見出し画像

1984年16歳の北海道旅行記(7) ~道東から道北へ旧型客車列車の旅

前の章へ


前説

今回は、元の手記があまりに長文だったので、かなり端折ります。ブツギレの文章はそのためです。ひたすら乗車しているだけですが、昭和の鉄道旅の旅情を感じていただければ幸いです。すでに廃線の区間もあります。後半に登場する炭鉱地帯の賑わいも過去のものです。

すれ違った列車がたくさん出てきますが、昔はこんなに列車があったことを伝えたいので記録として載せています。後ろの席に座った鉄道ファンの大学生に対する人間観察にも注目してください。鉄オタあるあるですが、同業者に敵対心を抱いていたようです。では出発進行。

このルート、現在は線路が切れてしまっています。

釧路駅の朝

駅の清掃作業の音で目覚める。午前5時、名物の霧は出ていない。人口20万人※1、道東の中心地だけあって駅は大きい。乗降客は1万人※2を超える。待合室は人でごったがえしている。暑くなってきてイライラする。「どちらまで?」一人の乗客が私に尋ねてきた。そして「この暑いのに」と言った。釧路の夏の平均気温は17度だが、連日30度を越えている。「いつもは霧が出ている。今年の暑さは異常だ」と言う。「2~3日したらすぐに寒くなるよ」とも付け加えた。

釧路平野を行く

7時35分。特急「おおぞら2号」は待合室の人をほとんど飲み込んで出発していった。さすが特急だ。自由席には立ち客もいた。さて、次は私が乗る7時59分発の普通列車滝川行きだ。ブルーの旧型客車。荷物車2両、客車3両の5両編成だ。機関車に牽引された時代遅れの鈍行列車である。「ピョー!」という汽笛がして、列車は静かにスタートした。特急が1番線から颯爽と出発したのと対照的に、3番線からのひっそりとした出発であった。

普通列車とはいえ、貫禄がありました。

乗客は1ボックスに1~2名程度。私は海側のボックスシートを独り占めできた。駅を出て、海が見えると一面の霧だった。やはり釧路だ。

白糠線は全通から10年あまりで廃線になりました。

白糠で白糠線※3の廃線跡が見えた。前のボックスに座っているオバサン4人組がカメラを向ける。後ろのボックスに座った鉄道ファンの大学生(以降、同業者と書く)もブツブツ言いながら写真を撮っていた。

古瀬※4を通過すると道路を交差して海側に出る。鉛色をした人っ子ひとりいない寂しい海だ。列車は海岸線ギリギリを走る。白く泡立った波が目の前に近づいてきて、そして遠ざかってゆく。最果て感を感じる。表定速度33.2㎞。窓を開けて外を眺める。この感覚は特急列車では味わえない。厚内を出ると、海とオサラバ。十勝平野に向けて走って行く。

釧路付近は荒涼とした区間を走ります。

上厚内※5で16分停車。車掌さんや乗客が降りて時間つぶしにホームを散策する。2軒の売店が道路の向こう側に見える。4人組のオバサンが売店に走って行く。「そんなに慌てなくても」と車掌さんがつぶやく。下りコンテナ列車と交換し、発車間際にも快速列車と交換する。先はまだ長い。新吉野では急行「まりも51号」の通過待ちのため10分停車時間延長。

中高生ぐらいの女の子の小グループが乗ってきて、車内はちょっぴり華やかになったが、10時45分池田に到着(1分早着)すると、オバサン4人組も含めて、大半の乗客が降りてしまう。しかし、ブツブツ独り言を言う同業者は残った。10時53分発車。薫別で15分停車。姉妹列車の釧路行きの客車列車と交換する。札内では下り釧路行き急行「狩勝1号」と交換。グリーン車付きの6両編成だった。

十勝平野を行く

すっかり晴れた空の下、客車鈍行はマイペースで走り続けた。今日も暑くなってきた。開け放たれた窓、くるくる回る扇風機、夏の鈍行列車の旅だ。左手に広尾線※6の線路が近づいてくると帯広。大都会に来たみたいだ。ビルは立ち並んでいるし、デパートもある。ホームもたくさんあり、レアものの一つ目のキハ22を発見した。24分も停まるので外に出る。

帯広駅。現在は高架化されて様子が変っています。

駅の外はハチマキ姿の国労※7が騒いでいる。納沙布岬で街宣車を見たので、彼らが右翼に見える。列車に戻ると、乗客が増えていた。私の向かい側には若い一人旅の女性旅行者が座っている。緊張する。

車内には子供も増えて賑やかになった。同業者が聞いているウォークマンが気になったのか、後ろのボックスに子供たちが集まって、とても楽しそうだ。

楽しみにしていた長距離列車の旅だ。どこで駅弁を買うか悩んだが、帯広駅の「狩勝そば」を選んだ。車内で食べようとするが、そばつゆのビニール袋を開けるのに悪戦苦闘。窓から風が入ってくる列車で食べるものではない。

御影で5分停車。10両編成の「おおぞら3号」と交換。一面に広がる草原と大きい常緑樹以外に何もない駅だった。蝉時雨がうるさい。車窓は木ばかりであるが、道東の落葉松などの松ばかりの景色とは違う。葉の大きい木が多い。日高山脈が近づいてきた。いよいよ道央に入る。木漏れ日が作り出す光の斑点模様が車内に映る。どこかの森林鉄道に乗っているかのようだった。

御影で撮影。草むらの中に駅がある感じだった。蝉時雨の中だった。

十勝清水では、快速貨物とすれ違う。無蓋車、石炭車、石灰車と続く。石灰車には名古屋の文字が見えた。海で隔てられても線路は繋がっている。

狩勝峠を目前にした新得には13時20分到着、7分停車。狩勝峠の山が目の前に立ちふさがっている。これから峠越えだぞといった感じの小休止だ。あまりに暑いので、キオスクでアイスを買う。さて、ここから先がこの列車のハイライトである。

狩勝峠を行く

かつて、狩勝峠越えは汽車にとって過酷であった。しかし、その雄大な車窓は、日本三大車窓として知られていた。やがてこの峠道は新線に切り替わったが、それでも素晴らしいパノラマを見せてくれるそうだ。それを体感するため、座席を立って最後部のデッキに向かった。車内放送で
「4つの信号場※8に全て止まってまいります。次の駅、落合には14時10分に着きます」という。1駅に43分も要するのだ。

全ての信号場に停まる。

新得の街が遠ざかり、右に左に列車がカーブするたび、遠ざかる街の方向も変って見える。北海道立畜産試験場の広大な草原を見ながら、列車は大きなS字カーブを描きながら登ってゆく。左右の扉を開けっぱなし※9にして、この雄大な景色を体感していた。私は、この超雄大な大パノラマを説明する言葉を持たない※10。

旧狩勝峠は通った事ありませんが、新狩勝峠の景色も素晴らしいと思います。


トンネルの中にも信号場はありました。

途中の信号場で保線員が乗り、次の信号場で降りる。この道路も無い無人地帯では鉄道だけが移動手段である。信号場はスノウシェルターに覆われていて、豪雪地帯である事を思わせる。やがて、とてもつもなく長い新狩勝トンネルに入る。列車はスピードを落として止まった。トンネル内にも信号場があり、ここでも保線員が乗ってきた。発車する時、ホイッスルがトンネル内に響いた。トンネル内で石勝線を分岐したと思うとトンネルを出る。そしてようやく落合に到着した。これから空知川に沿って走る。かなやま湖が見えてくると東鹿越※11である。

富良野盆地を行く

いつの間にか、私の前に座っていた若い女性が、同業者のボックスに移動していた。東鹿越では長時間停車だったので、ホームに降りて一緒に写真を撮ったりしている。きっと良い思い出が出来た事だろう。乗客の大半もキオスク(売店)でジュースを買って飲んでいた。なかには駅に着く度にジュースを買っている人もいた。

後ろのボックスでは、同業者と若い女性がすっかり仲良くなって、同業者の旅の自慢話が、聞きたくなくても聞こえてくる。知床はとても良い所だったようで、女性も楽しそうに聞いている。こっそり話を聞いているうちに私もいつか行こうと思った。

金山到着。車掌さんが無線で列車の遅れの情報を受信している。これから先は遅れる見込み。急行「狩勝3号」と列車交換。5分遅れの15:02出発。

富良野に到着すると、多くの旅行客が下車した。停車時間中に改札外に出る。人気テレビドラマ「北の国から」のロケ地である。ドラマ通りの駅に感動。15時54分出発。

空知炭坑群を行く

乗客は少し減って、1両に10名程度となった。芦別※12に到着。なぜか駅に子供が群がっている。ここでも石炭列車を見かけた。道外禁止の帯のついたセキ5000、7000、8000。古い車両は、厳冬期に凍った石炭を落とす為にツルハシで車体を叩くためなのか、外板はボコボコである。

隣のボックスでは国鉄マンが2名
「暑いなぁ。今年の夏は暑すぎるなぁ」と言っていた。この駅で急行「狩勝2号」に抜かれる。車内は満員のようだ。赤平17時04分。列車は遅れている。セキ4000、6000といった貨車が石炭を満載して停車していた。

そして終点へ

「上り422列車発車」車掌がトランシーバーで運転士に伝える※13。
「ピョー」機関車は汽笛を鳴らして出発。そんな光景が繰り返されてきたが、いよいよ終点の滝川である。9時間半の旅が終わろうとしていた。10分遅れの17時32分到着。

荷物車ここで切り離され、18時頃、電気機関車に牽引された荷物列車に連結され、札幌方面に向かって行った。明日函館に到着。目的の大阪に着くのは4日後である。のんびりしたものだ。

さあ、次は道北に向かおう。

終点滝川です。9時間半の乗車でも、疲れませんでした。

解説

※1 人口20万人
釧路市の人口は1981年の23万人をピークに、2024年現在15万人

※2 釧路駅の乗降客
2024年現在、当時の半分以下になっていると思われます。

※3 白糠線
1983年10月廃線 特定地方交通線廃線の第一号。

※4 古瀬
古瀬乗降場、2020年廃止

※5 上厚内
上厚内駅は2017年廃止。この付近の集落も消滅。当時は売店もあった集落だったのに、今は更地が広がるだけ・・・

※6 広尾線
愛国駅、幸福駅といった縁起駅で有名でしたが、1987年廃止。

※7 国労
国鉄労働組合。分割民営化を前に、経営陣と対立が続いていました。

※8 信号場
狩勝峠には、西新得、広内、新狩勝、上落合信号場(トンネル内)がありました。

※9 左右の扉を開けっぱなし
旧型客車の乗降ドアは手動、走行中でも開けっ放しで走る事もありました。

※10 説明する言葉を持たない
この紀行文では、所々で表現を放棄しています。

※11 東鹿越
新得から東鹿越間は、2016年からバス代行区間になりました。この駅はバスの乗り換え駅でしたが、付近には集落はなく、寂しい駅でした。当時は、石灰石の搬出駅でもあり、賑わいもあったのでしょう。
2023年、思い出の地を辿る旅で、この駅を訪れましたが。ここで会った若い人の話を聞いて、北海道熱が数十年ぶりに再発してしまいました。2024年3月、富良野から新得間は、代行バス区間も含めて廃線。

※12 芦別
空知炭坑群があり、石炭列車が発着していました。芦別駅も子供が大勢いるほど賑わっていたのでしょう。

※13 トランシーバーで運転士に伝える
客車列車では、運転士と車掌の通信はトランシーバを使っていました。車掌が合図を送ると、機関車から汽笛で返答がありました。

車内放送つき動画

最初の章へ

次の章へ





いいなと思ったら応援しよう!

雨男 話にお付き合い頂いてありがとうございます。 いただいたチップは、旅の振興や歴史的建造物の保存のための寄付などに活用させていただきます。