【添削】辞世の句にダメ出しされた偉人の会【時空BBS:歴史板】
ここは時空の掲示板です。次元の壁を越えて書き込み自由。荒らしは雷に打たれます。
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【集合】俺の辞世、自信あるんだが
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1 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
集合じゃ集合
辞世の句を詠んだ者、集まれ
ワシから貼るぞ
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」
どうじゃ
泣けるじゃろ
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2 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
猿
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3 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
>>2
上様!
来てくださったのですか
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4 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
なぜ俺を呼んだ
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5 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
辞世の句を詠んだ者、ですので
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6 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
俺は詠んでねえよ
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7 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
え
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8 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
「人間五十年」は俺の辞世じゃねえ
あれは幸若舞『敦盛』の一節だ
本能寺で舞ったことはある
それだけだ
勝手に辞世にするな
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9 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
でも上様、世間では辞世ってことに
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10 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
知るか
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11 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
入らせてもらう
拙僧の辞世を投下する
「大底他の肌骨好きに還る 紅粉を塗らず 自ら風流」
漢詩である
意訳は、己の本質は装いを超えて美しい、ということだ
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12 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
難しいのう
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13 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
読めねえ
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14 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
ゆえに解説を付けた
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15 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
解説つけないと伝わらない句、句なのか
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16 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
漢詩は文脈で味わうものである
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17 :細川ガラシャ ◆【細川家/キリシタン】
失礼いたします
わたくしの辞世も、よろしければ
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
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18 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
お見事。
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19 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
上品じゃ……
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20 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
辞世選手権、女に持っていかれてんぞ猿
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【添削】一句ずつ斬られる会
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21 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
通りかかりまして
辞世の議論のようですので、少し講評させていただいても
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22 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
芭蕉殿!
ぜひ!
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23 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
では、遠慮なく
豊臣殿の「露と落ち 露と消えにし」
「露と」が二度重なっている
強調の意図は分かる
しかし辞世の三十一文字は短い
一語を贅沢に使いすぎた
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24 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
……
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25 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
後半「夢のまた夢」は秀逸である
ここだけで一句立つ強さがある
前半を削り、後半を主役にするべきであった
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26 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
……前半、削れ、と
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27 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
は、い
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28 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
猿、泣くなよ
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29 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
泣いとらんわ
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30 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
芭蕉殿、拙僧の句はいかがか
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31 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
武田殿の漢詩
格調は高い
しかし「紅粉を塗らず」という比喩は、時代を経るとやや古く響く
何より、漢詩である
和歌や俳句のほうが、民の口に残る
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32 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
……
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33 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
拙僧の句は、辞世として残らぬ、と
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34 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
残りはする
ただ、教科書の脚注としてである
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35 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
脚注……
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36 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
脚注、きついな
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37 :細川ガラシャ ◆【細川家/キリシタン】
わたくしのは、いかがでしょう
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38 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
細川殿の句
「時知りてこそ」が芯を食っている
花と人を重ねる結びは王道であるが、「花なれ」「人なれ」と二度重ねることで、詠嘆が深まっている
完成された句である
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39 :細川ガラシャ ◆【細川家/キリシタン】
恐れ入ります
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40 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
女子の句だけ絶賛じゃないか
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41 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
実力だろ
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42 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
認めるしかあるまい
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【激怒】そもそも俺のじゃねえ問題
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43 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
芭蕉
俺の句も講評しろ
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44 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
織田殿の「人間五十年」ですか
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45 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
だからあれは俺のじゃねえ
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46 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
世間ではそう伝わっている
辞世か否かは、本人の申告よりも後世の受容が決める面がある
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47 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
後世がどう思おうと知らねえ
詠んでないつってんだろ
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48 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
では、織田殿の実際の辞世は
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49 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
「是非に及ばず」
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50 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
……
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51 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
上様、それ辞世じゃなくて、臨終の一言では
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52 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
言葉を残した
辞世でいいだろ
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53 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
辞世の句は、韻を踏み、季を込め、死を直視しながら一片の美を残すもの
「是非に及ばず」は、覚悟の表明ではあるが、一句の詩ではない
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54 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
芭蕉
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55 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
は、い
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56 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
黙れ
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57 :細川ガラシャ ◆【細川家/キリシタン】
信長殿、お気持ちは察しますが、芭蕉殿の仰ることも分からなくはございません
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58 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
ガラシャ
お前は味方じゃないのか
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59 :細川ガラシャ ◆【細川家/キリシタン】
味方ではございません
辞世の会でございます
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60 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
……
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61 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
信長殿、拙僧も脚注扱いされた身である
共に傷を舐めようではないか
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62 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
傷は舐めねえ
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63 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
……
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【反転】じゃあお前が詠め
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64 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
芭蕉殿
逆に聞くが
あなたの辞世はどうなんじゃ
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65 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
……旅の途中で、体調が悪く、これが最後になるやもと思い、詠みました
「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」
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66 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
それ、死ぬ前じゃねえか
辞世じゃねえだろ
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67 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
後世が、辞世と位置づけました
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68 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
また、後世か
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69 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
……
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70 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
「旅に病で」から始まるの、つかみ弱くないか
もう少し強い一語で始めたほうが
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71 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
>>70
やめてください
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72 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
「夢は枯野を かけ廻る」は、拙僧の漢詩と比べて、格調で言えば
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73 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
>>72
比べないでください
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74 :細川ガラシャ ◆【細川家/キリシタン】
「夢」が、どなたかの辞世と重なっておりますね
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75 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
>>74
ワシじゃ
芭蕉殿、参考にされましたか
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76 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
参考など、しておりません
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77 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
いや、していそう
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78 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
……
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79 :細川ガラシャ ◆【細川家/キリシタン】
芭蕉殿
辞世の句は、本人が一度詠めばそれでよいのです
後から他人が添削するのは
野暮というものではないでしょうか
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80 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
……反省しております
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81 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
ワシは、前半を削れと言われた恨みがある
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82 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
俺は、句じゃないと言われた恨みがある
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83 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
拙僧は、脚注と呼ばれた恨みがある
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84 :松尾芭蕉 ◆【江戸/俳諧師】
……
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85 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
そして結局
「人間五十年」は俺のじゃねえ
これだけは譲らねえ
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86 :豊臣秀吉 ◆【戦国/太閤】
まだ言うとる
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87 :武田信玄 ◆【甲斐/甲斐の虎】
ずっと言っている
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88 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
死ぬまで言う
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89 :細川ガラシャ ◆【細川家/キリシタン】
もう、お亡くなりでございます
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90 :織田信長 ◆【戦国/第六天魔王】
……
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【歴史ノート】
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■ 織田信長と「人間五十年」
「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり」は幸若舞『敦盛』の一節。『信長公記』等によれば、信長はこれを好んで舞ったとされるが、本人の辞世ではない。本能寺での最期の言葉としては「是非に及ばず」が伝わる。後世に「人間五十年」が辞世として広まったのは、信長の生涯とこの一節の内容があまりに合致したための受容現象である。
■ 豊臣秀吉「露と落ち」
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」は秀吉の辞世として広く知られる。晩年の伏見城での病床で詠まれたとされるが、確定的な一次史料は乏しく、諸説ある。
■ 武田信玄の辞世
武田信玄の辞世として「大底他の肌骨好きに還る 紅粉を塗らず 自ら風流」という漢詩が伝えられる。出典は『甲陽軍鑑』等による伝承で、信玄自身の漢詩教養を反映したものと考えられる。
■ 細川ガラシャ「散りぬべき」
関ヶ原前夜の慶長5年(1600年)、石田三成による人質確保の命令に対し、細川邸にて自害(キリシタンのため自殺を避け、家老に介錯させたという)。その直前に詠んだとされる「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」は、比較的信頼性の高い辞世として知られる。
■ 松尾芭蕉「旅に病で」
元禄7年(1694年)、大坂で病に伏していた芭蕉が詠んだ句。本人は「辞世」と称しておらず、「病中吟」として残されたが、数日後に没したため、後世に辞世として扱われている。
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