【創作大賞2026お仕事小説部門応募作】かなめ、DXしちゃいます。- 第3話「聞くより、触れ。」
ヒアリングから二週間。
松尾かなめは、人生で初めて「ツールを作ることがこんなに楽しいとは思わなかった」という感覚と、「ツールを作ることがこんなに大変だとは思わなかった」という感覚を、同時に味わっていた。
研究開発部の高橋くんと、週に3回ミーティングをした。
「一番困ってることはなんですか」
「その作業、一回見せてもらえますか」
「ここ、どういうふうに入力してるんですか」。
かなめはひたすら聞いた。高橋くんはひたすら答えた。
見えてきたのは、二つの巨大な「めんどくさい」だった。
1つ目は、勤怠管理の入力だ。桜華化学の研究開発部では、毎月末に全員がExcelに残業時間を手入力して、それをメールに添付して、総務部に送る、という作業をしていた。
21世紀とは思えない運用だが、「昔からそうだから」という理由で続いていた。
2つ目は、出金依頼の処理だ。実験で使う試薬や消耗品を購入するとき、紙の申請書に手書きで記入して、課長のハンコをもらって、経理部に持っていく。
これも、「昔からそうだから」だった。
「これ、自動化できます」とかなめは言った。
高橋くんが「本当ですか」と言った。
「Pythonで作ります。勤怠は入力したら自動で集計してメール送信まで。出金依頼は入力したらPDFが出力されて、承認フローもシステム上で完結するようにします」
「……それ、できたら神ですよ」
「やります」
やると言ったからには、やる。
かなめは研究者だから、言ったことはやる。それだけは自信がある。
2週間後、ツールが完成した。
勤怠管理入力自動化ツール。出金依頼自動化ツール。
デザインはシンプルで、説明書がなくても使えるように作った。
入力項目は最小限にした。
ボタンは大きくした。
エラーが出たときのメッセージは、「エラーコード:0x80070005」ではなく「入力が足りません。ここを確認してください」にした。
高橋くんに見せると、「これ、最高っすよ」と言った。
早乙女くんに見せると、「俺、感動したっす」と言った。
松川さんに見せると、「……使いやすそうだねえ」と言った。松川さんにしては、かなり高評価だとかなめは思った。
権藤課長は「よっしゃ! これ展開しよう! 今すぐ!」と言った。
Teamsから毛利さんのメッセージが来た。
毛利:UIがきれいです。私なら使います。
毛利:観葉植物、最近元気そうですね。ありがとうございます。
「毛利さん、どこから見てるんですか」
毛利:松尾さんが写真を送ってくれたので。
そうだった。先週送った。
ともかく、手応えはあった。
今度は違う。使う人と一緒に作ったんだから。
かなめは自信を持って、研究開発部全体への展開に踏み切った。
1週間後。
かなめはアクセスログを開いた。
勤怠管理ツールのログイン数:5。
出金依頼ツールのログイン数:5。
高橋くんだけだった。
かなめはしばらく画面を見つめた。
また、か。
でも、今回は前と違う。
ツールが悪いわけじゃない。使いにくいわけでもない。高橋くんは「最高」と言って毎日使ってくれている。
問題はツールの外にあった。
「松川さん」
「なんですか」
「研究開発部の人たち、なんで使ってないんですかね」
松川さんがコーヒーを飲みながら言った。
「今まで通りでいいんじゃないかな、みんな」
「でも、絶対こっちのほうが楽ですよ」
「楽かどうかより、変えるのがめんどくさいんだよ。人間って、そういうもんだよ」
かなめはその言葉を、メモ帳に書き留めた。
「楽かどうかより、変えるのがめんどくさい」
Salesforceも、Slackも、Notionも、RPAも、全部ここで止まっていたんだ。便利かどうかじゃない。変えること自体への抵抗感。今まで通りという慣性の法則。
それが、DXの本当の敵だった。
早乙女くんが「どうするんすか、松尾さん」と聞いた。
かなめは少し考えてから、言った。
「ハンズオン会、やりましょうか」
「ハンズオン?」
「実際に触ってもらう会です。説明するんじゃなくて、使ってもらう。体験してもらう」
早乙女くんが「それいいっすね! 俺、仕切りますよ! コミュ力だけは自信あるんで!」と言った。
権藤課長が「よっしゃ! やろう!」と言った。
松川さんが「人来るかな」と言った。
Teamsから毛利さんのメッセージが来た。
毛利:私はリアルタイムでTeamsサポートをします。「使い方がわからない」という質問に即答します。現地には行きませんが。
「行かないんですね」
毛利:得意不得意がありますので。でもTeams上では誰より速く動きます。
頼もしいんだか、頼もしくないんだか。
ともかく、ハンズオン会をやることになった。
開催日の朝、早乙女くんが研究開発部全員にこんなメッセージを送った。
「お菓子あります。ジュースあります。三十分で終わります。ぜひ来てください!」
かなめは「お菓子で人を釣るんですか」と言った。
早乙女くんは「人はお菓子で動くんすよ」と言った。
一理ある。
当日、会議室に集まったのは12人だった。研究開発部の半分だ。
みんな、最初は腕を組んでいた。「また何か説明される」という顔だ。かなめにはわかった。Salesforceの説明会で2時間拘束されたトラウマが、この部屋に充満していた。
かなめは余計な説明を一切省いた。
「今日は、触ってもらうだけです。説明はしません。わからなかったら聞いてください。以上です」
一瞬、静まり返った。
「……以上ですか?」と誰かが言った。
「以上です。どうぞ」
かなめはノートPCを12台並べた。全員の前に一台ずつ。
恐る恐る、みんなが画面を開き始めた。
かなめはうろうろしながら、様子を見た。詰まっている人がいたら、隣に座って一緒にやった。説明はしない。ただ、一緒にやる。
五分が経った。
誰も声を上げなかった。
十分が経った。
「あれ」と誰かが言った。中堅の研究員の田村さんだ。40代で、新しいものが一番苦手そうな人だとかなめは踏んでいた。
「なんですか」
「これ、勤怠の入力、もう終わった」
「そうですよ、早いでしょう」
「……いつもは三十分かかるんだけど」
「今日は何分でしたか」
「……5分かかってないかも」
田村さんが画面をじっと見た。
そして、ぽつりと言った。
「思ったより、簡単だね。これなら毎日使ってみるよ。」
その一言が、部屋の空気を変えた。
「え、そんな簡単なの?」「私もやってみる」「あ、ほんとだ、すぐ終わった」。声があちこちから上がり始めた。
かなめはTeamsを見た。
毛利さんが質問に即答し続けていた。
「ここはどう入力すればいいですか」
「この項目は何ですか」。
矢継ぎ早の質問に、毛利さんは一秒も止まらずに返していた。
毛利:松尾さん、現地お願いします。私はここで頑張ります。
毛利さん、ちゃんと戦力だ。
30分後、会議室が少しざわざわしていた。
「出金依頼も、これでできるの?」「今まで紙に書いてたのが馬鹿みたい」「なんでもっと早くこれにしなかったんだろう」。
かなめは聞きながら、心の中で思った。
食わず嫌いだったんだ、みんな。
使ってみたら、簡単だった。でも使う前は、なんとなく難しそうで、なんとなく変えたくなくて、なんとなく今まで通りのほうが安心だった。
それだけの話だったんだ。
説明会では伝わらなかった。マニュアルでも伝わらなかった。でも、五分触ったら伝わった。
「体験」が、全てだった。
ハンズオン会が終わったあと、田村さんがかなめに声をかけた。
「松尾さん、DX推進課の人って、もっと怖い人たちかと思ってた」
「怖い人いないですよ、うちの課」
「なんか、上から『これ使え』って言ってくる人たちのイメージがあって」
そうか。そういうイメージがあったのか。
「今日みたいに一緒にやってくれるんだったら、また来てもらってもいいかも」
かなめは少し驚いた。そして、少し嬉しかった。
「また来ます」
「次は何をやってくれるの?」
「まだ考え中ですけど、また一緒に考えさせてください」
田村さんが「うん」と言って、会議室を出ていった。
夕方、かなめはDX推進課に戻った。
権藤課長が「どうだった?」と聞いた。
「思ったより、よかったです」
「よかったじゃないか!」
「でも、わかったこともあります」
「なに?」
「説明しても動かないけど、体験したら動く。ということは、あと13人程度、ハンズオン会に来てない人がいるので、また開かないといけないです」
権藤課長が「よっしゃやろう!」と言った。
松川さんが「またお菓子いる?」と言った。
早乙女くんが「俺、お菓子選ぶの得意っす!」と言った。
Teamsから毛利さんのメッセージが来た。
毛利:今日のTeamsサポート、47件の質問に答えました。記録更新しました。
毛利:充実した一日でした。現地に行かなくても貢献できてよかったです。
かなめは思わず笑った。
この部署、やっぱり好きかもしれない。
まだ、ほんの小さな一歩だ。ハンズオン会に来た12人が動いただけで、会社全体から見れば砂粒みたいな変化だ。
でも、確かな一歩だ。
田村さんの「思ったより、簡単だね」という一言が、まだかなめの耳に残っていた。
その一言のために、2週間かかった。
でも、その一言は、マニュアル47ページより価値があった。
かなめはメモ帳に書き足した。
「文化は、説明では変わらない。体験して、初めて変わる。」
窓の外に、夕焼けが広がっていた。
私、DXしちゃいます。
一人ずつ、一歩ずつ。
第4話へつづく
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