創戯旅団 理念の記録-SM奇譚 第36夜-灯を喰む裸身
冬のはじまりというものは、いつだって妙に残酷である。人は寒さを口実にして、物事を縮こまらせる。欲望も、怒りも、夢想も、みな厚い布地の下へ押し込め、どうにか無難な体温だけを保ってやり過ごそうとする。街路樹は骨のように痩せ、朝のガラス窓には白い息が張りつき、通りを歩く人々の顔には、年末へ向かう者特有の、あの諦念にも似た忙しさが浮かびはじめる。そんな季節に、あえて何かを産み落とそうとする人間は、たいてい少し壊れている。私は、その壊れ方を愛していた。世の中には、誰かが眉をひそめる瞬間にしか立ち上がらない企みがある。「今、それをやるのか」「よりによって、この状況で」そう言われて初めて、輪郭を得る計画がある。祝福されることを前提にした夢は、どうにも肌触りが平板だ。初めから理解されるつもりの熱など、私にはぬるすぎて、とても手のひらに乗せていられなかった。むしろ失笑や沈黙や、呆れ果てた視線のほうが、ずっと甘美であった。そこにはまだ誰にも飼い慣らされていない生の反応があったからだ。だから私は、皆が息を呑むような時機に、新たな店の話を口にした。いや、正確には「店」という言葉で括ってしまうには、それはあまりにも胎児めいていた。店のなかに宿る、もうひとつの店。既存の器官の内側に生まれる、名付けられたばかりの小さな臓器。まだ歩けもしないくせに、いずれ独立して世界を渡るつもりで、湿った暗がりのなかで自分の指を確かめているような存在だった。それは華々しい門出ではなかった。祝花もなければ、鳴り物入りの号砲もない。ただ、既にある場所の襞のあいだに、ひとつの異物がそっと差し込まれるだけだった。誰も気づかぬようでいて、気づいた者だけが妙に心を掻かれる、薄い棘のようなもの。大看板を掲げるほどの図々しさではなく、かといって密やかな遊戯に甘んじるほど従順でもない。その曖昧さが、私には何より美しく思えた。
私は昔から、完成されたものより、なりかけのものに心を奪われる性質だった。咲ききった花より、裂け目から色を覗かせる蕾。見世物として整えられた舞台より、幕が上がる前の暗がり。大衆の前で美しく整列した言葉より、まだ熱を持っているために文法の外で震えている独白。未完成のものには、完成品にはない湿度がある。人の手が入る余地、未来が裏切られる余白、うまくいくかもしれないし、あっけなく崩れるかもしれないという、不安と希望の混合した匂い。その匂いを嗅ぐと、私の胸のどこか奥、古傷のような場所が必ず疼いた。新しく生まれるその小さな店もまた、そうした疼きの結晶であった。しかも可笑しなことに、その出発点は豪奢な投資でもなければ、身の丈を超えた見栄でもなかった。むしろ何も持たぬことを逆手に取った、執念に似た発想だった。資本がないならないなりに、構造を組み替えればいい。箱を増やせないなら、既にある箱の内側に、新しい意味だけを孕ませればいい。世の中は目に見えるものだけで成立しているわけではない。人間は驚くほど簡単に、名前と物語に心を動かされる。ならば先に名前を差し出し、その名前が似合う現実をあとから引き寄せればいい。それは詐術ではない。むしろ現実というものの、ひどく正直な扱い方だった。人はよく、商いとは数字の芸だと思い込んでいる。もちろんそれは半分正しい。だが残り半分は、祈祷に似ている。誰もまだ見ていない未来を、あたかも見えているような声で語り、その声を聞いた者たちの胸に、まだ存在しない風景を住まわせること。店とは商品や壁や帳簿でできているのではなく、むしろ「そこに何かが起こりうる」と信じる人間の気配によって成り立つ。彼が新しい店を語るとき、その口調がどこか夢告げめいて聞こえるのは、そのためだった。私の企みには、一貫して「可視化」という癖が通っていた。隠されているものほど、表へ引きずり出したくなる。触れてはならぬものほど、輪郭を照らしたくなる。だがその可視化は、単なる暴露ではなかった。私は秘密を辱めたいのではない。むしろ逆で、秘密というものが人の内側でどれほど美しく熟しているかを、誰より信じていた。だからこそ私は、それを雑に消費される前に、しかるべき灯りの下へ移したかったのである。闇の価値を知る者だけが、灯りの使い方を誤らない。私の可視化とは、秘密を殺すためではなく、秘密に新しい呼吸を与えるための手つきだった。
その新店で私が扱おうとしていたものも、まさにそうした呼吸だった。ただ肉を売るのではない。ただ刺激を並べるのでもない。人と人とが向き合うときに生まれる、羞恥と誇りのねじれ、見たいという欲望と見られたくないという恐れのせめぎ合い、命令と服従の仮面の下で、実は互いが互いに依存しあっているというあのひどく人間的な倒錯。そうしたものを、私は一つ一つ「遊戯」という名の器に移し替えようとしていた。光を浴びる遊戯がある。そこでは、隠すことが許されない。衣服はただの布ではなく、言い訳であることが暴かれる。人は裸になるとき、皮膚だけを露出するのではない。自分が自分であるためにどれほど多くの覆いを必要としていたか、その貧しさまで晒してしまう。照明の下に立たされた身体は、卑しさと神々しさの境目をひどく曖昧にしながら、震える。肩の線、喉元の影、伏せられた目の下に差すわずかな青み。そういう些細な陰翳が、時にどんな技巧よりも人を惑わせることを、私はよく知っていた。美とは完璧な造形ではない。逃げ場を失ったとき、なおそこに残るもののことだ。闇に沈む遊戯もある。そこでは視線が奪われ、その代わりに耳や指先や呼吸が、過剰なほど冴えてくる。見えないものは、消えるのではない。むしろ輪郭を失うことで、かえって想像のなかで増殖する。暗がりのなかで人は相手の身体そのものより、自分の内部に巣くう飢えと向き合わされる。どんな声に心が軋むのか、どんな沈黙に恐れを感じるのか、どこまで見えないままでいたいのか。闇は隠すための幕ではなく、人間の内奥を逆照射する鏡であった。私は、その鏡の冷たい艶を愛した。さらに私が執着していたのは、あらかじめ内容を決め切らない遊戯だった。分数と対価だけを先に置き、その内側で何が育つかは、その日、その瞬間、そこに立ち会った二人だけが決める。無謀だと人は笑うだろう。責任の所在が曖昧だと眉をひそめる者もいるだろう。だが私には、それこそが最も贅沢な形式に思えた。人は完成された筋書きに安心する。けれど本当に深く記憶に残る夜とは、たいてい予定外の匂いをしているものだ。会ってから決まるということは、その場にいる互いの存在を、どんな決定事項よりも優先するということでもある。信頼のない場所では成立しない。だからこそ、その危うさの上にだけ咲く花がある。私はその花に、妙に執着していた。
私自身がまた、そういう人間だった。きちんとした説明だけでは息が詰まる。計画書に収まりきる未来では、どうしても胸が躍らない。何かを始めるたび、私は自分でも呆れるほど、少しずつ予定の外へ外れていった。もっと急に。もっと遠くへ。もっと、人に理解されない形へ。まるで人生そのものを速度超過で走り抜けることでしか、自分の輪郭を保てないようなところがあった。もちろん、その性質は私を何度も滑稽にした。真顔で荒唐無稽なことを言う男は、だいたい信用されない。しかも私は、その荒唐無稽さを恥じるどころか、どこか嬉しそうに育ててしまう節がある。周囲の者が「冗談だろう」と思うぎりぎりの線で、私はいつも本気だった。本気であることと、常識からはみ出すことが、私のなかではほとんど同義だった。誰にでも理解される本気など、どこかで既に消費されている。理解不能の霧のなかへ踏み込んで、それでもなお自分の熱だけを信じること。私にとっての誠実とは、そういう危なっかしい一点にしか宿らなかった。新店の話をしているときも、私の胸中には奇妙な静けさがあった。成功するか失敗するか、その二択に対する執着が薄いのである。無論、破綻を望んでいるわけではない。だが結果以上に、今この瞬間、自分の内部で鳴っている鐘の音に従えているかどうかのほうが、私には重大だった。人からどう思われるかという尺度は、いつだって後景へ退いていた。非難も評価も、私の耳には遠い波の音に過ぎない。それよりも、胸のなかに棲んでいる獣が、今どちらを向いているか。その鼻先が、どんな匂いを追っているか。そのほうがずっと切実で、恐ろしく、そして美しかった。私は知っていた。商売というものが、結局は人の寂しさを扱う営みであることを。華やかな看板の下で人が買っているのは、商品だけではない。そこへ行けば何かが変わるかもしれないという予感、今日より少し違う自分になれるかもしれないという淡い期待、その場にしかない物語に触れたいという飢え。そうした、言葉になりきらない寂しさのかけらを、人は金に換えて差し出している。ならば応える側もまた、単なる提供者では足りない。場所を売るのではなく、変容の気配を売らねばならない。私の新しい店は、その意味で、ひどく正直だった。それは「ここに来れば、あなたの内側の何かが少しずれる」と告げる店だった。しかも私は、そのずれを、客だけでなく自分自身にも求めていた。同じことの繰り返しに耐えられない。昨日と同じ温度で息をするくらいなら、少しばかり軋んでも、新しい仕掛けの方へ手を伸ばしたい。そうやって私は、店のなかにまた店を孕ませる。ひとつの名が定着しかけると、その内側に次の名を滑り込ませる。安定という母胎のなかで、次の不穏を育てる。まるで平穏そのものが、私にとっては長く留まるには清潔すぎる場所であるかのように。
けれど、そんな私にも、ときおり夜の底で訪れる静かな不安はあった。ほんとうに誰か来るのか。この名前は、ただの妄執ではないのか。自分の思いつきに、自分だけが酔っているのではないか。そういう問いは、冬の明け方のように容赦なく、透明な顔をしてやって来る。私はそのたびに、窓の外を見る。まだ誰も歩いていない通り。白んだ空。電線にとまった鳥の影。その無関心な世界を前にすると、不思議と救われるのだった。世の中は、私の企てなど知らない。知らないまま朝になり、知らないまま誰かが出勤し、知らないまま別の誰かが恋に破れる。その圧倒的な無関心のなかでなお、自分だけはこの計画を手放せない。ならば、それは少なくとも本物なのだろうと、私は思う。本物とは、多数決で決まるものではない。世界が振り向かなくてもなお胸に残る疼きのことを、人は本物と呼ぶのではないか。私にとって新店とは、まさにそういう疼きだった。金勘定だけでは説明のつかない、けれど決して夢想だけでもない、現実と妄執のあいだに吊るされた細い橋。その橋を渡るたび、私は少し恐ろしく、少し愉快だった。足を踏み外せば暗がりへ落ちる。だが向こう岸に何があるか見えないからこそ、橋は橋として意味を持つ。やがて私は、その小さな店に名を与えた。名を与えるということは、存在をこの世へ引きずり出すことだ。まだ実体の薄いものに輪郭を与え、呼び声の届く場所へ置くことだ。名は祈りであると同時に、呪いでもある。一度呼んでしまえば、もはや無かったことにはできない。私はそのことを知りながら、あえて名を口にした。すると、その瞬間、ただの発想だったものが急に生き物じみてきた。呼ばれた獣が、暗がりの奥でそっと目を開けるように。そのとき私は、自分が店を作っているのではなく、夜に巣を作っているのかもしれないと思った。昼の理屈では測れないものが、夜にはたしかに棲みつく。理性の顔をした人間の胸の裏側で、もっと濁った、もっと柔らかなものが身じろぎする。その気配を迎え入れる巣。羞恥も、誇りも、欲望も、孤独も、少しだけ置いていける場所。あるいは逆に、置いていったはずのものを、もっと濃い色にして持ち帰ってしまう場所。店とは、そういう変質のための巣であってもいい。
外では冬が深まっていった。街は相変わらず忙しなく、誰も私の内側で始まった産声など知らない。だが私には、それでよかった。本当に大きなものは、最初はたいてい誰にも聞こえない。それでも確かに鳴っている。胎内で脈打つ血のように。耳を澄ませた者だけが気づく、小さく、けれど執拗な鼓動として。私は笑った。その笑みには勝利も敗北もなく、ただ妙に静かな艶だけがあった。誰かに理解されるためではない。自分のなかの獣を、今日も見失わなかったという、それだけの確認。もし世界が首を傾げるなら、それもまたよい。眉をひそめられるたびに、自分がまだありきたりの道へ屈していないと知れる。笑われるたびに、この企みがまだ生きているのだとわかる。そうして私は、店のなかにまたひとつ店を宿し、夜のなかにまたひとつ灯りを差し込む。灯りといっても、街路を照らすほどのものではない。ただ、迷っている者の胸の奥で、ひそかに何かを疼かせる程度の明るさ。けれど人はときに、そのかすかな明かりひとつのためだけに、長い夜を歩いて来る。大仰な救済ではなく、名前もつかぬ衝動を肯定してくれる気配。そこにしかない空気。そこにしかない温度。そこにしかない、少しだけ危うく、少しだけ優雅な狂気。冬はなお深まり、朝は相変わらず白々しく訪れる。それでも私の夜だけは、まだ終わらない。むしろ今、ようやく始まろうとしていた。既にある場所の奥、見慣れた看板の内側、言葉の襞のさらに暗いところで、新しい名を与えられた小さな店が、胎児のように静かに身をよじる。産声はまだ細い。だが細いまま、執拗に、確かに、この世界のどこかの寂しさへ向かって伸びていく。そして私は知っている。人が本当に抗えないのは、整えられた正しさではない。少しばかり危険で、少しばかり理解不能で、それでいて妙に美しいものだ。夜の胎内に灯る店とは、たぶんそういうものなのだ。誰にも祝福されぬまま生まれ、誰にも説明しきれぬまま育ち、それでもふと気づけば、誰かの人生の片隅に、消えない影のように棲みついている。私はその影を愛した。影のなかでしか育たぬ花を愛した。正気の顔をしながら、内側では静かに狂っている人間たちの、言葉にならない渇きを愛した。だからこそ、私はまた次の夜にも名を与えるだろう。また次の暗がりにも、別の灯をともすだろう。世界が呆れようと、笑おうと、あるいは見向きもしなかろうと、そんなことにはもう頓着しない。私に必要なのは、ただひとつ。この胸の奥で鳴り続ける、速度超過ぎみの鼓動に、今日も背を向けなかったという事実だけだった。そしてその鼓動は、冬の底でなお、美しく、淫らに、途切れることなく続いていた。
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