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1984年16歳の北海道旅行記(1)~前書き

noteの第1作目、1984年当時の紀行文の抜粋を投稿します。多少の補足を入れますが、なるべく16歳当時の原文のままでご紹介します。
ちなみに今の私は以下の通りです。

当時の私

男子高校2年生。そこそこ強いラグビー部に所属。但し、超がつく運動音痴。部が始まって以来最も下手で、場違いな子がいるということで運動部界隈で有名人でした。
本人はレギュラーなんて最初から目指さず、全国大会を目指してピリピリしている一軍を見ながら、二軍で自由にノビノビプレーしていた16歳。

綿のジャージ、皮のボール、土のグラウンド。昭和だなぁ・・・

悩みは、家族以外の異性と会話する機会がなく、キラキラ輝いている自分を伝える人がいなかったことだけ。

当時の鉄道界

国鉄の赤字が社会問題になっていて、国鉄再建法に基づき、赤字ローカル線の廃止が計画されていました。すでに、第1次廃止対象路線の廃止が始まっていて、第2次廃止対象路線も選定されていました。この紀行文には廃線となった、相生線、羽幌線、天北線、興浜北線、興浜南線、名寄本線、渚滑線、湧網線が登場します。また、根室本線(新得~富良野)、留萌本線(石狩沼田~留萌)、夕張支線、私鉄の三菱石炭鉱業大夕張鉄道線も、その後廃止されました。青函トンネル開通前で、連絡線や夜行列車も登場します。

当時の時刻表の路線図

紀行文について

夏合宿明けの1週間、短いオフに旅行した北海道の記録を、授業中にノートに書いて回覧。返って来た時には「僕の北海道旅行記」というタイトルが追記されて、紀行文っぽくなっていました。これが私の紀行文第一作目となりました。
では、1986年の夏にタイムトリップ!


目次

(2)寝台特急と青函連絡船
(3)ゴーストタウン 夕張
(4)急行大雪と相生線で行く阿寒国立公園
(5)トドワラ死の恐怖
(6)標津線と急行ノサップで行く納沙布岬
(7)道東から道北へ旧型客車列車の旅
(8)男女交際の理想を見た羽幌線「急行はぼろ」
(9)オホーツク海沿いに東へ
(10)日本一の車窓と食堂車と泣きべそ
(11)メルヘン夜汽車





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