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①全てはここから始まった〜東鹿越駅(2023年11月)

粉雪が舞う夕方、根室本線の東鹿越駅。富良野方面からやって来た列車が15時12分に折り返してしまうと、駅には誰もいなくなった。この駅も、来年3月には廃止される。私は、最後のお別れを告げるため、レンタカーでここへやってきた。


東鹿越駅とは

根室本線の途中駅である東鹿越駅は、周囲に人家が少なく、廃駅が決まっていた。しかし、2016年の台風によって根室本線が被災し、新得〜東鹿越間は代行バスによる運行となった。その結果、東鹿越駅は乗り換え駅として命拾いすることになった。

しかしながら、根室本線の復旧は最終的に断念され、正式に廃線となることが決まった。かつては札幌と釧路を結ぶ特急も走っていた路線だったが、仮に復旧させたとしても、多くの旅客は見込めないことから、この決断に至ったようだ。

かなやま湖をバックに走る根室本線

車を停め、撮影のために駅舎へ向かう。粉雪が舞う晩秋の夕暮れ。あたりには集落もなく、かなやま湖も沈んだ色をたたえている。寂寥感が、不安な気持ちをいっそう強めていく。当然、周囲に人の気配はない……いや、一人の若い女性が、高機能の一眼レフで駅舎を撮影していた。

秘境駅で出会った旅人

北海道の秋は、熊が怖い。……だが、この若い女性にとっては、私のほうがもっと怖かったかもしれない。私は、見知らぬ女性に話しかけることはまずしない。しかし、お互いのためにも、敵でないことを伝えておきたかった。
「列車、混んでましたか?」
他愛のない挨拶をしてみた。

帯広方面の線路はこんな状態だった。

彼女は、公共交通機関だけを使って移動する旅人だった。今日も、日高バスターミナルからバスを乗り継ぎ、金山で根室本線に乗って、この駅までやって来たという。そのルートを、私は知らなかった。安易にレンタカーでここまで来た自分が恥ずかしく思えた。
「鉄道が好きなら、列車に乗らなきゃダメですよ。まだ乗れるチャンスはありますし、私は来月も来ますよ」

東鹿越駅に到着した折り返し列車

しばし立ち話をしたが、驚きの連続だった。鉄道に関する知識は深く、正直、私にはわからない単語も出てきた。路線バスにも詳しく、さまざまなローカルバスを駆使して旅をしているという。通りかかった村営バスに向かって、彼女は手を振った。運転士も応えた。こんな田舎のバスの運転士とも顔見知りとは……。

東鹿越駅を出発する滝川行き

北海道の旅の話をした。彼女は、私の知らない北海道をたくさん知っていた。タウシュベツ川橋梁を何度も訪れた話(冬にも行ったという!)、天売島や焼尻島の話。ローカルバスの旅、廃線跡を巡った話……。

廃線……北海道のローカル線の多くは、すでに鬼籍に入っている。その路線名さえ、いまや忘れ去られつつある。そして彼女は、それらが現役だった時代を知らない。若い旅人にとっては、わずか8年前の代行バス以前の姿すら知る由もない。

誰もいない東鹿越駅

立ち話があまりにも楽しくて、私は車に防寒着を取りに行こうとはしなかった。おそらく、この旅人とは一期一会だろう。彼女を迎えに来る宿の送迎車が到着したら、もう二度と会うことはないに違いない。限られた時間なのだ。私は、車に戻るわずかな時間さえ惜しく感じていた。あまりの寒さにガタガタと震えていたが、それに気づかれぬよう、平然を装っていた。

おそらく、会話をしていたのは20分ほどだったと思う。
やがて、宿の迎えがやってきた。別れる前に彼女はこう言い残した。
「トンネルを抜けて見えるかなやま湖が最高。わたしはここが一番好きな景色です」

突然思い出した過去

いよいよ暗くなってきた。私はひとり、誰もいないホームに出る。「石灰石」と書かれた石が、ホームの中央に飾られていた。思わず「あっ」と声が出そうになる。この景色……見たことがある。

ホームの中央にで存在感をみせる石灰石

40年前、1984年8月9日。当時高校生だった私は、釧路発滝川行きの普通客車列車で狩勝峠を越えた。その普通列車は、東鹿越で小休止していた。

私は、同じ列車に乗り合わせた乗客たちの様子を観察していた。そして、嫉妬していた。鉄道ファンの男性と、一人旅の女性が仲良くなり、ホームで一緒に写真を撮っていたのだ。……羨ましい。

東鹿越駅の待合室。綺麗だった。

真夏の普通列車の旅。各駅の売店では、ジュースやアイスを買い求める乗客の姿があった。この駅も例外ではなかった。

私も、売店を冷やかすつもりでホームに出た。そして、そのとき見たのが「石灰石」と書かれた、この石だった。不思議なものを見たような気がしたのを覚えている。

滝川方面

1990年2月19日のことも思い出した。
旅先で仲良くなった人と別れ、切ない気持ちを抱えたまま、私は滝川から新得まで普通列車で移動していた。
途中の景色は、まったく覚えていない。記録にも残していない。心ここにあらず……。

だが、この駅で、「石灰石」と書かれたホーム上の石を目にしたとき、今回と同じように、1984年の旅を思い出し、しんみりとした気持ちになっていたのだった。

すでに列車が走らない帯広方面

伝わらない過去の思い出

この景色を見てから、あの若い旅人に会えたならよかった。この駅にまつわる昔話を、語ることができただろう。
教えてあげたかった……。廃墟同然のこの場所が、かつては輝いていたということを。

帯広に戻る途中に落合駅に寄る。
灯りがついているだけで現役の駅舎だと実感できる。
列車のやってこない構内は朽ちていて悲しかった。

今日の宿泊地は帯広だった。ほとんど車が走らない狩勝峠を、車で越えていく。真っ暗な道、凍結した路面。ペースメーカーとなる車すらいない。
孤独に耐えながら闇の中を走っていると、あの旅人のことを思い出した。

ローカル線が現役だった頃の話を、彼女に伝えたかった。連絡先は交換しなかったが、ほかに伝える手段はなかったのだろうか……。

すでに闇の中だったが狩勝峠展望台からバルブ撮影

今思えば、せめてSNSくらいは教えておけばよかった。
けれど、当時の私はXもインスタも見たことすらなく、そもそもSNSが大嫌いだった。スマホも最低限しか使わない、強い意志を持ったアナログ人間だった(YouTubeだけは黎明期からやっていたが、ただ投稿するだけだった)。

私は北海道が大好きだ。
学生時代に何度も訪れ、もう思い残すことはないと思っていた。
しかし……まだ知らない場所や、知らない楽しみ方があることを、あの旅人に教わった気がする。

北海道には、まだまだ忘れ物があるのだ。

忘れ物を拾いに行く旅

……というわけで、「忘れ物を拾いに行く旅」に出る決心がついた。
このマガジンは、そんな旅の物語である。
終わりがどこにあるのかは、まだわからない。少なくとも、タウシュベツを訪れるまでは続くだろう。

とりあえず、旅人が語ってくれた「一番好きな景色」を見に行くことからはじめよう。

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