見出し画像

西武多摩川線・多磨駅|東京の田舎のインターナショナル

西武多摩川線に乗り、多磨駅にやって来た。
「多摩」ではなく、「多磨」。
漢字ひと文字の違いなのに、その響きには少しだけ距離がある。昔の地名から取られた駅名なのだろう。もし「多磨墓地前駅」だったら、いろいろと都合が悪かったのかもしれない。そんなことを考えながら、小さなホームから階段を上がって改札へ向かう。

構内はきれいで、どこか未来都市の模型の中に入り込んだような印象がある。無機質なのに冷たくはなく、線が整理されている感じが心地いい。
外に出て駅舎を振り返ると、なかなかモダンな建築で、郊外の駅という言葉から想像する風景とは少し違う顔をしている。

駅前にはロータリーがあり、春の到来を感じさせる少し暖かい風が、ゆっくりと吹き抜けている。バスのエンジン音が小さく響いていて、遠くの生活音の一部として耳に残る。

近くには東京外国語大学があり、学生の姿がちらほら見える。語学の街というほど主張は強くないけれど、街の空気の中に、少しだけ異国の気配が混ざっている。
光浦靖子も、この駅を使っていたのだろうか、と思う。確証のない連想だけが、勝手に頭に浮かぶ。

東京外語大の方向へ歩いていくと、突然、小さなたこ焼き屋が現れ、信号の角にはおしゃれな洋食レストランがある。ローカルな匂いと、洗練された空気が、違和感なく並んでいる。
異国文化の交差点、という言葉が自然に浮かぶ。

道を行き交う人たちの中には、イスラム系の人もいれば、アングロサクソン系の人もいる。言語も、服装も、肌の色も違うけれど、風景としては不思議と馴染んでいる。東京の田舎にあるインターナショナル、という感じがする。強調されるわけでもなく、飾られるわけでもなく、ただそこに混ざっている。

カバンの中から、冷たいペットボトルのコーヒーを取り出す。
キャップをひねると、プラスチックの感触が指先に残り、ひと口ごくりと飲む。冷たさが喉を通って、身体の内側に広がっていく。

このコーヒー豆は、どこの国から来たのだろうか、と思う。
コーヒーは世界中で飲まれているんだっけ。
トルコやイギリスは、お茶文化のイメージが強い。
日本も、どちらかといえばお茶の国だろう。

そんな、どうでもいいことが、次から次へと浮かんでくる。意味のない連想が、止まらなくなる。
街を歩いているというより、思考の中を歩いている感覚に近い。

多磨という場所は、何かを見せようとする街ではない。
何かを主張する街でもない。
名前の由来、大学の存在、多文化の気配、モダンな駅舎、小さなたこ焼き屋、洋食レストラン、ロータリーを抜ける風、バスのエンジン音、午後の光、冷たいコーヒー。

それらが、ひとつの物語になるわけではなく、ただ重なっている。

でも、その重なりの中を歩いていると、思考が勝手にほどけていく。考えなくてもいいことを、考えてしまう時間が生まれる。

多磨駅は、目的地になる駅ではない。観光地でもない。

ただ、人がいて、大学があって、文化が交差していて、風が吹いていて、コーヒーが冷たい。

その「何でもなさ」が、この街の正体なのだと思う。
東京の端っこにある、小さなインターナショナル。
それが、多磨という場所だった。


いいなと思ったら応援しよう!