#秒速5センチメートル 実写版を傑作にした明里のスタンス、あるいは懐古厨が救われた理由


はじめに

実写映画版『秒速5センチメートル』観てきました。
僕は割と重い原作(=アニメ版)のファンなので、いまリメイクされることへの不安も大きかったのですが、圧倒的満足。
丁寧な仕事ぶりと狂気的なこだわりが画面から伝わってきて、観ていてずっと楽しかったです。そして原作をアレンジするうえでの選択がとても良かった。

なかでも特に感動した要素がどれか、というのが本記事の趣旨です。
当然のように原作と実写版のネタバレを含むのでご注意ください。

【実写版でのシナリオ改変に感動した理由】

貴樹を照らし直す、明里の台詞

実写版での大きなアレンジ点として、大人になった貴樹と明里の様子が詳しく描かれていることがあります。特に明里へのスポットの増え方は相当だと感じました。

で、この「大人になった明里が何を考えていたの?」へのアンサーが、とてもとても良かったのです。

(以下、1回観ただけなので台詞の細部はうろ覚えですが)

明里が職場で、先輩の美鳥(演・宮崎あおい)と貴樹について話すシーンです。
まず明里は「転勤族だったから友達はほとんどいなかった」「けどひとりだけ友達と呼べる人がいた」という文脈で、貴樹に触れています。
そして美鳥からの「いい思い出だね」という言葉に対して、

「私にとっては、思い出というよりも日常です」
と答えたんです。
それから
「いま自分が好きなものは、あの頃に友達(=貴樹)と見つけたものだった」
という述懐を聞かせてくれる。

これが聞けただけで、この映画を観に来た価値があったな、と思えたのです。

なぜかというと、原作だとどうしても「明里との思い出に囚われている貴樹」に対する「貴樹を思い出にして前に進んでいる明里」という意味合いが強くなっているんです。明里は別の男性と交際していることが明示されているので。
実写版でもその事実は変わりません、今になって貴樹に会いにいこうとはしていない。

じゃあ明里にとって貴樹は何なのか、それは「今の自分を作ってくれた大切な一部」なのです。
「貴樹くんが好きだった」は確かだけど全部じゃない。
「今も貴樹くんが好き」ではない。
貴樹くんと過ごした季節の全部が、今の自分につながっている
という立ち位置。
誰か個人への執着ではなく、その人と出会って生まれた自分の世界を丸ごと愛おしむような立ち位置、と言いますか。

さらに終盤、科学館の小川館長(演・吉岡秀隆)との会話。
貴樹との約束(2009年3月の再会)について、明里は「思い出さないくらい、今が幸せであってほしい。だから私は行かない」と語っています。

貴樹を忘れたからじゃない、貴樹が大切じゃなくなったからでもない。
貴樹との出会いを大切にしたうえで、そこから続く自身の人生を尊ぶからこそ、あえて距離を置き続けている。

さらに遡れば、中学生時代の岩舟での約束も。
貴樹の「もし僕がどうしようもない30歳になっていたら、ここで一緒に世界の終わりを迎えよう」
を受け容れつつも、
明里は「けど貴樹くんは立派な大人になるし、小惑星も落ちてこない」
と返しています。
この時点で、ふたりにとっての「約束」の意味合いが異なっている。

会いにいかない理由と、愛着の形

ここまで踏まえると、大人になった明里が貴樹に向ける感情も浮かび上がってきます。
ノスタルジーもありつつも。執着ではなく、信頼だと思うのです。
格好いい友達だった彼が、今も格好いい大人になっていると信じるからこそ。「どうしようもない30歳」になっていないと信じるから、約束を果たしにはいかない。

あるいは願望だったかもしれない。「格好いい貴樹くんじゃなくなっていたら嫌だな」「全然違う大人になっていたら嫌だな」みたいな感覚もあったかもしれない。
けどそれはそれで「かつての格好いい貴樹くん」への感情ゆえで、そんなに悲しくはないのです。

これらのシーンに限らず、随所に。大人になった明里は、かつて貴樹と過ごした小学生時代からの影響を濃く残しています。宇宙に対する興味だったり、本に対する愛情だったり(細かいのが色々あったと思うのですが、ちょっと覚えきれず)


この動画の5分~10分あたりで、貴樹が先輩からもらったたこ焼きを食べるシーンが語られています。新海さんはそれを「遠ざかっていた世界の豊かさに触れ直す」シーンだと捉えています。

この「世界の豊かさ」は新海作品のキーワードだと僕は思っています、他作品でもたびたび出ていたんじゃないかな。風景を美しく描くのは、自身が感じた世界の豊かさの投影である、みたいな文脈で。

この「世界の豊かさ」の原点が、明里にとっては貴樹との経験なんだと。
その経験が過去ではなく日常だから、再会は必要じゃないんだと。
そう思わせてくれる物語で、それが僕は大好きでした。

プラネタリウムでのボイジャーに泣いた

という諸々を踏まえると、貴樹が解説するプラネタリウムを明里が見ていたシーンがめっちゃ泣けるんですよ。10数年越しに、ふたりが好きなものを同じ場所で分け合っている瞬間。
そこで紹介されていたのは宇宙探査機ボイジャー。違う方向へと突き進んでいく1号機と2号機。

明示こそされていませんでしたが、明里はきっと貴樹を思い出していたのでしょう。同じ場所から違う方向へと進んでいく同志。

劇中ではBUMP OF CHIKENの『銀河鉄道』が流れていて、当時ヒットしていたであろう『プラネタリウム』のB面か~~と唸ったものですが、今作全体的にBUMPみが濃いです。知らない方はぜひアルバム『orbital period』を聴いてみてください、イントロとエンディングのつながりが美しい1枚です。


より力強く映った、貴樹の一歩

物語のラストシーンは原作と同じです。踏切ですれ違ってから、貴樹が振り向いてまた歩き出すまで、物凄い再現度でアニメ版を踏襲している。

ただ、この「また前を向いて歩きだす貴樹」の説得力は、ずいぶん増したと思うのです。というのも今作での貴樹は「明里に会いに行ったけど会えなかった」を行動として体験していて、その孤独を周囲にも話している。

明里との結末は変わらない。結婚した明里が遠くに行くと示されたぶん、再会の可能性はさらに低くなっています。
けど、彼女にまつわる内心を人と分け合って、元カノの水野さん(演・木竜麻生)にもちゃんと別れの挨拶を言えた貴樹は。アニメ版よりもちょっとだけ「大丈夫」に見た気がします。

……というように。
今作、映像美や熱演は勿論のこと、原作を翻案するシナリオが本当に素晴らしかった。脚本の鈴木史子さん、物凄く『秒速』を考え尽くしてくれたんだと伝わりましたし、シンプルに台詞回しが美しかったです。


ここからは上述の好きポイントについて、僕自身の思い出話になります。
人が読んで面白い話でもないですが、『秒速』はパーソナルな原風景についての物語なので、僕も自分のそれを話します。

時間のある方はどうぞ。

面倒くさい『秒速』オタクが10年越しに実写版で浄化されるまで


『秒速』と出会った2015年(確か)

僕がアニメ版『秒速5センチメートル』に出会ったのは、『君の名は。』が公開されるちょっと前でした。
花澤香菜さんきっかけで『言の葉の庭』を観て感銘を受け、その次に同じ監督だからと手に取ったのが『秒速』です。当時は今ほどサブスクも流行ってなかったからDVDレンタルでしたね。

で、大学1年目の僕に超絶クリティカルでした『秒速』は。あれほど濃い鑑賞体験、人生で何度もなかった。
その理由は至ってシンプルです、自分の体験に重なったから。
高校生のときに経験した恋愛絡みの色々に、まだ思い出になりきれていなかった「好きな人」との記憶に、貴樹たちの姿があまりにも重なってしまったから。

それから新海さんはアニメ監督として驚異の躍進を遂げ、僕はあれこれ言いつつもその軌跡を追いかけてきました。『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』のいずれも、僕にとって大切な作品です。好きなところがたくさんあって、けど気に入らないところも結構あって、だからたくさん考えてきたのが新海作品です。


けど振り返ると、それだけ意識するようになったトリガーはやはり『秒速』です。
以降の作品に比べればエンタメ性は薄いし、制作規模もまだ小さい頃だし、後はやっぱりクセが強すぎる。童貞臭がすごいとかよく言われるし実際そう。
それでも、だからこそ、僕にとって『秒速』は深く深く胸に刺さっている大切な一作なのです。

『秒速』実写を警戒した2025年

だからまあ、実写版を作ると聞いて、心穏やかではありませんでした。
それも松村北斗くん主演での、だいぶ大規模な態勢で。

いや、北斗くんは良いんですよ。『すずめの戸締まり』での声の演技は好感でしたし、『カムカムエブリバディ』でのお芝居も引き込まれた。他の豪華キャスト陣も好きな方ばかりですし、一本の映画としては期待大です。
(「森七菜ちゃんが!!花苗を!?!?」ってめっちゃ興奮したし実際めっちゃ良かった)


けどその態勢で『秒速」を描き直すとしたら、より大衆的なテイストにアレンジする必要性が出てきかねないし、そうなると『秒速』らしさが決定的に変わってしまうのではないか……という危惧が、結構ありました。

もしも「ハッピーエンドの方が人気出そうなので……貴樹と明里が再会して、また恋人になります!」みたいな展開になっていたら怒り狂っていました。
後はこう、現代的な感覚を反映させて~みたいな言い分でキャラやイベントの解釈がズレていてもキレてたはずです。知識をひけらかす男子って嫌だよね~みたいな感情が小学生貴樹に向かっていたら台無しなので。

かといって、展開や構成に何の変化もなかったとしたら、
「良いけど……いま実写でやった意味あります?」
と首を傾げていたでしょう。あるいは「悪くないけど僕が観る意味あんまなかったわ」みたいに落ち着いたかもしれない。

つまりは「あまりにも改変されていたらキレる」「めぼしい改変がなくても微妙」「劇場で確かめずにはいられない」という、オタクの面倒くさい感情の結晶ができあがっていました。マジで面倒くさいなこいつ。

そんな愚かで悲しきモンスターが浄化された理由は、記事前半で書いた通り。

ただ、僕自身の境遇もだいぶ変わっていました。

アラサーにとっての「懐かしき10代の恋」の意味

かつて『秒速』を観ながら思い出していた好きな人、というのは高校時代の元カノです。正確には色々あったんですが「すごい好き合っていたはずなのに振られた」みたいな展開だと思ってください。

アニメ版を観たときは振られた翌年とかで、彼女とは全く連絡も取り合わず。やることは色々あっても、こと恋愛に関しては全く忘れられていない状況でした。だから貴樹と明里の、小中学校での切実な恋心も、大人になってからの孤独とすれ違いも、刺さりまくった。

それから、10年くらい経ち。
僕と彼女はなんやかんやで交流が復活して、共通の友達と通話したり遊んだりするようになりました。そのうち、それぞれ別の人と結婚しました。
だから「今も彼女が好き」みたいな感覚はゼロです、彼女の結婚式に参列したときも純粋にお祝いしたし、新郎とも楽しく話せたので(いくら仲直りしても元カレを招待するかい~というツッコミはあれど)

ただ、それはそうと、彼女と一緒に過ごしていた高校生時代へのノスタルジーって、なかなか消えないんですよね。
正確には、クラスメイトや部活や委員会の仲間、あるいはそのとき流行っていたアニメや音楽なんかのカルチャーを含めた「あの頃」の空気への郷愁。

そして、これを薄めるのってだいぶ難しいんですよ。
特定の誰かが好きだという感情は、別の誰かと何かあれば上書きできる。それは実際できた。
けど、生きる季節丸ごととなると、もうタイムスリップするくらいしかない(実際、青春やり直し系ラブコメには一定の支持があります)

そのノスタルジーが苦しいとかではなく、ただ恥ずかしかったんですよね。アラサーにもなって思い出すようなことでもないやろ、という。

だから今回の実写版での明里のスタンス。
「その人が今でも好き」ではなく「好きな人と過ごした経験が、今の自分を作っている」「それを全部覚えたうえで別の人とポジティブに生きていける」という生き方、ものすごく染みたんですよ。

過去に縋るのではなく、過去を踏まえたうえで前向きに現在を捉えなおす考え方、と言いますか。
僕がいまこうやって文章を書いているのも、新海作品にどっぷり浸かっているのも、最近楽しかったアレもコレも、やっぱり思春期に刺激された感覚の延長なんですよね。

それらが楽しい、面白いという感情を軸に、今の自分たちに向き合っていくことは。あの頃の捉え方として、だいぶ前向きだと思うのです。

大切なのにやり直すことはできない、から。
大切だからやり直さなくても大丈夫、まで。

明里は行けた。
貴樹は向かいはじめた。
花苗もたぶん、大丈夫。

だったら僕もそうしましょう、という歩き方を。
この映画に教わった気がします。観られて良かった。

以上、お読みいただきありがとうございました。あなたが『秒速』を好きな理由が増えるきっかけになれたら幸いです。

……けど最後にひとつだけ。


新海作品ゆかりのキャストがここまで出てくれたのなら。
あなたにも出てほしかったよ、ねえ神木くん。大好きなんでしょ秒速。





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集