1984年16歳の北海道旅行記(9) ~オホーツク海沿いに東へ
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前説
今回は、稚内からオホーツク海沿いを南東に向かって進みます。この区間、当時は鉄道が繋がっていて、50㎞の区間だけが未完成でバスで連絡していました。現在、全ての路線が廃線になっています。日本で最も荒涼とした車窓だったと思います。当時の拙い文章ですが、少しでも雰囲気を感じて頂ければ幸いです。
羽幌線で北上、お兄さん、お姉さんと一緒に駅前で寝た幌延駅から始めます。

最北の街稚内
4時頃、起こされてか、自分で起きたのか、とにかく起きていた。雨が降っている。さすがに頭が痛い。ものすごい眠さ、コーヒーを飲んだが気持ち悪くなって飲み切れなかった。駅には何人か客が集まってきた、新聞の束がおかれていた。あの学生2人は起きていて、まだ眠っている看護学校の女子学生を見て
「どうしようか、この子起こそうか」と相談している。私はボケた頭でホームに向かうと、ディーゼル機関車に牽引された夜行急行「利尻号」※1が入線してきた。ちょうど乗車率100%か・・・。

何もない所を進む。寂しい景色だ。利尻富士は今日は見えない。列車は南稚内に到着した。少なくない乗客が降りたが、列車にはまだ多くの乗客が残っていた、しばらく走って、日本最北端の稚内に着く。6時17分。

駅を出ると、ほとんどの人が稚内港北防波堤ドームの方に行く。利尻・礼文島へ行く船に乗る人であった。しかし、私は海沿いに準日本最北端ノシャップ岬へ行く。雲はどこまでも重くたちこめ、漁港に人の気配はなく、街にも人は誰もいない。カモメだけが飛んでいる暗い海だ。寂しいからメインストリートに出る。時々、ノシャップ岬行のバスが追い抜いてゆく。どれもガラガラ。やがて終点のノシャップ灯台。待合室に荷物を置いて目前の灯台を目指す。雨が強くなってきた。ビショビショになってノシャップ岬に立っても観光客は一人もいない。樺太はおろか利尻島も見えない。プレハブのラーメン屋に寄って着替えさせてもらった。
樺太ラーメンは美味しかった。でっかい器にエビ・コンブなどの海鮮ものがのって500円。また、荷物がバス停にあると言うと、車で回収してくれた。それは良かったのだが、ポケットから周遊券を取り出すと、雨でグシャグシャ、引きちぎれていた。周遊券は北海道では買えない。どうしよう・・・。
バスで駅まで戻り、駅の案内窓口に行く。そこで周遊券を見せると
「これ以上ひどくなったら無効ですよ。もう、途中下車印は押さないで、紙が持たないから」と言われたが、とりあえず使える事がわかって良かった。そうこうしているいうちに9時04分発の天北線の出発時刻が迫っていた。隣には宗谷本線の普通客車列車※2も停車していた。荷物車、郵便車、客車の編成、茶色、青色、赤色の3色の編成だった。この2列車は、天北線、宗谷本線と別々のルートを行き、音威子府で接続する。
最果ての鉄路・・・天北線
9時4分。宗谷本線の客車列車よりも先に出発。今にも雨が降り出しそうな暗く寒々とした景色だった。幸い、観光客と地元の人で混んでいたので寂しさはあまり感じない。どことなく、土地のにおいがしたが、外は何もなくただ、草原が広がっているだけ。運転士はさぞ退屈だろうと思って、見に行くと・・・<とても書けない態度で運転していまた。推察してください>。

有人駅に到着すると、なぜか嬉しくなる。この低規格のローカル線だが、急行列車が運転されている。信じられないような気がする。そのローカル線を1両の鈍行は行く。乗客の中に中近東風の老婆がいたのには驚いた。やがて11時41分。興浜北線との分岐駅、浜頓別に到着する。
断崖絶壁を行く・・・興浜北線
興浜北線とは、興浜南線、美幸線とつながる枝幸鉄道網構想の一部であったが、この3線はつながる事なく、接続区間の建設中に廃線候補となってしまった。

天候が持ち直した。11時45分、これまたキハ22の単行列車はスタートした。この線も駅として認められていない仮乗降場が多い。ドア1つ分の朝礼台くらいしかない木製ホームが多い。
この路線はオホーツク海沿いギリギリを走る事で有名である。しばらく走ると、断崖が迫ってくる。真っ青なオホーツク海を眼下に断崖を急カーブ。迫力といい、美しさといい満点だった。廃止されるには惜しい。



12時31分。主要漁港の街、北見枝幸に到着する。暗く、厳しい自然に耐えている小さな漁村のように言われている。しかし、今日はよく晴れて風も吹いていないし、この街もそれほど悲しそうにはみえなかった。
まさに海に突き出た町なのであろう(中略)海からの風は強く、四方八方から吹き付けてくる。住民は背をまるめ、懸命にしがみついて生きているように見えた。
駅はたしかにみすぼらしかった。しかし、駅員がいて切符を買うと貝殻をくれた。鉄道ファンがスタンプを押したりしているので、折り返し列車は少し遅れた。駅員さんも大変だ。

枝幸鉄道網の見果てぬ夢・・・宗谷バス
駅を出てメインストリートを行く。結構立派な街だ。商店も多いし、スーパーマーケットもある。大きなスーパーマーケットの中にバスターミナルがあってここからバスが発着している。事務所や待合室もある。街はずれに駅がある鉄道とは違い、バスターミナルが街の中心地にどっかり構えている。
興浜北線と興浜南線の未開通区間を、1日4本のバスが走っているが、接続は必ずしも良くない。これをどう繋ぐかが、今回のオホーツク海沿いの旅の鍵となった。
12時50分。バスはネアカな老人※3と観光客を少し乗せて出発した。霧は出ていないが、寒々とした景色が続く。塩分を含んだ海霧を浴びた牧草が牛に良い影響を与え、牛乳も他とは一味違うと、街のパンフレットに書かれている。乳製品は駅のキオスクにも置いてあるが、浜頓別で買ったチーズドリンクは私の口には合わなかった。
車窓には、時々、工事中の鉄道施設が目に入る。工事中に廃止※4されるとはどういうことか! この光景は全国いたるところに見られる。14時00分頃、雄武に到着した。

穏やかな旅路・・・興浜南線
雄武の駅にもキオスクがあった。1日6本の列車しか来ないこの小さな駅に売店の必要性があるのか疑問だった。キタキツネのマスコットに心を動かされたが、一匹千円では手が出ない。妹への土産にしたかったが、私には2人も妹がいるのだ。

ここも漁村だが、スーパーマーケットぐらいはある。私は文房具屋で、切符を入れるプラケースを買った。これで周遊券はこれ以上崩れることはあるまい。
15時20分。興部行きは発車した。やはり、オホーツク海に沿って進んでいく。今日のオホーツクは本当に綺麗だ。乗客は海を見て
「きれいねー」と言っている。
15時50分。あっけなく名寄本線との接続駅、興部に着いた。今日のオホーツクめぐりはこれでおしまいである。


街は立派だが・・・渚滑線
16時28分発の名寄本線で渚滑に向かう。この名寄本線も廃止候補のひとつである。人口の少ない北海道では本線といえども廃止候補なのである。16時55分あっけなく渚滑へ。ここで、廃止が決まっている渚滑線を訪問する。
発車まで1時間半もあるので駅の待合室で待つ。この駅にもキオスクがあった。商品のラインナップを見ると、なんとアイスクリーム製造機どんびえなど、家電製品も揃えていた。なんでこんなものが・・・と思っていると、地元の少年がやってきて
「ジャンプある?」と売り子のオバサンに尋ねていた。
「まだ来てないよ。またあとでおいで」
と答えていた。
なるほど。わかった! この辺りのキオスクは駅の売店というよりも、この辺りのよろず屋といったところなのだ。要するに、旅客よりも住民相手の店なのだ。つくづく東京とは違うと感じた。旅情がわいてきた。
駅員が出てきて改札口の上にある手作りの列車案内板を回転させた(三角の角材を回して、発車番線と行く先を表示させるお手製のもの)。17時24発。北見滝ノ上行きが、名寄行きを従えてやってきた。
「後ろは切り離すので前に乗ってください」と言われる。新車でピカピカのキハ40の2両だった。廃線候補に新車は勿体ない。
車内は部活帰りの高校生で90%の乗車率。旅行者、鉄道ファンらしき人は誰ひとりいなかった。列車は何もない平野をまっすぐ進む。時々、ドアひとつ分しかホームがない小さな駅に停車する。キハ40は自動ドアなので、ホームが届かないドアも開いて危ない。

ディーゼルカーは直結制御※5で淡々と真っすぐ進む。眠くなった頃、終点北見滝ノ上、18時32分着。列車の折り返しが21時20分なので、待ち時間が3時間もある。名所の滝を見に行こうと思う。

街はけっこう大きくて立派だ。商店街もあるし、道路も立派。この、北見滝ノ上は全国一のサクラ草園や滝があるばかりでなく、豊富な林業資材に恵まれている。鉛筆材、割りばし、合板・・・・そのためであろう。ローカル線の駅でこれほど活気のある街はないと思う。旅館も6件あるし・・・。
まわりを木材で囲まれた線路沿いを歩いて滝を見に行く。振り返り、駅を見ると、暮れなずむ風景の中で、列車のテイルランプや信号機などの灯りが線路に反射して美しい。

滝を見て写真を撮りたくなった。フィルムが切れたので街で買う。何軒かの店をまわってようやく買えた。36枚撮り※6はやめて24枚撮りにした。少しでも自制する為だ。日が暮れてしまい、することがなくなったので。待合室で夏休みの宿題に取り組む事にした。
20時50分。紋別駅から多くの乗客を乗せてやってきた1両が、私が乗ってきた車両と連結され、2両編成となって21時20分。渚滑駅に向けて戻ってゆく。乗客はほとんどいない。それこそ灯りひとつない闇の中を進む。霧も出ていない、まさに真の闇だ。窓には蛾などの虫がへばりついている。列車の速度が遅いので、へばりつけるのだろう。窓を開けたら、これらの虫が一斉に車内に飛び込んできた。22時08分渚滑着。
帰省客で賑わう急行列車
名寄本線急行「紋別号」
22時40分。今度は名寄本線唯一の札幌直通の急行列車の「紋別号」だ。もっとも興部から普通列車にはなっているが、札幌と紋別を直通するという事で、地元に人気がある。前に乗った「はぼろ号」と同じ地方都市直通の急行列車だ。「はぼろ号」の所で書いたように、3方面の急行列車が併結されたうちの、5~8号車が急行「紋別号」だ。

1両あたり20名程度の乗客。指定席はガラガラだった。まぁ乗っている方であろう。普通列車とはいえ4両もつないだ急行くずれなのだ。小さな仮乗降場のような駅には止まらないが、どの駅も小さいので列車はホームからはみ出す。潮見町では木製のホームしかないので、7,8号車の一部のドアしか乗り降りできない。しかし、そんな駅でも人は降りる。

紋別で帰省客がドドット降り他の客が乗ってくる。列車交換の為11分止まり、22時57分発車。7号車の乗客は11名になった。元紋別では若い1名の男性を、男女3名が迎えにきていた。いつ見てもほのぼのする。中湧別には23時32分に着いた。ここで降りて、明日の湧網線の始発を待とう。
夜のプラットホームに降りて列車を見送るとテイルランプが悲しい。この駅では駅員に追い出され、駅前で寝る事にした。ツーリングの人が数名いる。飲み屋のカラオケがうるさかった。
もう旅も終盤、あと1晩夜行列車に乗れば帰京である。この旅は楽しかった。しかし、昨年のように常にワクワクする事はなかった。何か満足できていない。おそらく、昨年は、部活が辛くて、日常から逃げ出したのが嬉しかった為であろう。部活が楽しい今、逃げるという感覚ではなかった。
解説
※1 夜行急行「利尻号」
当時は稚内行き「利尻号」、網走行き「大雪号」、釧路行きの「まりも号」の3大夜行急行が走っていました。いずれも周遊券で追加料金不要だったので旅人に人気でした。
※2 普通客車列車
宗谷本線の名物列車で、蒸気機関車時代から、最果てを行く客車列車として有名でした。当時は客車はレッドトレインと言われた新車に変わっていました。
※3 老人
今だったら高齢者と書くべきだとは思いますが、当時の紀行文のまま載せます。
※4 工事中に廃止
日本鉄道建設公団は、国鉄の赤字とはリンクせず、一旦決まったものはとにかく作るというスタンスでした。その体制が、国鉄をさらなる窮地に追い込んだような気がします。
※5 直結制御
エンジンとギアのつなぎ方。変速・直結・中立の3種類あった。
※6 36枚撮り
フィルムの枚数。デジタルしか経験が無い人にはわからないかも。
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