見出し画像

④ それぞれの人生を運ぶ船〜青函連絡船(1986年8月)

1968年夏、名古屋発青森行き急行「あおもり」に乗車。深夜の北陸本線を経て夜明けを迎えた。直江津では、昼行列車へと姿を変えた列車が、終点青森に向けて進んでいく。後半は、海岸線の絶景を堪能し、長時間停車のたびに賑わう駅売店をひやかしながら、飽きることのない旅を続けた。20時間を超える行程を終え、青函連絡船へと向かった。

厳密には上下で航路は少し違う

前の章


青森駅連絡船桟橋での離着岸風景

K氏と一緒に待合室から外を見る。連絡船20便、青森行きが到着しようとしているところだった。夕暮れの暗くなりかけた海上に、ブルーとホワイトの摩周丸がゆっくりと、そのでっかい船体をタグボートに押されながら方向を変え、桟橋へ近づいてくる。水面には船体のあかりが反射していた。

単焦点レンズだと、ズーム撮影ができない

一見したところ、満員のようだ。千人の定員に対して50人とか、そういう船に乗ったことがあるだけに、空気輸送のイメージのある連絡船の盛況ぶりは、うれしいことだ。また、まだ飛行機に対して健闘しているみたいに見える。

この船が折り返し9便、函館行きになるのだ。
「3メートル、2メートル、1メートル」、船がいよいよ着いた。

桧山丸。こちらに乗りたかった。

ドッと客が降りてきて、船からホームに向かって走る。ダッシュする。これが名物のダッシュだ。なぜか連絡船を下船すると、みんな走るのだ。ひとりが走ると、老いも若きも、男も女も、デッドヒートを繰り広げる。

この光景も、あとどのくらい見ることができるのだろうか?

本州への貨物列車を降ろし、北海道への貨物列車を載せる
東京と書かれているのは船籍港、国鉄の本籍が東京だから

最初は、深夜発の0時6分の船に乗るつもりだった。桟敷席で横になって寝れるからだ。そして、今まで乗ったことのない、貨物船を改造した船で運行しているのも魅力的だった。しかし、案内窓口氏に問い合わせてみると、夜行便の船はどれも満員で、へたをすると、2時30分の船まで乗れないかもしれないとのことだった。

深夜まで待つのは面倒だ。いっそのこと、この船で行っちゃおうかと思い、9便を待つ列の後ろに付いた。長い列だ。本当に乗れるか心配してしまう。

とはいえ、なんといったって定員千人以上の船だ。きっと乗れるだろう。この後に運行される夜行が、そんなに人気があるとは……。多少は予想していたが、飛行機の時代の今日に、こんな状況があるなんて信じられない。

旅の友に見送られての出航

K氏が桟橋で見送ってくれる。
「旅で会った友達っていうのは、もう二度と会うことがないから」と言う。
「それじゃ、お元気で」と桟橋でK氏と別れる。夜行急行「八甲田号」でトンボ返りすると言っていた。私も、この乗車時間20時間の急行「あおもり」に乗っただけで旅を終えたい気分になるが、とにかく乗る。

タラップを通って船内に入る

常務氏やその他の乗組員にうやうやしく迎えられて乗船する。青函連絡船ならではの光景だ。すぐに後部船室へ向かう。カーペットが敷き詰められた桟敷席である。

3年前にこの9便に乗ったことがある。その時は、この桟敷席は省エネといって締め切られていたのだ。この後部桟敷席が開かれているのは、めったにないらしい。

普段はこの船室は閉まっている

連絡船は近年、利用者が少ないと言われている。定員の4%ぐらい(1,200人の乗船定員に対して50名ぐらい)で航行している船に乗ったこともある。多客期でもガラガラだった記憶があるのに、今日は定員の半分以上が乗っている。いいことだ。嬉しい。

すっかり夜になってしまった。青森港。出航までもう少しだ。甲板へ出てみるか。いよいよ出航のセレモニーだ。

出航!
線路やホームがあって、ターミナルっぽい雰囲気

19時50分。乗船用の踏み板が船を離れ、これで陸と完全に隔離された。パオー!独特の汽笛、ホタルの光のメロディーが鳴っていて、しずしずと岸壁を離れる。青森の夜景が水面に映ってきれいだ。桟橋で見送る人は少なく、客のほとんどは北海道への旅行客だと思われる。やはり若い人が多く、元気いっぱいといった感じで、華やかなムードである。

連絡船内の人間模様

カーペットの上で横になってもいいのだが、しばらく甲板に留まり、闇を見ていた。そしてシャワーを浴びて、すっきりする。

津軽海峡は穏やかだが、船はローリングしている。多少揺れているなぁと思う程度だったが……。

青森を離れていざ津軽海峡へ

「アイスクリームを売店で販売しています」というアナウンスがあったので、特設売店前へ行く。百円のアイスを…に入れて売っていた(字が汚くて判読不能)。他にビールなども売っていたが、私はアイスを買う。

このアイス、これがうまいという噂がある。そういった先入観のせいか、うまいと思った。本物の売店では、連絡船のテレホンカードを購入。案内窓口では、いつも連絡船の記念切符を売っているが、高いので買わない。

真っ暗な津軽海峡を突き進む

出航後しばらくして甲板に出てみると、闇の中で若い人たちがベンチに座っておしゃべりに夢中になっている。今日は自動車を積んでいないので、乗用車搭載区画は広く開いている。夜間航行のためなのだろうか、航海甲板は立ち入り禁止である。仕方なく、歩行甲板に座ってくつろぐ。

客を見ていると、若い女の子のグループに、若い男の子2人ぐらいが近づき、すぐに仲良くなっている。こんなこと、私にできるだろうか……。できるわけもない。

甲板にいても暇なので船室に戻り、食堂へ行く。ガラガラで、すぐに座れる。そしてカレーライスを注文する。量は極めて少ない。

ロビーの様子

船の食堂と言っても、広いだけで一般の食堂と何も変わりはない。窓から見えるのは闇だけだ。しかし闇は闇でも、海上の闇である。なんとなく、船旅のロマンに酔いしれていた。連絡船は公海を通る。そこらへんの沿岸フェリーとは違うぞ! と思ってしまう。

船室はとにかく広く、のんびりできる。カーペットの上に横になって寝ている人もいる。サロン海峡でコーヒーでも飲んでもいいのだが、金がないので冷水を飲んでくつろぐ。テレビでは先ほどまで巨人対阪神戦をやっていた。ライオンズは勝ったのだろうか……

定期連絡の電話を家に入れたくて、公衆電話に並ぶ。前の人が長々と話していたので、長い列ができていた。事情があるのかな……。

それぞれの人生を、連絡船が運んでいる。旅行に行く人もいれば、帰省する人もいる。このような旅も、トンネルになればどう変わるのだろうか。今は3時間50分の船旅だが、トンネルだとあっという間に過ぎてしまうのだろうか。

函館駅名物、桟橋からホームへダッシュ

船旅も終盤に入った。甲板に立つと、函館の明かりが見えてくる。スピーカーからBGMが沸き上がり、なんとも言えぬ優雅な気分になる。のんびりしていたいが、下船の準備をする。

なんとなく自撮り

荷物を下船口に置いて、もう一度甲板に出ると、函館駅の桟橋が見えてきた。タグボートと汽笛が合図し合い、いよいよ駅に近づき横付けされる。

23時40分、下船開始。またも名物の競争に参加する。駅員が「走らないでください」と言うが、そんなこと、誰も聞いていない。なんでみんな走るんだろう。

日本人のせっかちな点が、そうさせているのだろうか。私もせっせと走る。4番ホームを目指す。桟橋から跨線橋に直接つながっている。デパートからホームへ行くみたいで、船らしくはないのだが、便利だ。ホームで待っているのは、札幌行き夜行普通列車、41列車だ。

次の章


いいなと思ったら応援しよう!

雨男 話にお付き合い頂いてありがとうございます。 いただいたチップは、旅の振興や歴史的建造物の保存のための寄付などに活用させていただきます。