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創戯旅団 生存の記録-SM奇譚 第4夜-夜を継ぐ者たち

文章というものは、書いているあいだだけ、ひどく従順な顔をしている。こちらの指先に導かれ、画面の上へ一列ずつ並び、息をひそめてそこにいる。まるで最初から、この世に生まれることを待っていたもののように見える。けれどそれは、たぶん錯覚なのだろう。文字は、手の中にあるようでいて、ほんとうはどこにも掴まっていない。朝の窓辺に浮かぶ埃のように、光の加減では見えているだけで、ほんのわずかな気流で、たやすく散ってしまう。

昨日の午前、第4夜の原稿は、たしかに仕上がっていた。

仕上がっていた、という言い方にためらいがないわけではない。文章に「完成」という札を下げるたび、私はどこかで嘘をついている気がする。ほんとうは、これ以上手を入れると壊れそうだ、というところで手を止めているだけで、文章のほうが満足して黙っているわけではない。それでも、その朝の私は、ようやくひとつの夜が閉じたような気がしていた。机の端には飲みかけのコーヒーが冷えはじめていて、カーテンの隙間から入る光が、やけに白かった。私は自分の書いたものを上から下まで眺め、いくぶん疲れた気持ちで、しかしどこか安堵にも似たものを覚えていた。

人が何かを失うのは、たいていそういうときだ。
気が緩み、心の中の留め金が、ひとつ外れたときだ。

何をどう押し間違えたのか、もう思い出せない。ただ、次の瞬間に画面が白くなっていたことだけは、妙にはっきり覚えている。ついさっきまでそこにあった文の群れが、潮の引いた浜辺のように跡形もなく消え、ひどく平らな光だけが残っていた。私はしばらく、その空白を見ていた。怒りよりも先に来たのは、呆気なさだった。あれほど言葉を積み上げていたはずなのに、なくなるときは音もしない。その静けさが、かえって残酷だった。

紙なら、まだいい。消し跡が残る。破いたとしても、紙片は机の上に散る。そこに何かがあったという事実だけは、傷として残る。けれど電子の文章は潔癖すぎる。消えてしまえば、最初から存在していなかったような顔をする。墓もなく、遺品もない。書いた本人の胸の奥にだけ、たしかにそこにあったという手触りが、ぼんやりと残るだけだ。

同じものを、そのまま書き直す気にはなれなかった。

文章には、そのときの体温がある。夜更けの倦みや、朝方の白みや、書き手が言葉を選ぶときの迷いが、目に見えない膜になって、一行ごとに張りついている。ひとたび消えてしまったものを、記憶だけでそっくり再現しようとしても、それはもう別の生き物だ。輪郭だけ似ていても、呼吸の仕方が違う。亡くなった人に似せて作った蝋人形のように、顔立ちは同じでも、こちらを見返してはこない。書くという行為が復元作業になった途端、文章は急速に色を失ってゆく。私はその色褪せる感じが、どうにも苦手だった。

だから私は、消えた原稿を悔やむことを途中でやめた。やめた、というより、悔やんでいても戻らないと知っただけかもしれない。失ったものの輪郭を追う代わりに、まったく同じ題材を、別の夜の水で洗い直してみようと思った。失われた文の代わりではなく、失われたことによってしか書けない文を探すほうが、まだましに思えた。

今回書こうとしていたのは、「創戯旅団」という名前の由来である。

名づけというのは不思議な行為だと思う。最初は、何かを区別するために貼られた仮の札にすぎないのに、時が経つにつれて、その名は中身よりも重たくなり、やがて持ち主の来歴や癖までも引き受けるようになる。人も店も、作品も、そうだ。軽い気持ちでつけた名前ほど、あとになってその人間の本音を暴いてしまうことがある。私はそういう、あとから意味が追いついてくる言葉のあり方が、昔から少し好きだった。

私たちの仕事は、特殊風俗と呼ばれている。

呼び名としては便利だが、その便利さのぶんだけ、ひどく大雑把でもある。世間はひとつの言葉で安心する。その四文字の中へ、理解したつもりになれる余白を押し込み、そこで思考を止める。だが、実際に日々その仕事のそばにいると、そんな簡単な括りでは到底足りないことばかりが目につく。人の欲望は、思っているよりずっと不格好で、ずっと繊細だ。ただ刺激を求めているようでいて、ほんとうは慰めを探している人もいる。強い言葉を口にしながら、内側では壊れやすい沈黙を抱えている人もいる。遊びは、ただの遊びとして始まりながら、ときにその人の孤独の輪郭を照らしてしまう。

こちらはそのたび、相手の望むものを手探りで受け取り、どこまでなら夢のままでいられるかを測ることになる。決まりきった型をなぞるだけでは済まない。ほんの少し声色を変えること、間の取り方を変えること、そこに置く言葉を一つ入れ替えること、それだけで空気はまるで違ってくる。そういう意味で、私たちは「遊ぶ」のではなく、毎回少しずつ「遊びをつくっている」のだと思う。

創ること。
戯れること。

その二つの言葉が、あるとき頭の中で重なった。すると自然に、「創戯」という字が浮かんだ。何日も考え抜いて辿り着いたわけではない。むしろ逆で、言葉のほうが先にこちらへ寄ってきたような感覚だった。意味が先ではなく、音が先にあったのかもしれない。口の中で転がしたときの重さ、少し仰々しく、少し胡散臭く、それでいてどこか捨てがたい響き。その曖昧さが、私には妙にしっくりきた。

では、なぜ「旅団」なのか。

これもまた、立派な理念から出てきたものではない。うちの店はデリバリー専門である。客を迎え入れるのではなく、こちらが動く。夜の町のどこかへ向かい、見知らぬ建物の前で足を止め、エレベーターの鏡に一瞬だけ映る自分を見て、また別の夜へ入っていく。その仕事の輪郭には、いつも移動がついて回る。定住よりも往来、待機よりも出発。その感覚から、まず「旅」という字が浮かんだ。

ただ、「旅」だけでは少し頼りなかった。ひとりで風景の中を歩いていくような、そんな細い響きだった。私がつけたかったのは、もう少し集団の気配を含んだ名前だった。何人もの人間が、それぞれの思惑や生活を抱えながら、それでも同じ看板の下で動いている。その雑多なまとまりを、うまくひとつの塊として言い表したかった。そうして「団」がつき、さらに音の具合を確かめているうちに、「旅団」という言葉に落ち着いた。

もちろん、本来の意味くらいは知っている。旅団とは軍隊の編成のひとつであり、イギリスやフランスではその響きもずっと直接的なものだろう。それをこんな場所で借りてくるのは、いささか乱暴かもしれない。だが言葉は、ときに正しい使われ方から少し逸れてこそ、その人間にとっての意味を持つ。私はそこに、どこか気恥ずかしい滑稽さを感じながらも、捨てがたさを覚えた。戯れを創る軍団。創戯旅団。漢字だけ眺めればいかめしいが、声に出すとどこかマンガじみていて、深刻になりきれない。その中途半端さが、かえって私にはよかった。

安易な名づけだったのだと思う。
しかし、安易であることは、必ずしも浅いことではない。

むしろ人は、考え抜いた末の言葉より、ふと口をついて出た言葉のほうに、自分でも知らない本音を滲ませる。名づけの瞬間に自覚していなかったものが、あとからじわじわと染み出してくる。古い木の机に水をこぼしたとき、しばらくしてから木目の奥に広がる染みが見えてくるように、言葉もまた、時間をかけてその意味を深めていく。

そして私は、数え方を「第一回」や「第一話」ではなく、「第一夜」にした。

理由をひとつに絞ることはできない。仕事柄、夜という時間に縁が深いというのもある。だがそれ以上に、夜という言葉には、物語をしまっておくための柔らかな暗がりがある。昼の言葉は、輪郭を求められる。何を言いたいのか、どこへ向かうのか、はっきり示さなければならない。けれど夜の言葉は、少しくらい道に迷っても許される。話は横道へそれ、思い出は不意に差し込まれ、余計な沈黙さえ、文の一部になる。夜とはそういう時間だ。

それに「夜」で数えると、どこまでも続いていけるような気がした。
第一夜、第二夜、第三夜。
その先に第百夜もあれば、第千一夜もあり得る。

もちろん、そんなところまで本当に続くかどうかは分からない。人は続けるつもりで始めたものほど、途中で簡単に手放してしまう。けれど、続くかもしれない、という形だけは残しておきたかった。千一夜物語のように、語ることがそのまま命綱になる、というのは大袈裟にすぎるとしても、何かを語りつづけることには、それだけでかすかな祈りのようなものがある。私はたぶん、その祈りにあやかりたかったのだろう。

厚木エレガンスでは、十年以上前から公式ブログを続けている。

十年とひと口に言うけれど、ネットの時間は現実のそれより、いくらか早く風化する。だから十年分の文章が積み重なっているというのは、思えば不思議なことだ。第一期の頃は更新も頻繁で、店の誰かが料理を作った話、私がどこかで飯を食べた話、スロットで勝ったとか負けたとか、店の公式ブログであることを半ば忘れたような雑多な文章が並んでいた。整っていないぶん、あれはあれで生きていたのだと思う。人が何を面白がり、どんなものを退屈だと思い、その日をどうやってやり過ごしたのか。そんなことが、文章のあちこちから匂っていた。

第二期に入ると、ブログはもう少し「正しい場所」になった。季節のイベントを告知し、必要なことだけをきちんと伝える。余分なことは削ぎ落とされ、読みやすく、分かりやすく整えられた。店の公式ブログとして、それはたしかに健全な形だった。けれど正しさというものは、ときに少し冷たい。形が整うほど、書き手の癖や、書かずにはいられない衝動のようなものは、端へ追いやられていく。更新頻度が落ちていったのは、忙しさだけのせいではなかった気がする。文が痩せていく音を、たぶんどこかで私は聞いていた。

だから第三期のブログを考えたとき、私はこの時期にはこの時期の輪郭が必要だと思った。単に告知を並べるのではなく、これまであまり前に出してこなかった仕事の面も含めて、もう少し総合的に、お店のことと、そこにいる人間のことを綴っていきたいと考えた。もちろん、以前のような雑多な話も捨てるつもりはなかった。人間は仕事だけでできているわけではない。食べたものの話、若いころの失敗、妙な趣味、くだらない記憶。そういうものが折り重なって、ようやくひとりの人間になる。背景のない文章は、どこか平らだ。

もっとも、そんなふうに言う私自身、自分の文章力を高く買ってはいない。むしろ、普通以下だと思っている。その感覚は、必要以上にへりくだっているのではなく、昔から自分の文章につきまとってきた影のようなものだ。私は過去に、二年ほど文章を書く仕事で給料をもらっていたことがある。肩書だけ見れば、書き手だったと言えるのかもしれない。だが、その二年間で痛感したのは、自分には文章の才より、せいぜい文章の持久力しかないということだった。書けば書くほど、自分の足りなさが分かった。うまくやろうとするほど、文は硬くなり、面白いことを考えたつもりでも、紙の上では妙に平板になった。

それでも今こうして、外へ向けて書いていられるのは、時代が少し変わったからだろう。昔なら、もっと狭い場所でしか許されなかったものが、いまはずいぶん多くの人の手に開かれている。上手い人も下手な人も、とにかく言葉を並べることはできる。その雑然とした時代に、私はかなり救われている。洗練されていなくても、まだ発信することは許される。素人のままでも、何かを言う席だけは残されている。

考えてみれば、私は昔から、読むこと自体は好きだった。高校生の頃、小説や雑誌を読んでいる時間だけは、妙に静かだった。教室のざわめきから少し離れたところで、活字の中に身を沈めていると、世界が一枚薄い膜を隔てた向こう側へずれていくような気がした。偶然、所属していた部活も、帰宅部に偽装したような文芸部だった。そこでは定期的に小説を書かされた。書きたくて書くというより、締切に追われて書く類の文章だった。

高三の頃には副部長だったらしい。
らしい、というのは、本当に自覚がなかったからだ。

誰かにそう言われて、はじめて「あれ、俺そうだったのか」と口にした記憶がある。そんな程度の人間が副部長なのだから、部活の実態は推して知るべしである。部の時間はトランプばかりしていたし、放課後は草野球やバンド活動に首を突っ込み、クラシックギターまで習っていた。若い日々というのは、いま思えばどうしようもなく散漫で、けれどその散漫さの中にだけ宿る光もある。文章を書くのは、ノルマの短編を提出するときだけ。好きな作家は筒井康隆で、自分でも軽口まじりの、おちゃらけた話しか書けなかった。深刻さに正面から向き合うほど、当時の私はまだ静かではなかったのだと思う。

そんな高校時代を過ごしたせいか、進路もまた、どこか頼りなかった。大学の付属校にいて、ほとんどの生徒が推薦でそのまま進学できる環境にいながら、私は札幌の学部の夜間を勧められたとき、「そんな寒いところには行かない」と、ほとんど気分だけで道を逸れた。いま振り返れば、幼いと言うほかない。だが若いころの選択というのは、理屈ではなく、身体の拒否で決まることがある。

そのあと一年ほど、私は宙ぶらりんの時間を過ごした。何者でもなく、何かになる決意も持ちきれない、半透明の時間だった。それからレコーディングの専門学校へ進んだ。音に関わる仕事も悪くないと思ったのだ。録音には、消えゆくものを一時的にでも留める力があるように見えた。いま思えば、言葉の頼りなさに対する、ひとつの反動だったのかもしれない。

けれど結局、その業界には進まなかった。学生時代にアルバイトで入っていた編集プロダクションに、そのまま就職したからだ。人生は、自分が本気で望んだ方向より、ふと手をかけた取っ手の先へ進んでいくことのほうが多い。そこで私は、情報誌やカタログの文章を、とにかく大量に書いた。書いて、直されて、また書いた。才があるかどうかは別として、反復は人の手に癖をつける。あの頃の私は、自分の文に惚れることよりも先に、とにかく形にする筋力だけを鍛えられたのだと思う。

その経験が、いまの私の基礎になっている。エレガンスやグランブルーのホームページのラフをつくることも、イベントを考えることも、元をたどれば、あの頃の地味な反復の延長にある。華やかな成功ではなかった。むしろ、自分の限界に何度もぶつかった時間だった。それでも、限界を知ることは、案外悪くない。持てる道具が少ないなら、その少なさの中でどう工夫するかを覚えるからだ。

読む本の好みも、その頃から少しずつ変わった。若い頃は、軽妙で、皮肉があって、笑いに逃げ込めるものばかりを追っていたのに、いつのまにか、人の執念や意志の重さが前面に出てくる物語へ惹かれるようになっていた。京極夏彦、シドニー・シェルダン、パール・バック、田中芳樹。並べてみればずいぶん雑多だが、どれも人間の内側にある持久力のようなものを描いている。特に、精神力の強い女が出てくる話には、昔からどうしても目が行ってしまう。いまの自分の好みや、少しひねくれた性分の根は、案外そういう読書の底のほうに沈んでいるのだろう。

こうして書いていると、タイトルの由来を話すはずが、いつのまにか自分がなぜ文章のそばを離れきれないのか、という話にずれてしまった。けれど、たぶんそれでいいのだと思う。名づけとは、単に看板を掲げることではない。その名前を選ぶ人間が、どこから来て、どんな遠回りをして、何をまだ手放せないでいるのか、その匂いが自然に滲み出る行為なのだろう。

創戯旅団という言葉の中には、仕事の説明だけでは収まらないものがある。遊びを創るという現在。移動しつづける店のかたち。少し大仰で、少し子供っぽく、それでいて口に出すと妙にしっくり来る響き。第何夜と数えながら、どこまでも続くかもしれないという淡い願いに寄りかかる心。そして、ちゃんとした書き手になりきれなかった人間が、それでもなお言葉の近くに身を置いていたいと思っている、往生際の悪さ。そういうものが、全部混じって、この名前になっている。

たぶん私は、この先も上手な文章は書けない。
名文を書く人はほかにいくらでもいるし、自分がその列へ並べるとも思っていない。

けれど、消してしまい、失い、それでもまた書きはじめることならできる。白くなった画面の前で、しばらく黙り込み、諦めきれずに新しい一行を置くことならできる。失った原稿は戻らない。だが、戻らないものがあるからこそ、人は別の言葉を探しにいく。喪失は、ときに創作の理由になる。失くしたものの形をなぞるのではなく、その空白のまわりに、新しい輪郭を与える。それが書き直すということなのだろう。

だから第四夜は、消えた原稿の代用品ではなく、消えたあとにしか書けなかった夜として残しておきたい。タイトルを考えることは、結局、自分が何をしてきたのかを少し振り返ることでもあった。どこで躓き、何を恥じ、何を笑い、どうしてまだ懲りずに書いているのか。その答えは、いつもひとつではない。けれど、答えがいくつもあるということ自体が、たぶん人間の履歴なのだと思う。

夜の文章は、昼の文章ほど整っていない。話はすぐ逸れるし、余計な思い出が差し込まれる。けれど、そういう乱れの中にだけ宿る真実もある。まっすぐ進んだ話は、あとに何も残さないことがある。少し道を外れ、帰り道の景色を見て、言わなくてもよかったことまでぽつりとこぼしてしまう。そういうときの言葉のほうが、あとになって長く胸の底に沈むことがある。

創戯旅団。あらためて書くと、やはり少し照れくさい。だが、その照れくささも含めて、これはたぶん私たちの名なのだろう。

立派すぎる名前は、すぐに疲れてしまう。ふざけすぎた名前は、すぐに飽きてしまう。そのあわいで、少しだけ背伸びをし、少しだけ笑っていられる名前なら、長く付き合っていける気がする。私には、それで十分なのかもしれない。

今夜は、ここまでにしておく。
窓の外はもうすっかり静かで、遠くを走る車の音だけが、ときどき夜の底を撫でていく。消えた原稿のことを思えば、まだ胸のどこかに薄い悔しさが残っている。けれど、その悔しさもまた、この夜の温度なのだろう。なくしたものがあって、書けたものがある。手の中には、結局その両方しか残らない。

白くなった画面にもう一度言葉を置くとき、人はたぶん、自分の文章を信じているのではない。
ただ、まだ終わっていないと思いたいだけなのだ。

そのささやかな未練のようなものが、次の夜へ続いていく。
そしてまた、名もない朝が来るまで、静かにそこに灯っている。

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