「上司ガチャ」「配属ガチャ」だの言って人生諦めてる公務員
「上司ガチャ」
「配属ガチャ」
最近よく見る言葉。
言いたくなる気持ちは正直わかる。
だって本当に自分で決められないし、運の要素が強いから。
でもこれ、
言えば言うほど「自分の人生が終わっていく言葉」だと思ってる。
公務員試験を受けたのは自分。
内定をもらったのも自分。
異動があることを理解して公務員を選んだ。
今も、その立場から給料を受け取って生活してる。
なのに、配属とか異動の話になった瞬間だけ、
「いや、これは選んでないんで」って言い出す人、実際けっこういる。
僕も国税にいた頃、希望した部署にいけなかった。
最初は「マジか最悪や」とか思ってた笑。
当時は完全に「配属ガチャ」側の人間だった。
でも冷静に考えたら、公務員になったのも、その立場から給料をもらい続けてるのも、全部自分が決めたことの延長でしかない。
始まりは自分の意志だったのに、
途中から急にその責任を他人に投げてる。
「ガチャ」っていう言葉には、運が悪かっただけ、自分は無関係、っていうニュアンスがある。配属も異動も、自分の外側で勝手に決まったことにしてしまう言葉。
でも実際は、そのポジションのオファーを受けて、そこに入っていったのは自分。
だとしたら、そこで渡された仕事とか役割は、一回自分の中で咀嚼して、自分の判断として引き受け直す必要があるものだと思う。
「言われたからやってます」で止まってる限り、
その仕事はずっと他人事のまま。
そうやって環境のせいにする言い方には、
実は隠れたメリットもある。
「配属が悪いから」
「上司が微妙だから」
そう言っておけば、周りは同情してくれるし、優しくもしてくれる。自分の責任にしなくて済む分、短期的には承認された気分になるし楽ができる。
でもそのメリットと引き換えに、
でかいものを失っている。
本当は欲しいはずの収入とか、
納得できるキャリアとか、
家族との時間とか。
被害者ポジションにいるっていうのは、「自分にはどうにもできない」を前提にするってこと。その前提に立ってる限り、対策を考える必要がなくて済む。
「だって自分は悪くないし、どうにもできないから」
環境のせいにしてる間は、
その環境を変えるための行動自体が起きない。
だから同情はもらえても、
欲しいものは手に入らない。
ここに自覚がないと、
出てくるのは愚痴だけになる。
「上司が」「配属が」「異動が」と言い続ける。
逆にここの自覚が持てると、
愚痴が対策に変わる。
「配属が微妙」で終わらせるんじゃなくて、じゃあこの状況で何ができるか、っていう思考に自然と切り替わっていく。
人は”自分の選択”だと思えた瞬間から、
文句じゃなくて対策を考え始めるようになってる。
自覚を持った後にやることは、実はシンプルで、
続けるかやめるか、それだけ。
今の職場、今の働き方を続けると決めるなら、環境のせいにするのをやめて、自分の選択としてパワフルにやる。
逆に、どうしてもそう思えないなら、
「辞める」っていう選択肢も本気で検討していい。
中途半端に居続けて愚痴だけ言い続けるのが、
一番自分を消耗させ、人生を無駄にする。
僕自身、国税にいた時期は、自分で選んだ道だってちゃんと自覚してた。だから、そこで学べることは全部吸収しにいこうと思って働いてた。
それでも、どうしても変えられない部分があった。だから辞めて、公認会計士に挑戦した。これができたのは、環境のせいにしなかったからだと思ってる。
自分で選んだ道に責任を持ってたから、
辞めるっていう選択も、ちゃんと自分で選び直せた。
選ばされた人生か、選んだ人生か。
ここの違いに気づけるかどうかが、一番大きな差になる。
「配属ガチャ」「上司ガチャ」って言ってる間は、ずっと選ばされた側のままでいられる。楽だけど、そこからは一歩も動けない。もっというと自分の人生を生きられない。
辞めずに給料をもらい続けてるなら、それは今日もこの立場を選び直してるってこと。ガチャのせいにするのをやめた瞬間から、初めて自分の人生の話になる。
影山
🔽「人生このままでいいのか」と思っている公務員へ
■プロフィール
・大学卒業後、厚労省に国家公務員として勤務
・国税局に転職し様々な業種の税務調査を担当
・30歳で公認会計士試験に合格
・BIG4に転職し上場企業の監査
・パブリック領域のコンサルを経験
・400人超の自己管理コミュニティで経営者や医師のコーチを担当
・ベネッセが運営するUdemyで資産形成講座が「最高評価」を獲得
・30,000人以上の指導実績を持つ資産形成を指導する法人で活動
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