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1984年16歳の北海道旅行記(2) ~寝台特急と青函連絡船

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出発まで

私にとって北海道とは憧れの土地だった。

それが高一の時、「青春18きっぷ」でドン行を乗り継ぎ、青函連絡船の羊蹄丸で渡ったのが北海道初体験だった。

しかし連絡船はいずれも夜。特に行きは自分のミスで夜になり北海道第一乗車列車は41列車、普通夜行列車であった。
したがって津軽海峡を日中見ることができなかった。
そして札幌・万字炭山へ行き、すぐひきかえしたため奥までは行っていない。

中間テストの勉強にも力が入らず、北海道計画のプラン作りが気になっていた。決定まで2か月もかかった。なにしろ列車本数が少ない。1日に数本あるぐらい。しかも最終は夕刻に出てしまうものもある。

旧型客車に乗りたい。80系特急「おおとり」で常紋峠を越えたい。廃止予定の興浜北・南線、湧網線、相生線、羽幌線に乗りたい。全て日のあるうちに乗りたい。計画はやりがいがあった。

そして出来たプランは鉄道、観光、両方を掛け合わせた作品となった。部活のため1週間しか旅に行けない。20日間有効の周遊券を1週間しか使わないのは悔しい。それに「るるぶ」と「鉄道ジャーナル」と「時刻表」しか参考にできなかったので、どんな旅になるのかわからない。

上野→北海道エリートライン
(特急ゆうづる1号)

1984年8月6日
奥に止まっているのが寝台特急

1984年8月3日。上野駅で周遊券を買う。東京→北海道全線→東京。20日間有効でたった25,900円。これで上野⇔青森の急行(特急は除く)と、北海道内の特急や急行に乗っても追加料金不要! 本当は八甲田という青森行の夜行急行に乗れば8,000円が浮いたのだが、明日中に夕張に行けるのは寝台特急に乗るしかない。
上野駅19時。13番線にその急行八甲田が止まっていた。車内はカニ族(周遊券で旅する若者)で混んでいた。EF58電気機関車がホイッスルを鳴らして先に青森に向かった。さぁ、いよいよ私の番だ。特急ゆうづる1号※1のブルーの昼夜兼用電車583系が寝台を整えて待っている。車内は満員でせまっ苦しい。

満床? だった。興奮して寝れない


19時50分。気が付かないうちに15番ホームを滑り出し、夜のみちのくへと向かった。夜景がとても綺麗だった。とにかく速い。揺れもあってなかなか寝つけない。デッドセクションを通って、常磐線を行き、仙台へ。ここから少しばかり乗ってくる。仙台の次は青森だ。

「おはようございます。あと30分で青森に到着します」とオルゴールの後にアナウンスが流れた。もう朝だ。青森には定刻通り、5時30分に到着した。

こんな写真撮っているから連絡船に乗り遅れそうになる・・・。

津軽海峡夏景色(青函連絡船)

1年ぶりの青森。昨年は夜、この駅に普通1833列車で辿り着いたが、今回は朝日のまばゆい時間だ。 いよいよ船の出発時間が近づいている。桟橋に向かうと、荷物がないことに気づいた。全速力でホームに戻る(ベンチの上に置きっぱなしだった)。船は今にもハッチを上げようとしていた。
「待って!」
何とか乗れた。乗船してからハッチを上げるまで、10秒もなかった。

5時25分発、青森発函館行きの青函連絡船21便は、摩周丸。定員は寝台20名、グリーン席296名、普通席970名。貨車48両、自動車12台を収容できる大型船だ。 青森の街が遠ざかり、青い海が広がる。これが夢にまで見た津軽海峡だ。風は少ししかなく、海は穏やかだ。 船は全く揺れない。今日は暑く、海には靄がかかっているため、竜飛岬は見えない。 私の大好きな「津軽海峡冬景色」には「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれの」という歌詞があるが、あれは嘘だ。 雪の日に竜飛岬がわかるだろうか。しかも、北の外れは大間岬のはず。

今日はかなりの乗船率だ。青函航路はいつもガラガラなはずなのに、時々混む。昨年は函館で2便待たされた。 今日は乗れたからいいが、満員でお断りになったら悲しい。

食堂に行き、海峡ラーメンを食べる。汚れたガラスの向こうに下北半島らしきものが見える。 ラーメンは美味しかったが、2回もウェイターに忘れられたのは困ったものだ。

甲板に出て佇む。みんな手すりに寄りかかって海を見ている。私も同じだ。 売店で天下一品と言われるアイスクリームを食べ、たまにしか開放されない上部甲板から前方を眺める。たまにすれ違う船ぐらいしか見えない。

やがて、もやの中からかすかに函館山が見えてきた。なんとまあ、変な形の山だろうか。低く見事な台形だ。青空の中から湧き出るように函館の街が見えてきた。 函館ドックやいろいろなものが見えてきた。防波堤の中に入ると函館港内だ。 「ブァオー」。変に高く、変に和音がする独特の汽笛を鳴らす。 函館山はこちらから見るとまともな形をしている。函館ドックには渡島丸※2が係留されている。もう色褪せてしまった貨物用の連絡船だ。 前方には貨物用から貨客用に改造された桧山丸の姿。タグボートを使い、隣に着岸する。 タグボートの汽笛「ポー」、連絡船の汽笛「ブァオー」 9時15分、下船開始である。

連絡船の魅力は貨物列車を積み込みむところ
タグボートで接岸

解説

※1ゆうづる号
当時の時刻表を見ると、東北本線の上野発青森行きの夜行列車は、特急「ゆうづる」5本、「はくつる」2本、急行「八甲田」2本、「十和田」2本ありました。上野駅の地上ホームは各方面に向かう夜行列車で賑わっていました。
※2渡島丸
就航から9年で廃船になった貨物用連絡船。物流の主役は鉄道からフェリーや航空機に移っていて、北海道に向かう旅客の94%は航空機利用でした。

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