藍から白む 【創作大賞2024応募作品】

彼氏と同棲していたアパートを飛び出したサラ。
鬱病の診断を受け、仕事を休職したリマ。
snsをきっかけに有名になり、店の看板を張るアイミ。

性格も年齢もバラバラで、本名も知らない。

3人の日常が混ざり合っていく、至って普通で刺激的な世界。

彼女達は、私。


【第一話 サラ】

バイクが停まる音に体が跳ねる。

一瞬何が起きたかわからず、再度上昇しかけた眼球に意識を戻す。

落ちかけていた。
危ない。

今日こそは詰める。
殴る。
どうせ今も酔っているんだから、頭から酒でもかけてやろうか。
握ったままだったスマホを持つ手に力が入り、体も強張っていく。


パシッ、パシッ、パシッ、パシン。
サンダルを履いているであろう足が玄関の前で止まり、キーケースから鍵同士がぶつかる音が聞こえる。


こいつは絶対にすぐに鍵を開けられない。
まずうちの鍵を見つけられないだろうし、差し込むこともできないだろうだろうし、回すこともできない。

ガチャガチャ、ガチャ、ガゴッ。

思いの外すぐに開いたドアに驚き、うつ伏せの姿勢から頭だけを起こす。


ベッドから直線上にある玄関。
琉人はダルそうにサンダルを脱ぐと、右手にある洗面所に入っていく。
洗面台の蛇口レバーが上がり、ザーっという水の音が脳を多動にさせていく。


「何してたの」「また飲んでたの」「これからどうすんの?」「仕事どうすんの?」「つか飲酒運転すんなっつってんだろ何回言えばわかんの?」「お前次捕まったら免取だよ?」「今月家賃払えんの?」「話できないんなら終わりだようちら」

頭の中で一揆が始まっている。

何と声をかけるか決めてあったはずなのに。
冷静に伝えると決めていたはずなのに。
もうきっとダメだ。
もう、きっと、絶対に、無理だ。

Tシャツとボクサーパンツ姿で洗面所から出てきた琉人を睨みつけながら、混乱していた。

琉人の香水と、琉人の電子タバコの匂い。
琉人のではない香水と、琉人のではない紙煙草の匂い。
酒の匂い。
女の匂い。
いつ行っても墨とタトゥーの人口率が過半数を超えてくる、治安の悪いバーの匂い。
入り混じる匂いが臭くて、臭くて、臭くて、頭に血が昇っていく。


「ねえ」


琉人は答えず、こちらを見もせず、ソファーに座った。
安い合皮の黒いソファー。
あたしが転がり込む前からこの家にあるソファー。
あちこちがヒビ割れ、白と黄色の生地が覗いている、汚くて安っぽいソファー。


「ねえ、何やってんの。毎日」


自分でもびっくりするくらい冷たい声が出た。
琉人はスマホから目を逸らさないでいる。

「聞いてんの?仕事どうすんの?何毎日飲み歩いてんの?家賃払えんの?生活どうすんの?」

言いながら止まらなくなり、血液がすごい勢いで沸いていく。
頭と顔は熱いのに、足がどんどん冷えていくのがわかる。


「聞いてんのかよ!!」


狭いワンルームに怒声が飛び散る。


ぶち撒けた色とりどりのペンキが、チカチカと脳に浮かんだ。

壁と家具にねっとり貼り付いた声は静かに吸収されていき、空気がシンとする。

ジェルでセットしたであろう、嫌な艶を放っている琉人の髪の毛が揺れ、体が起きてくる。
2分半前にテーブルに置いた財布と電子タバコと鍵。
それを雑に片手で集めると、琉人は立ち上がり、脱衣場に入っていく。
ハンガーから服を抜く音に血の気が引き、慌ててベッドを下りる。

「何してんの。どこ行くの」

怒りと弱々しさが7:3。
そんな自分の声が気持ち悪い。

デニムの後ろポケットに財布をつっこみながら、琉人が脱衣場から出てくる。

「もう無理だよ」

サンダルを履く琉人の背中に投げた声が、シャボン玉のように玄関に浮遊している。

「もううちら無理だよ」

もう一度絞り出すように吐き出し目を瞑ると、鼻の奥が痛くなった。


最初から見えてないし、ここにいない。
あたしの存在なんて、知らない。
そんなスピードで琉人がドアを開け、閉める。

ガチャガチャ、ガチャ。ドン。
一度だけ施錠を確認すると、パシッパシッパシッパシッとサンダルの音が小さくなっていく。

ガン!ガン!

ブォン。
ギュギュギュ……………ブォン!


耳障りなエンジン音が響くと同時に、あたしは足の裏で思い切りドアを蹴った。


うるせえ。


お前もあたしもうるせえ。
今何時だと思ってんだ。
5時だぞ。
こないだもバイクの音うるせーって管理会社からクレーム来てたんだぞ。
夜中も生活音うるせーってクレーム来てんの忘れてんのか。
夜中に洗濯機回してんじゃねーよ。
夜中にでかい音でゲームすんじゃねーよ。
ゲームしながら「うわっ!」とか「ふざけんな!」とか叫んでんじゃねーよ。
お前もう追い出されんぞ。
つか今月家賃払えんの?
仕事辞めてもう1ヶ月以上経つじゃん。
お前家無くなるよ?
ホームレスになりたいの?なれば?
もうなれ。お前なんてのたれ死ね。酒飲んで野垂れ死ね。飲酒運転で捕まれ。事故れ。あたしは何回も何回も言った。飲酒運転すんなって100回は言った。あたしの言う事聞かないから、お前は家も金も免許も無くなるし、お前は死ぬ。
お前なんてもう知らない。
終わりだ。もう全部終わりだ。

足の裏がジンジンして、骨がビリビリと痛む。
キッチンの横に座り込み、後ろの戸棚からウィスキーの瓶を取り出すと、一気に喉に流し込んだ。

喉越しだ。
ウィスキーは喉越しだ。

食道と胃が焼け、その熱さに安堵する。


もうこれで大丈夫。
そう思いながら、逆流してきそうなウィスキーを押し留め、唾液を飲み込んだ。

煙草に火をつけ、換気扇の強を押そうとした手を止める。
目を見開き、咥えタバコのまま、シンクのコップと対峙する。
縁が欠け、ヒビが入ったままずっと使っているコップ。

37.5度はあるであろう火照った顔面に涙が流れ、煙草の煙がまとわりつく。
灰をシンクに落とし、煙を払いながら足をひきずってベッドまで歩くと、ドカッと足を開いて座り、スマホを手に取った。


ラインの画面を下に下にスクロールしていき、止める。
少し迷ってから、勢いで電話マークを押した。

何の曲だろう。
洋楽なのか邦楽なのかわからないラップに耳を近づけると、サビの後半くらいで音が途切れた。


「はい?」


出ないと思ったのに。
動揺して無言になる。


「もしもし?」
「あーごめん、寝てた?」


泣いているなんて絶対にわからないくらい、完璧な発声だった。


「いや。ゲームしてた。」
「まじか。もう寝る?」
「いや、もうちょい起きてるかな。てかどした?飲んでんの?」

あくびの混じった緊張感の無い声に気が緩み、止まった涙がまた溢れそうになる。

「飲んでない」

言いながらキッチンに戻り、床に置いたウィスキーをラッパ飲みする。

「嘘つけお前何か飲んだろ今。酔ってんの?」

小さく笑う声にやっと息ができたような気がして、涙が流れた。


「コウさ、まだあのでかい車乗ってる?」
「うん?乗ってる」
「今日仕事?」
「休み」
「お願いあるんだけどさ、今日東京まで送ってくんない?五千円で」
「まじ?五千?全然良いよ。何、遊び?」
「いや、今から引っ越しする」
「は?」


コウは約束通り6時過ぎにアパートの前に来た。
酔いが醒めないようにウィスキーを飲み続け、狂ったように自分の荷物をキャリーケースとショッパーにぶち込み、それを車に運ぶ頃にはかなり気分が高揚していた。


「お前どしたの!?顔やばいよ?何どしたの、彼氏は?」


引き気味の表情でまくしたてながら、あたしが雑に置いた荷物をコウが積み直していく。


「さっき別れた。しばらく遊んでくるわ。こんなクソ田舎何の未練も無い」
「は!?ガチ?あっち住むの?行く宛あんの?」
「無い。とりあえずどっか安いホテルにでも泊まって家探すわ。なんとかなるでしょ」
「えーーー……………。お前、いや、何か……。大丈夫なのそれ。つか仕事は?辞めたん?」
「あ、めっちゃ大事なもん忘れた。ちょっと待ってて!」


頭をかきながら言葉を選ぶコウに背を向け、階段を駆け上がる。
冷蔵庫からあるだけのビールを取り出し、残量が1/3になったウィスキーをラッパ飲みしながら、部屋を見渡す。


狭い部屋にミチミチに置かれた家具と家電。
テレビ、テレビ台、テーブル、ソファー、ベッド、服用の6段チェスト、空気清浄機。
チェストの上にはboseのスピーカーと香水、アクセサリー、中身の無いディフューザー。
空気清浄機のフィルターは何年も替えていなくて、ホコリまみれだ。

テーブルには飲みかけのコーラと水のペットボトル。電気代の請求書。充電器。テレビとエアコンのリモコン。煙草の空き箱。灰皿。どこの飲み屋のものかわからないライターが3つ。
灰皿はもう満杯で、灰があちこちに飛び散っている。

15歳から住んだこのアパート。
何度もクレームが来た壁の薄いアパート。
酔っ払いがドアをガンガンしてきて、琉人と一緒にブチ切れたこのアパート。
節約の為に自炊を頑張ろうとして、天井まで火が上がったキッチン。
トイレに座ると脚のおさまるスペースがおかしいし、すぐに水がビショビショになる、絶対に設計ミスであろうユニットバス。
チェストにしまうのが面倒で、服の山ができているリビング。
クソ狭いくせにスニーカーをすぐ増やしてしまう琉人のせいで、靴を履くのも脱ぐのも大変な玄関。
タバコの火種を何度か落としたせいで、シーツのあちこちに穴が開いているセミダブルのベッド。
ケンカをした時はあたしがベッドで寝て、琉人はソファーで寝ていた。


あたしの荷物が無くなると、それは小綺麗に片付いた、普通の若い男の部屋だった。

泣きそうだ。


部屋にガソリンを撒いて火を着けてやりたい。
爆発しろ。
燃えろ。
跡形も無くなれ。
全部消えてしまえば良い。

ネックレスを両手で引きちぎると思い切りゴミ箱に投げつけた。
指輪はなかなか抜けず、力の限り引っ張ると、関節からゴリゴリと嫌な感触がした。
躍起になり汗をかきながら無理矢理引き抜くと、それもゴミ箱に投げ捨てた。

土足のまま入ってきた部屋を後にし、施錠した鍵をポストに落とす。
キン、という不快で開放的な音が体内で反響し、
思わず車まで走った。


「おなしゃーす」


助手席に乗り込むと、煙草を吸うコウにビールを渡す。
流れているのはのは洋楽か邦楽かわからないhiphop。


「高速乗んないで行くわ」


コウはこちらを見ずにビールを受け取り、煙草の灰を二度落としてからアクセルを踏んだ。





https://note.com/ichinokyoka24/n/n78280bfce82f


https://note.com/ichinokyoka24/n/n3f934e5b0cbe

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