アイルトン・セナ-マネキンシステム導入まで

前回の記事では92年のマクラーレンでセミATが普及して、セナが精神のマネキンを導入したという内容を取り上げた。
今回は導入する以前を掘り下げる。

セナは完璧だったからこそ、死んでしまったという結論で前回は終わっているのだが、そもそもセナは完璧な人間ではなかった。
とにかく人間臭く、熱く、勝利に貪欲というアナログ人間だった。そこにカリスマ性が加わってとてつもない魅力になっていた。クールなカリスマではなかったのだ。

しかし、晩年のセミAT時代はどうにもその人間臭さが薄くなってしまった。それは精神のマネキンシステムを導入した結果でもある。
しかしながら、その変化にファンは気が付かなかったのか?それは円熟して丸くなったという解釈でカリスマ性が更に高まったのか?
私はリアルタイムで追っていないのでそれは分からない。

そこで今回はF1デビューからマネキンシステム導入までの経緯と原因を探っていきたい。

まずはデビューの1984年はトールマン。マシンの性能はあまり良くないが大雨のモナコGPにて予選13位からみるみる追い上げて優勝か?という寸前で競技委員長からストップで惜しくも2位になった。
この経験は純粋な勝負だけでは勝利を掴むことが出来ないと悟った最初の瞬間だったのかもしれない。
ランキング9位

翌年1985年からロータスへ移籍。あの有名なJPSカラーである。私も以前にJPSを吸っていたことがある。
この年も雨で強さを見せていた。雨というのはマシンの差異が出にくく、正にドライバーの技量が色濃く出る。ターボ時代であるから尚更だ。
第2戦ポルトガルGPでは圧巻の優勝。誰も寄せ付けない強さを見せた。
スタートから終始トップを走行し、2位のミケーレ・アルボレートに1分以上の差をつけ、3位以下は全て周回遅れにする独走でF1初優勝だ。
しかしながら速さを見せるが総合的に安定感の欠けるシーズンだったようだ。荒々しく、しかし雨での繊細なマシンコントロールが冴え渡るというカリスマの片鱗を見せている。
この年は2勝している。ランキング4位

翌1986年、この頃からセナは勝利に対しての貪欲さを見せ始めている。セカンドドライバーへの意見介入は最もたるものだろう。エースドライバーは2人も要らないというのだ。
ドライでの初優勝はあるものの、ガス欠・マシントラブルなど不運やライバルのホンダエンジンの性能に直面して2勝にとどまる。ここで完璧と言われたほどのホンダエンジンを渇望するようになったようだ。
ランキング4位

翌1987年は待望のホンダエンジンを獲得出来たが、マシンとのマッチングやアクティブサスの調整不足で苦戦を強いられた。しかし、そのアクティブサスを生かした作戦で勝利していることから苦悩しながらも、その良さを生かすという中での勝利だった。
ランキング3位

翌1988年からマクラーレンへ。
ホンダターボエンジンの最高潮とも言える時期にセナは飛躍したとも言える。
ホンダエンジンが強すぎると言われ、過給圧規制が行われながら新エンジンRA168Eを開発して無双してしまった。
マクラーレンが16戦中15勝を上げて文句なしの強さだった。同僚のプロストとのチャンピョン争いは熾烈を極め、総獲得ポイントはプロストが上回っていたが、有効ポイント制というシステムで初のチャンピョンになった。この年にはもう同僚との接触でギスギスしていたようだ。

翌1989年はPP記録を更新したりと目覚ましく活躍している。
しかし、同僚との紳士協定を破り汚くても勝利を渇望するというカリスマとは思えないような行動も取っている。これは実に人間臭いのだ。そして強く、カリスマ性があったセナだからこそファンも更に受け入れることができた。
特筆すべきは終盤の15戦鈴鹿GPでのシケインがっちゃんこ事件。以下はwikiからの引用。

トップ争いの中で両者はカシオシケインで接触。先にシケインに入ったプロストの右インにセナがつっこみ、両者は接触したままシケイン入り口で直進したまま止まった。プロストはリタイアして車を降り、セナは再スタートしシケインの近道を通過するもレース後に失格処分となり、タイトルは一旦プロストの手に渡った。セナとマクラーレンは失格処分に抗議して民事裁判に持ち込み、最後の可能性を掛け最終戦オーストラリアGPに挑んだが、トップ独走中に周回遅れのマーティン・ブランドルに追突しリタイヤ、裁定を待たずしてタイトルの可能性を失った(日本GPの結果も、結局覆らなかった)。

これは意地のぶつかり合い!まさに肉体の戦いとも言える。
このような人間臭さ溢れるカリスマ性が二面的魅力となり、更に人気を押し上げていた。

翌1990年、がっちゃんこ事件でライセンス剥奪の危機に陥るも謝罪をして再びF1で走ることになる。流石にプロストはフェラーリに移籍して同僚からは解消された。この年もプロストとのチャンピョン争いに発展する。
しかし、またしても鈴鹿GPでプロストとがっちゃんこ事件が起こる。スタート直後にプロストのインに強引に飛び込み両者リタイヤ。この瞬間にセナのチャンピョンが決定した。
尚、翌年のインタビューでこの衝突はジャン=マリー・バレストルへの抗議の意味があったと告白している。
無茶苦茶だが、そんなことをしてでもF1からセナを追い出すことが出来ないほどに人気とカリスマ性が上がっていたのであろう。

翌1991年はターボが禁止されてNAになった年だ。ここでもホンダは躍進を続ける。ニューエンジンRA121Eはまるで楽器のような咆哮で開幕から4連勝だ。
しかしながらマクラーレンは持っていないセミATという技術の円熟が進んだ後半戦は苦戦を強いられることになる。これはセナのシフト技術やセナ足を技術が普遍的にした瞬間であった。
その中でも安定的な成績で一度もランキングトップを譲らずにチャンピョンを獲得した。


このように、初期からセナを見てみると人間的な葛藤が随所に見られそれがカリスマ性を押し上げたという複合的な『神』としてのキャラクターの形成が見えてくる。
しかし、92年以降はこのような人間臭さが無くなってしまった。もちろん、人間は成長するし丸くなるとは言われる。
プロストがプロフェッサーとあだ名があるくらい、冷静で人間臭くなかったのがセナとの対比において重要な存在になる。後期のセナはプロストのような人間を目指すことを強いられたようにも思える。
この変化を『神』により近づいたとファンは思ったのだろうか?
もうそこにはセナの肉体は存在して居なかったのに。

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