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創戯旅団 理念の記録-SM奇譚 第21夜-織機の止んだ夜、黒い扉の前で

四十歳になった年、父の工場が潰れた。潰れた、という言い方は、出来事の輪郭だけを冷たく残して、その内側でどれほど多くの息遣いが止まったのかを、少しも語ってはくれない。だから本当は、もっと別の言い方をしなければならないのだろう。長いあいだ冬の風に耐えていた木が、最後の最後で、目には見えないひびの深さに負けて、ある朝ひっそりと裂けた、とか。あるいは、水位の下がりきった井戸の底で、それでもなお一滴の湿りを信じていた縄が、ついに石の縁で擦り切れた、とか。そんなふうに言い換えなければ、あの時に起きたことの本当の寒さには届かない。父が営んでいたのは、小さな絨毯の町工場だった。小さい、というのは、売上や従業員の数だけの話ではない。そこは人の体温が規模を決めるような場所だった。シャッターを開けた朝の湿った空気、機械を動かし始めたときの、金属が目を覚ますような低い唸り、糸くずの舞う光の筋、忙しい日には床を滑るように行き交う人の足音。そういうものすべてが、工場というよりも、一軒の古い生き物の臓器のように思えた。私は父と並んでその中にいた。仕事をしていた、というより、その鼓動の中に身を置いていたと言った方が近いのかもしれない。リーマンショックの波は、テレビの中だけの出来事では終わらなかった。海の向こうで転んだ巨人が、どうしてこんな町の、こんな小さな工場の足元まで揺らすのか。理屈では分かっても、心はついていかなかった。大きなものが倒れると、その影は驚くほど遠くまで伸びる。私たちの工場も、その長い影にじわじわと温度を奪われていった。受注は細り、先の見通しは曇り、数字は人間より先に弱音を吐く。けれどそれでも、どうにか持ちこたえていた。倒れそうになったものほど、しぶとく立っていようとする。昨日より今日の方が悪くても、朝になればシャッターは上がり、父は黙って機械の前に立ち、私もまた、何も言わず自分の持ち場についた。工場というのはそういう場所だった。希望を口にしなくても、手を動かしているあいだだけは、まだ終わっていないと言える場所だった。

そして、震災が来た。あの日の揺れを、私は今でも、単なる地震として思い出すことができない。地面が揺れたというより、もっと大きな世界そのものの土台が、ある瞬間、急によそよそしくなった、という感覚に近い。いつもそこにあり、疑いもしなかったものが、一度に信用を失う。棚が倒れるとか、機械がきしむとか、そういう表面のことではなく、私たちが当たり前だと思っていた「明日もなんとか続くだろう」という感覚のほうが、先に壊れた。震災は、被害の数字だけでは測れない。あれは、人が未来に向けて伸ばしていた手を、一斉に空中で迷わせる出来事だった。工場は、その迷いの中で息絶えた。倒産、という判が押されるまでには、いくつもの沈黙があった。誰もが薄々分かっているのに、口にはしない時間。帳簿をめくる手つきだけが妙に丁寧になる夕方。父の横顔に、以前はなかった影が差し始めたことに気づきながら、私は何も言えなかった。親の背中というものは、子がいくつになっても不思議なもので、そこに弱りが見えた瞬間、自分の年齢まであやしくなる。もう四十なのに、私はまだ、父を父として見てしまう。けれど父もまた、一人の老いていく人間だった。その現実が、工場の終わりと一緒に、遅れて胸へ入ってきた。せめてもの救いだったのは、大手のインテリアメーカーが仕事場そのものは引き継ぎ、別会社として存続する形になったことだった。すべてが灰になったわけではなかった。主力の従業員たちの雇用は守られた。それは、燃え落ちた家のあとに、柱が数本だけ残っているのを見つけるようなものだった。惨憺たる光景の中に、たしかに残っているものがある。その事実だけで、少しだけ救われることがある。

私にも話はあった。物流センターの中で裁断場を個人経営で回してみないか、と。ありがたい誘いだった。世の中は、案外、最後の最後で優しい顔を見せることがある。しかし、その優しさが、そのまま受け取れるとは限らない。私はその話を、結局受けなかった。理屈だけで言えば、受けるべきだったのだろう。職を失った人間に、すぐ次の道が差し出されることなど、そうあるものではない。しかも、それは決して粗末な橋ではなかった。渡ればまだ生活はつながる。腕のある人間なら、そこから先に新しい城を建てることも出来たかもしれない。けれど私は、その橋の前で立ち止まったまま、どうしても一歩を踏み出せなかった。父の会社を何とも出来なかった私だけが、形を変えて生き残る。その図柄を、私は受け入れられなかった。やめざるをえない仲間たちの顔が、頭の奥に静かに並んでいた。誰かに責められたわけではない。誰かが「裏切りだ」と言ったわけでもない。それでも、そう感じてしまう自分を押しのけるほど、私は世渡りの上手い人間ではなかった。自分だけ助かるという選択を、正しい計算として飲み込める人もいる。そういう人を私は軽蔑しない。それもまた、生きる知恵だと思う。だが、私にはその知恵がなかった。いや、なかったというより、私の精神の骨組みは、その形に折れ曲がるようには出来ていなかったのだろう。それに、私にはインテリアの商品を作る才能があるとも思えなかった。残る理由はあった。生活のため、家族のため、将来のため、言葉にすればいくらでも積み上げられる。けれど去る理由というのは、たいていひとつで足りる。そこに自分の本当の手触りがない、と感じてしまったのである。私は結局、潔く身を引く決意をした。潔い、などと書くと少し聞こえが良すぎるかもしれない。実際には、傷ついた矜持と不器用な情のあいだで、身動きが取れなくなっただけなのだろう。それでも、人は自分に与えられた不器用さのなかでしか、ものを選べない。

私は昔から、そういうところで損をする。あさましく自分だけ助かる選択が出来ない。もっとビジネスライクに、もっと冷酷に、もっと上手に、自分の分だけを切り取って持って帰ることが出来たなら、違う人生もあったのだろう。だが、それを考えるたび、結局最後にはいつも同じ場所へ戻ってくる。たぶん私は、そういうふうには出来ていない。人の性分というものは、若いうちの失敗で少しは削れるが、芯までは変わらない。私の中の何かは、他人から見れば愚かしいほど頑固で、みっともないほど情に弱く、そしておそらく、そのせいで何度も損をするように出来ている。職を失ったあとの日々は、音の抜けた部屋に似ていた。朝は来る。昼も過ぎる。夕方になれば腹も減る。世界は何事もなく続いていくのに、自分だけがそこから切り離されたような、薄いガラスの向こう側にいる気分になる。無職とは、時間が増えることではない。時間の手触りが急に変わることだ。今までなら仕事に埋められていたはずの昼下がりが、自分の無力を映す鏡になる。私はその鏡を直視したくなくて、それでも見ないわけにはいかなくて、ぼんやりとした焦燥の中にいた。そんなとき、二十代の頃に世話になった師匠のことを思い出した。人生には、ときどき井戸のような人がいる。普段はその存在を忘れているのに、喉が焼けるほど渇いたとき、そういえばあそこにまだ水があったかもしれない、とふと思い出すような人だ。何人かに間を取り持ってもらい、私は本厚木へ向かった。『無職になってしまったので、もし使ってもらえるなら』ただその一言を言うためだった。あの時まで、私は知らなかった。師匠がSMクラブを始めていたことを。

本厚木の空気は、あの日のことを思い出すたび、なぜか少し煤けている。実際そうだったのか、あとから私の記憶が色をつけたのかは分からない。師匠は、店の立ち上げに苦労していることを話した。人も足りない、体制も整っていない、走りながら組み立てているような状態だと。そして、お前が戻ってくれるならエレガンスの受付をしているスタッフを切るから、立ち上げを手伝えよ、と言った。私は一瞬、言葉の意味より先に、その響きの奇妙さに立ち止まった。SMクラブ。知らなかった、という驚きと、だからといって断る理由にはならないという現実とが、同時に胸に入ってきた。人生の分岐というのは、たいていもっと厳かな顔をして現れるものだと思っていた。しかし実際には、意外なほど雑然と、雑談の延長のような顔でやって来る。私はその場で快諾した。ありがたい話だったし、断るほど選り好みできる立場でもなかった。それに、二十代の頃に世話になった人が、また手を差し伸べてくれる。そのこと自体が、落ち込んだ人間にはひどく沁みる。拾われる、という言い方は好きではないが、あの時の私は、たしかに地面すれすれのところにいた。三十代の頃、私はSMクラブで何度か遊んだことがあった。だからまったくの未知ではなかった。けれど客として扉を開けるのと、働く者としてそこへ入るのとでは、同じ部屋でも壁の色が違って見える。前者は夜に身を預けに行く者の目線であり、後者は夜を成立させる側の目線だ。どんな仕事でもそうだが、裏側へ回った瞬間に、見え方はがらりと変わる。夢のように見えていたものが段取りになり、妖しさの奥から現実の骨組みが覗いてくる。当時、私は免許を失効していた。だからまず大急ぎで合宿免許に行き、運転免許を取り直した。四十を越えてから教習所へ通うというのは、どこか人生を初期化されるような妙な心細さがある。若い教官の指示に従い、若い受講者に混じってハンドルを握る。右左折の確認や車庫入れの手順を一からなぞりながら、私は自分が何をやり直しているのか、時々分からなくなった。免許を取り直しているのか、それとも人生を取り直そうとしているのか。白線に沿って進む練習をしながら、これまでの自分がどれほど路肩の近くを歩いてきたかを思った。だが、どれだけ歳を重ねても、必要に迫られれば人はまた基礎から覚え直せる。そういう事実は、情けなさの中に小さな救いを含んでいる。

エレガンスで最初に覚えたのは、厚木のラブホテルの場所だった。師匠の車に乗り、厚木にあるホテルをひとつずつ教わった。昼間のホテル街には、夜の華やぎが抜けたあとの、奇妙に白い静けさがある。人に見せるための看板が、昼間だけはどこか疲れた顔をしている。けれど夜になれば、その場所はそれぞれの事情を抱えた人間たちを飲み込み、吐き出し、また黙って建っている。そういう建物は、妙に人間臭い。師匠が電話を受け、私が送迎をし、その車中で営業の仕方やSMの道具の扱い、客との距離の取り方、キャストとのやりとりを少しずつ覚えていった。夜の仕事は、昼の仕事と違って、技術のなかに必ず情緒が混じる。マニュアルだけでは回らない。相手の躊躇、期待、見栄、羞恥、そういうものまでまとめて扱わなければならない。技術を学ぶこと自体は、怖くなかった。師匠がいたからだ。何も知らない場所に立たされたとしても、横に「こっちだ」と言う人がいるだけで、人は案外進める。問題は別のところにあった。キャストの募集である。師匠は、昔から募集が得意な人ではなかった。実際、その頃エレガンスに在籍していたキャストは心もとない人数で、女王様が一人、他店舗からのヘルプが数人、という程度だった。ヘルプは常に借りられるわけではない。向こうの店が空いていて、予約もない時だけである。店はまだ、生まれたばかりの獣のように、立ち上がるための脚が足りていなかった。私はキャスト募集に関して、得意だと胸を張るほどではないが、苦手でもないつもりだった。とはいえ経験があったのはピンサロでの募集だけで、SMクラブという別の生き物に、同じ呼び水が効くのかは分からない。募集というのは、不思議な仕事だ。人を集めるのではない。人の人生の隙間に、こちらの店の形がちょうど収まる瞬間を探す仕事だ。誰もが同じ理由で応募してくるわけではない。金のため、居場所のため、興味のため、寂しさのため、怒りのため。表向きの志望動機の裏に、それぞれ別の季節が隠れている。その季節を読み違えると、採っても続かない。

それでも、やるしかなかった。その年の十二月前までに、M女さんを一名、女王様を一名、なんとか採用した。逆に、もともといた女王様のひとりは、サービスの面で致命的な問題が見えてきた。待機所を真っ暗にしている、不気味と言えば不気味な人だった。コミュニケーションも弱い。けれど、それだけならまだ、店が育てるという選択肢もあったのだと思う。決定打になったのは、送迎車の中での、あの一件だった。当時は本厚木駅からラブホテルまで、お客様の送迎を行っていた。ある若いお客様が車に乗り込み、その女王様と顔を合わせた瞬間、『あ、用事を思い出したので』と言って、ほとんど反射の速さで逃げるように車を降りた。あの時の顔を私はよく覚えている。残念そうで、焦っていて、けれど判断だけはやけに早かった。男には分かる空気がある。その一瞬で、彼は過去の接客の記憶と、この先払うことになる金額と、その夜を無駄にしたくないという切実さを、一度に天秤にかけたのだろう。そして、逃げた。あれほど露骨な拒絶は、むしろ清々しいほどだった。今ならもっと言葉に出来る。女王様という役割を、根本から勘違いしている人がいる。強気であることと、相手を不快にすることを同じだと思っている人。我儘であることやサービスの地雷であることを、女王様らしさとして理論武装してしまう人。けれど、お客様は大金を払いに来る。少しでも不快であれば、リピートにはならない。当たり前の話だ。綺麗な女性であることと、また会いたいと思われることは、まるで別の能力である。SMの場においてなおさら、支配や厳しさの奥には、客の心身を預かるという繊細さが要る。そこが抜け落ちた時、残るのはただの不機嫌な人間でしかない。私はその女王様との雇用を解消した。人を切るのは、何度やっても嫌なものだ。誰かを否定するというより、自分の中の柔らかい部分を削る作業に近い。だが、店を続けるためには必要だった。突貫工事のような調整ではあったが、年末へ向けて最低限の布陣は整った。私はひとまず胸を撫で下ろした。しかし、それは本当に「整った」というより、崩れそうな積み木をいったん持ち直しただけだったのだと思う。

その後も、新人は増えた。表面上は順調に見えた。だが罠は別の場所にあった。女王様比率が高かったこと、それ自体が問題だったのではない。問題は、その多くが指名を積み上げていく力を持っていなかったことにある。店側がどれほどネット販促に力を入れようと、写真の腕を磨こうと、修正技術を高めようと、最後の最後にお客様をリピーターに変えるのは、現場の接客でしかない。どんなに上手く客を入り口まで連れてきても、出口で満足を渡せなければ、その客は二度と戻らない。桶に水を注ぎ続けても、底が抜けていれば満ちないのと同じだ。当時の私は、そのことを完全には理解していなかった。バズれない、伸びきらない、その理由を、外側の打ち手の不足に求めがちだった。だがいま振り返れば分かる。足りなかったのは、玄人好みの接客技術であり、真心のようなものだった。SMという言葉がどれほど倒錯の衣装をまとっていても、商売の根の部分では、結局、人が人を丁寧に扱えるかどうかに尽きる。そこに成熟がなければ、売上の波はキャスト人数に左右されるだけで、倍々ゲームのような伸び方はしない。私はまだ、それを骨の深さでは理解していなかった。それでも、仕事を覚えたての頃の試行錯誤には、不思議な熱がある。何もかもが初めてで、失敗さえ経験値として光る時期だ。私も、キャストも、たぶんあの頃は、その熱の中にいた。結果がついてくるうちはなおさらである。幸運なことに、エレガンスに入ってから丸七年ほど、停滞期は何度もありながらも、売上が大きく下向くことはなかった。私も店も、曲がりなりにも成長していたのだろう。伸び盛りという言葉は、本来もっと若い季節に与えられるものかもしれない。けれど人は四十を越えても、まだ何かの芽を伸ばすことが出来る。もう遅いと思い込んだあとで、思いがけず新しい枝が出ることがある。

その時期のことを思い返すたび、私は師匠に感謝せずにいられない。二十代の頃もそうだったが、私の人生の分岐で、師匠は二度、手を差し伸べてくれた。恩、という言葉は、ときどき古臭く、湿っぽく聞こえるかもしれない。だが、人が本当に沈みかけた時に掴んだ手の温度には、流行りも時代性もない。感謝というものは、礼儀の言葉ではなく、記憶の骨だと思う。そこが折れると、人は自分が何によって生かされてきたのかを見失う。だから私は、ありがとうございます、と言う。その一言は、誰かに向けているようでいて、実は自分が人間であるために必要な確認でもあるのだ。それでも、エレガンス初期には、まだ語らなければならないことがあった。店の立ち位置をどうするのか、という問題である。SMクラブにもいろいろある。M女専門、女王様専科、総合店。店の規模、色、ソフトかハードか、その土地での立ち位置。それぞれが戦略を持ち、あるいはキャスト主導で自然に形を帯びていく。では、うちはどうだったか。答えは笑ってしまうほど単純で、何もなかった。本当に、何もなかった。白紙、というより、まだ紙すら机の上に置かれていないような状態だった。師匠はSM好きだった。池袋の某店に通うほどに好きで、SMクラブの経営に憧れがあった。だからこそ、SMクラブにはM女も女王様も在籍していて当たり前、という感覚だったのだと思う。戦略ではなく、憧れが先にあった。理念ではなく、熱が先にあった。笑ってしまうほど無防備だが、店を始める理由など、案外その程度のものからしか生まれないのかもしれない。

最初の頃、勘違いした指名ゼロの女王様に、この店のビジョンは何ですかと聞かれたことがある。私は笑って誤魔化した。あれは相手を馬鹿にした笑いではない。私の胸の中では、当面のやるべきことリストの中に、あなたの雇用を解消することが入っているのだが、それをどう説明しろというのだ、という苦笑いだった。師匠から、この店をこう導きたいという壮大な夢を聞いたことは一度もない。私にも、そんな夢想めいた青写真はなかった。あったのはただ、お客様が喜ぶ店にしたい、女の子の在籍を増やしたい、続けたい、それだけである。だが、私はいまでも、それを恥ずかしいとは思わない。むしろ、ビジョンを語るには早すぎる時期というものが、たしかにある。キャストが仕事を覚えるには場数が必要で、スタッフにもまた場数が必要だ。その積み重ねの先にしか、自分たちの立ち位置は見えてこない。もしあの当時、ビジョンだの理念だのを声高に語っていたら、それこそ夢物語を並べているだけの痛い人間になっていただろう。ここはホストクラブではなくSMクラブなのだ。甘いスローガンより、今日の接客の方が重要だった。口先より先に、靴底をすり減らさなければならない場所がある。だから、あの頃の私たちは、がむしゃらだった。発展途上で、未熟で、手探りで、盲目だった。だが、少なくともサボってはいなかった。仕事量だけはこなしていた。休みらしい休みも取らず、年間で五十日ほどしか休んでいない。いま思えば、身体を薪にして店という火を燃やしていたようなものだ。だが、不思議なことに、人は燃えているあいだ、自分が燃料になっていることに案外気づかない。暖かい、忙しい、前に進んでいる、という感覚の中で、削れていくものを見ないまま走れる。

そんなある日、師匠が、デリヘルをやろうと言い出した。その話は、まったくの寝耳に水ではなかった。私と師匠のあいだで、それらしきことを話したことはあった。けれど雑談と決断のあいだには深い川がある。向こう岸にちらついていた構想が、ある日ふいに「やる」という形でこちらへ渡ってくる。その瞬間、空気の密度が変わる。人生とは、ひとつの綱を渡り終える前に、次の綱がもう張られているものなのだろう。やっと足場を見つけたと思えば、また別の高所へ連れていかれる。けれど、人間は案外、その繰り返しの中でしか育たない。父の工場が潰れたあの日、私の中で一台の織機が止まった。音もなく、ではない。胸の奥でずっと鳴り続けていた何かが、急に静かになった。あの音の止まり方を、私はまだ忘れていない。だが今にして思えば、止まったのはすべてではなかった。切れた糸もあれば、別の布へ繋がっていく糸もあったのだろう。工場で覚えた重さ、父の背中、仲間の去り方、差し伸べられた手を取れなかった罪悪感。そういうもの全部が、その後の私の仕事の仕方を、目に見えない場所で決めていた気がする。人は、失ったものの形によって、その後の歩き方を変える。私の場合、失ったのは単なる職ではなかった。父と並んで立っていた一時代そのものだった。だから新しい仕事へ入っていくたび、私はいつも、少しだけ弔いの続きをしていたのかもしれない。夜の店の送迎車を走らせながらも、キャストを面接しながらも、接客の失敗と可能性を見つめながらも、どこかで私は、倒れた工場の瓦礫の中から、自分の欠片を拾い集めていたのだと思う。あさましく自分だけ助かる選択が出来ない。その性分は、これからもきっと私を損させるだろう。もっと上手くやれる人はいる。もっと冷たく切り分け、もっと合理的に、もっと傷を負わずに前へ進める人がいる。けれど私は私の性分の外側では生きられない。情が深いのではなく、ただ処世が下手なだけかもしれない。高潔なのではなく、諦めの悪い感傷家でしかないのかもしれない。それでも、そういう自分である以上、その自分が引き受けられる道を選ぶしかない。

人生はときどき、損をした人間にだけ見える色を持つ。勝ち抜いた人間には見えない夕暮れがあり、取りこぼした人間にしか分からない静けさがある。私はたぶん、その静けさの側の人間なのだろう。父の工場が止まった日の空気、師匠の差し出した仕事の手触り、送迎車から逃げた若い客の焦った横顔、暗い待機所に沈む女王様の気配、売上が伸びているのに何かが足りないと感じる夜更け。そうしたものはすべて、派手な成功譚の外側にある。けれど、物語というものは、たいてい外側でこそゆっくり熟す。私はいまでも、自分の人生が上手く出来ていたとは思わない。むしろ綻びだらけだ。けれど綻びのない布など、たぶん人の手では織れない。どこかで糸は引きつり、どこかで模様は乱れる。その乱れのなかにしか出ない陰影がある。父の工場で見てきた絨毯もそうだった。完璧な柄より、わずかな歪みを持つものの方が、妙に記憶に残ることがあった。そこに人の手の迷いがあり、躊躇があり、祈りのようなものが残るからだろう。だから私は、自分の人生の歪みを、いまはもう少しだけ許してやれる気がしている。あの時、橋を渡れなかったこと。自分だけ助かる道を選べなかったこと。師匠のもとへ戻り、思いもよらない世界の黒い扉を開けることになったこと。どれも美談ではない。だが、どれもたしかに私だった。その私が、倒れた織機のあとから、それでも何かを織ろうとしていた。その事実だけは、誰にも奪えない。

黒い扉の向こうに何があるか、あの頃の私にはまだ分からなかった。ただ、潰れた工場の瓦礫の前に立つ者にとって、未知とは恐怖である前に、唯一残された方角でもある。戻る場所が消えた人間には、進むしかない。たとえその先が暗くても、扉の色が黒くても、開ける手だけは止めてはいけない。そうしなければ、自分の中で止まったままの織機は、本当に永遠に止まってしまうからだ。だから私は進んだ。父の工場の音を胸のどこかにしまったまま。感謝と罪悪感と不器用さを、まるで古い道具のように抱えたまま。夜の町へ、見たことのない仕事へ、まだ名づけきれない自分の次の季節へ。倒れた織機のあとで。止まったと思っていた糸のつづきを、暗い場所で手探りしながら。まだ自分が何を織れるのか、何ひとつ分からぬままに。

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