないという物理的な限界が「もう急がなくていいのだ」と、誰かに許されているような心地になるからだ。

駅舎の天井は高く、海から流れ込む風が、冬の名残を運んでくる。 かつて甲子園を沸かせた古豪の高校の名を思い出すが、今の駅前にその熱気はない。 栄光も、挫折も、等しく時間の中に溶けていく。 高松商業がなかなか甲子園に出られないという最近の噂を耳にするたび、 時代という波の容赦なさと、変わらぬ場所を守ることの難しさを思う。

バスターミナルを抜けて、駅前の広場に出る。 サンポートの向こうには、瀬戸内の海が広がっているはずだ。 けれど、そこまで歩くには少しだけ、足取りが重い。 近くのコンビニで買ったボトルコーヒーのキャップを捻る。 今日は、ミルクを入れる気分ではなかった。 一口含んだブラックの苦味が、喉の奥に冷たく残る。

ベンチに座って、行き交う人々を眺める。 高松のサラリーマンは、全国で一番昼食代にお金をかけないのだという。 効率や見栄を削ぎ落とした先に残る、日常のリアリズム。 それは、贅沢を望まなくなった今の自分の心境と、どこか重なる部分があった。 若い頃に抱いていた野心や、手に届くと思っていたいくつもの未来。 それらが、この車止めのように、いつの間にか静かに完結していることに気づく。

四国の入り口であり、終着点。 この駅は、まるで誰かの人生の断面を見せているようだ。 ここから再スタートを切る者もいれば、ただ行き止まりを見つめて立ち尽くす者もいる。 私もまた、そのどちらでもあり、どちらでもない空虚さを抱えていた。

ふと、琴電の揺れに身を任せて、どこか知らない町まで運ばれていきたい衝動に駆られる。 あの黄色い電車に揺られていれば、何かが見つかるだろうか。 それとも、どこまで行っても同じ空虚が待っているだけだろうか。

コーヒーは、いつの間にか冷めきっていた。 少しだけ、お腹が空いた。 潮騒と、微かなうどんの出汁の匂い。 この街の午後が、ゆっくりと、しかし確実に暮れていく。 さて、うどんでも食べて帰ろう。 何かを始めるためではなく、ただ、今日という一日を静かに終えるために。


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