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創戯旅団 生存の記録-SM奇譚 第15夜-白い迷宮の夏

その夏、私は白い迷宮のなかにいた。

迷宮といっても、石でできた地下の回廊でもなければ、神話の怪物が棲む暗い穴蔵でもない。むしろ逆で、そこは過剰なほど清潔で、蛍光灯の光が隅々まで均一に行き渡り、壁は白く、床は磨かれ、廊下には消毒液の匂いが薄く澱んでいた。窓もあった。エレベーターもあった。案内板も、ナースステーションも、売店も、自販機もあった。だが人は、自分の身体の自由を失った瞬間から、どれほど近代的で親切な施設の内部にいても、それを迷宮と呼ぶほかなくなる。出口があることと、そこへ辿り着けることとは、まったく別の話だからである。

私はその年、伊勢原の病院で脚を切断した。その事実をこうして一文で書いてしまうと、まるで郵便物の宛名を記すように簡単だ。脚を切断した。たったそれだけである。しかし実際には、人の身体から脚がひとつ失われるというのは、単に肉体の一部が減るという話ではない。生活の文法が破壊されるのだ。立つという動詞の重さが変わり、歩くという自明が砕け、便所へ行くという最低限の移動が、一つの遠征、一つの戦闘、一つの交渉になる。自分の身体が自分のものではなくなる。そのとき人は、所有物を失うのではなく、自分という国土の地図を書き換えられる。それでも、切断された脚はそれきりで、戻ってこない。戻ってこないものについて人間ができることは少ない。泣くか、黙るか、笑うか、比喩に変えるか、そのくらいである。私はその夏、たぶんその四つをすべてやった。泣いたし、黙ったし、笑ったし、どうしようもない現実を、どうにか文章の器へ移しかえるために、あれこれと喩えを探した。喩えというのは臆病者の逃げ道であると同時に、瀕死の者の松葉杖でもある。名づけることができない苦しみはただの闇だが、たとえ歪んだ名であっても一度与えられると、その闇はほんのわずかに輪郭を持つ。人は輪郭のある闇となら、かろうじて同居できる。

ちょうどそのころ、テレビでは宮藤官九郎脚本の『新宿野戦病院』をやっていた。私は毎週、それをほとんど礼拝のような気持ちで待っていた。病院に入院している人間が、病院を舞台にしたドラマを楽しみにするなど、因果がねじれすぎていて少々気味が悪い。だが不幸のただなかにいる者は、ときに自分の不幸と同種の舞台装置を持つ喜劇に、ひどく救われる。火傷した人間が、火の話をするなとは限らない。むしろ火についてしか笑えない時期がある。こちらは本当に病院のベッドに縫いつけられており、片脚を失い、おむつを当てられ、管を通され、夜中に痛みで目を覚まし、朝には検温と採血と回診を受ける、まるで病院という制度に対する模範解答のような患者だった。そんな人間の目の前に、毎週、病院を舞台にした狂騒曲が供されるのである。しかも女王様めいたネタまで差し込まれてくる。笑うなというほうが酷だった。

私はもともと宮藤官九郎が好きだった。『あまちゃん』のひょうひょうとした明るさに救われたこともあれば、『木更津キャッツアイ』の、あの地元千葉に対する雑で愛のあるいたずらに、腹を立てるどころか妙な親しみを覚えたこともある。彼の笑いは、幸福な場所で見るとただ面白いだけだが、不幸のただなかで見ると、少し薬効を帯びる。不幸に効く笑いとは、高尚な笑いではない。人格を磨く笑いでもない。もっと雑で、もっと俗で、もっと下世話で、少しだけ品のない笑いである。人間がほんとうに弱っているときに欲しがるのは、立派な希望ではなく、ちょっとどうかしている冗談のほうだったりする。キャスティングも、ひどく反則じみていた。画面を見ているだけで、役者たちがそれぞれ自分の持ち場の角度から、この世界の歪みを押し広げていく。仲野太賀の顔には、真剣であればあるほど笑ってしまう陰影があるし、小池栄子は立っているだけで芝居の温度を一度上げてしまう。塚地武雅にはテレビ的祝祭の残り香がついていて、それが病院という場の生臭さと混ざると、妙に切実な滑稽が生まれる。濱田岳の巡査は、まるで役柄のほうが先に彼の体格と目の色を待っていたみたいに、ぴたりと収まっていた。名優たちは、なにをやらせても名優である。そういうあたりまえの事実が、病室の白い空気のなかではいっそう際立って見えた。橋本環奈の顔芸まで欲しかった、と思ったのも嘘ではない。こちらはベッドの上で片脚を失っているくせに、ドラマの配役にまで注文をつけていた。人間という生き物の図々しさに、我ながら呆れる。

だが、そのような笑いの時間が、一種の避難所だったことも確かである。病院における患者の時間は、海辺に取り残された舟のように長い。日常の社会では、時間は前へ進んでいるように見えるが、病室の時間はしばしば横に伸びる。同じ白い天井、同じ点滴スタンド、同じ消灯時間、同じ朝食のトレー。時間は時計ではなく、繰り返しによって形を持つ。繰り返しは時に安心を与えるが、時に人を静かに蝕む。そういうとき、毎週決まった時間に現れる笑いは、遠い海から届く潮騒のようなもので、病室の空気にひととき別の気圧をもたらした。

とはいえ、ドラマの面白さを語っているだけでは、あの夏の本体から遠ざかるばかりだ。あの頃の私を本当に苛んでいたものは、病院という白い制度のなかで、人間の尊厳がいかに簡単に薄くなるかという、そのことだった。何が辛かったかといえば、手術前の一週間と手術後の二週間、おむつを当てられていたことに尽きる。人はよく、食べること、生きること、眠ることを尊いと言う。しかし実際には、排泄の自律こそが、もっともひそやかで、もっとも固い尊厳の城壁なのではないかと私は思う。食事を運んでもらうことはできる。服を着替えさせてもらうこともできる。風呂に入れてもらうことも、髪を洗ってもらうことも、まだ耐えられる。だが、自分の出すものを自分の好きな時に自分の意志で処理できないとなると、人は急に「人間」であることの輪郭を失う。身体が自分から離れて、病院の管理項目に変わっていくのだ。便も尿も、人格の外へ置かれる。おむつの中にしろ。漏らしたら呼べ。処理するから。もちろん、それは看護の現実であり、必要な措置である。必要であることは理解していた。だが理解と屈辱とは同じ器には入らない。頭が納得していても、身体は別のところで密かに泣いている。小のほうは、カテーテルで管理されていた。尿道に差し込まれた細い管は、文明の合理性を細長く伸ばしたようなものだった。人の体内を川とするなら、その川筋に人工の樋を通し、勝手に流れを監視しているのである。発想としては賢い。だが賢い仕組みは、ひとたび詰まると、愚かな拷問へ豹変する。私の膀胱は、それを繰り返し教えられた。詰まった膀胱は、ただ膨らむのではない。身体の奥で、黙ったまま怒り続ける月になる。銀色の圧力が、腹の底でゆっくり満ちていき、やがて世界のすべてがその苦しみに吸い寄せられる。人は痛みの中にいるとき、倫理も哲学もドラマの感想も何もかも忘れる。ただ「助けてくれ」という原始的な一語だけが、頭蓋の内側で湿った鐘みたいに鳴り続ける。

ある夜、その鐘を静かに止めてくれた看護師がいた。彼女は若くも老いてもいない、ごく普通の夜勤の看護師だった。だが、苦しんでいる人間に対して必要な説明を、必要な順番で、必要な声量で、過不足なく届けることのできる人は、たとえその容貌がどれほど平凡でも、こちらには天使に見える。彼女は言った。カテーテルはたまに詰まることがあること、正常に流れ始めれば一時間にどれくらい出るか、人間は一時間にどれくらい排尿するか、つまり数時間後には楽になる見込みがあること、自分が定期的に見に来るから安心して休んでよいこと。これほどささやかな説明が、あれほど大きな救いになるとは思わなかった。説明とは、苦しみに対する小さな地図である。地図があるだけで、人は荒野の只中でもいくらか落ち着ける。実際、そのとおりになった。流れは戻り、圧は引き、私は眠った。彼女の背には後光が差していた、と私は本気で思った。後光とは信仰の産物ではなく、的確な仕事への被害者の感謝が作り出す光の輪である。

ところが、その二日後、ほとんど同じ苦しみが再来し、今度は別の夜勤の看護師が来た。彼女は決して悪人ではなかった。だが、現実に対する応答が一拍ずつ遅れている人間、あるいは苦痛を目の前にしてもなお、自分の内部にある定型文から出られない人間というのはいる。彼女はカテーテルを少し見て、「問題ないです」と言った。その瞬間、私は、自分の膀胱に満ちている痛みが、この世界から一度抹消されたように感じた。現にここにある苦しみが、確認項目のどこにも記載されていないというだけで、存在しないものとして扱われる。その恐ろしさ。制度というものは、ときに人を守る鎧であり、ときに人を見失う網でもある。私は前回の経緯を説明した。何が起こり、どう対処され、結果どう楽になったか。だが彼女は再び同じ確認を繰り返し、カテーテルは正常だ、自分には交換の権限がない、とだけ言い残して去っていった。権限。病院では、時として痛みより権限のほうが強い。私はあの夜、自分の身体の非常ベルが、事務的な言葉によって静かに消音されるのを聞いた気がした。

どうにもならず、私は漏らした。自らの意志で、というより、意志の堤防が決壊した結果として。人間は極限に追い込まれると、選ぶのではなく溢れる。あのときの屈辱は、後から振り返っても薄まらない。漏らすという行為は、ただ汚れることではない。自分の身体に対する統治権を失うことである。翌朝、私は昼勤の看護師に抗議した。彼らはすぐに状況を理解し、膀胱の膨らみも、カテーテルの詰まりも把握し、最終的には外す選択をした。世界にはまだまともな人がいる。その事実だけで、私はすこし生き返った。医療の現場は、巨大な船のようなもので、甲板のどこに立っているかによって見える景色が違う。私はたまたま、深夜にひどく風通しの悪い区画へ迷い込んだだけなのだと、自分に言い聞かせた。おむつと管の屈辱に比べれば、後になって出来るようになったことは、どれも革命のようだった。手術後三週間ほど経つと、看護師の見守り付きでトイレへ行けるようになった。たかがトイレ。だが、あの時の私にとってそれは、王国の奪還に等しい出来事だった。便器に座るという行為が、自由の象徴になる日が来るとは夢にも思わなかった。そこから一週間ほどで、ひとりでトイレに行けるようになった。車椅子も、最初は巨大な異物だったものが、だんだん身体の一部になっていった。最初のうちは、金属とゴムでできた不機嫌な昆虫みたいに感じられた。私の不器用さや無力さを、いちいち可視化する道具。しかし慣れるにつれ、それは第二の脚になった。人間の身体とは案外あやふやなもので、昨日まで自分でなかったものを、今日から自分として使い始めることができる。

シャワーに入れたのは一か月ほどしてからだった。あの最初の湯は、単なる湯ではなかった。死の気配を洗い流すための小さな復活祭だった。皮膚というものが、こんなにも世界とつながっていたのかと、その時ようやく思い知った。温かい水が肩から胸へ、胸から腹へ流れていく。その途中で、私は自分がまだ人間であることを確かめ直した。傷口が安定し、リハビリ病院への転院の話が出るまでに、結局まる二か月かかった。安定といっても、ようやく瘡蓋が世界への戸締まりを始めた程度のことだ。それでも前半一か月が地獄なら、後半一か月は天国だった。地獄を知った者にとって、天国とは豪奢な場所ではない。好きな時にトイレへ行けること、車椅子をひとりで動かせること、シャワーを浴びられること、そのくらいで充分だった。ちょうど七月の後半から私は楽になり、夏の甲子園予選、パリオリンピック、甲子園本戦を病室で堪能した。窓の外へ出られぬ者にとって、テレビはときに世界そのものになる。グラウンドを走る高校生の汗、競技場の歓声、青空に映える白球、そのすべてが私のいる白い部屋へ、遠い惑星から届く光みたいに流れ込んできた。大人になってからの、奇妙な「僕の夏休み」だった。自由のない夏休み。だが、それゆえに濃密で、二度とない夏だった。外へ出られない人間は、外の風景を神話として受け取る。私はベッドの上で、ひと夏ぶんの神話を観ていた。

そうして神話を観ながら、私は仕事もしていた。厚木エレガンスの営業は、しれっと続いていた。しれっと、というのがいちばん正しい。こちらは片脚を失い、おむつと管に辱められ、夜中に痛みでうめき、昼は検査に追われている。だが商売というものは、そういう事情に恐ろしく無関心だ。店主が死にかけていようと、時代の風向きは待ってくれない。第二期の冒頭に糖尿病で倒れた経験があったから、これは二度目の地獄だった。人は二度目の地獄において、初回よりわずかに手際よく絶望する。問題は、私はなぜか営業の転換期に限って倒れることだった。まるで神様が、こいつには平場を歩かせてなるものか、と意地悪く笑っているみたいだった。七月からオフィシャルホームページを閉鎖し、情報サイトの無料ページを活用する戦略へ舵を切った。そのため、私は深夜の病室で、スマホやタブレットの冷たい光に顔を照らされながら、各サイトの管理画面へログインし、文言を書き換え、プロフィールの順番を調整し、どの無料枠に何を置けば最も客の目が止まるかを延々考えていた。病院の夜とは不思議なもので、昼間は検温や回診やリハビリに切り刻まれている時間が、夜になると急にひとかたまりの牢獄になる。消灯後、隣のベッドの寝息と遠くのナースコールの音だけが漂うなかで、私は令和のSMクラブ営業について考えていた。滑稽で、みじめで、しかし切実だった。生きるということは、だいたいの場合、恰好が悪い。恰好が悪いからこそ、本気なのである。八月には新しい戦略を思いついては却下する毎日だった。アイデアは病室の天井に浮かぶ染みみたいに、見ているうちに何かの形に見えてくるが、朝になるとたいてい消えている。それでも考えることをやめなかった。むしろ、失ったものが大きいほど、人は残されたものを過剰に磨こうとする。脚を失った私は、その代わりに、仕事の仕組みをもう一度組み立て直そうとしていたのかもしれない。人間は、奪われた分だけ別の場所へ執着する。私は病室で、その執着を営業戦略と呼んでいた。

やがて七沢への転院が決まった。ようやく伊勢原ミッション終了かと思った最終日にも、病院という巨大な生き物は最後まで自分らしかった。転院二時間前になって、新しい寝巻きとバスタオルが届いたので、嫌な予感がしてナースコールを押した。案の定、解約届けの書類を書き忘れていたらしい。その程度のことではもう怒らない。一か月も病院にいると、不手際は気候の一種として受け止めるようになる。台風に腹を立てないのと同じで、病院の混乱には、もはや風情さえ感じる。これで忘れ物はないかと確認すると、大丈夫だという。だが移動一時間前になって、今度は入院手続きのサインをしていないので受付へ来てほしいと言われた。私は一瞬、自分が聞き間違えたのだと思った。退院ではなく、入院。救急車で運ばれた緊急入院の患者に、転院一時間前になって入院手続きを求める病院。人生はときどき、脚本家の想像力を置き去りにする。結局、病室でサインを書くことになったのだが、そのあと「こちらが入院のパンフレットになります」と差し出されたときには、私も看護師も思わず笑った。残り三十分で退院する人間に入院案内。現実はしばしば、冗談より冗談じみている。しかもその日は昼食の手配まで忘れられていた。部署ごとの連絡が、砂浜に書いた文字みたいに、途中で波にさらわれているのだろう。だが私は、このおっとりした田舎の病院を嫌いにはなれなかった。料理は美味しかったし、建物は今風で、JA経営なのに米だけ妙に冴えなかったのも、今となっては人の欠点みたいで愛おしい。完璧な病院は怖い。不完全な病院のほうが、まだ人間の顔をしている。

それから一年七か月が経った。私はまだリハビリ施設にいる。杖なしで少し歩けるようにはなったが、それは平坦な廊下という、世界から段差と傾斜を抜き取った人工の地平に限った話だ。外へ出れば、道には起伏があり、勾配があり、砂利があり、風があり、こちらの油断を試すような微細な悪意が満ちている。片脚の身体になって初めて知るのは、世界がいかに両脚の人間を基準に設計されていたかということである。歩道のちいさな傾き、店の入口のほんの数センチの段差、雨上がりの路面、駅のスロープの長さ。そうしたものが急に、世界の性格として立ち上がってくる。普通の社会人ではいられない。その現実は、もう受け入れるほかない。だが、私はそれを純粋な悲劇としてだけは引き受けたくなかった。生き残ったのだ。失ったのは脚であって、時間ではない。ならば残りの時間を、何か別の形で使うしかない。今の私は、ときに悟りをひらいた老師みたいな気分でいる。前線で暴れるより、これからSMクラブで活躍する若い連中を支え、見守り、時代に合った営業の形を一緒に考える側に回るのも悪くないと。もちろん、本当に悟っているわけではない。未練もあるし、焦りもある。数字も気になる。だが片脚を失った人間には、否応なく人生を遠景として見る時間が与えられる。近くで見ていた時にはただの泥だったものが、少し離れると地層に見える。私は今、そういう地層の見方を覚えつつある。

しかも時代そのものが転換期にある。AI以前とAI以後では、SMクラブの経営もまた別の文法に変わるだろうと私は思っている。感覚と根性だけで店を回せた時代は終わりつつある。可視化し、分析し、最適化し、今までになかったほど緻密に営業を設計しなければ、静かに淘汰される。病室で私は、そのことばかり考えている。白い壁に囲まれたベッドの上で、令和の風俗営業の地図を描く。なんとも奇妙な光景だ。だが、時代の答えというものは、案外こういう奇妙な場所から生まれるのかもしれない。少なくとも私は、私程度の馬鹿に考えつくものなどたかが知れていると自嘲しながら、それでも新しい人々との出会いを信じて試行錯誤を続けている。生き延びた者には、生き延びた者なりの仕事がある。振り返れば、あの夏は、笑いと屈辱と痛みと希望とが、ひとつの大鍋のなかでぐらぐら煮立っていた季節だった。宮藤官九郎のドラマに笑い、おむつに絶望し、神みたいな看護師に救われ、噛み合わない対応に怒り、トイレへ行けたことに涙ぐみ、甲子園を観て季節を知り、深夜に営業ページを書き換え、最後は入院パンフレットを断って笑った。渦中では、ただの災難の寄せ集めでしかなかった。だが少し離れて見れば、あれは奇妙な一篇の私小説であり、一つの寓話だったのだと思える。人の人生というものは、直線ではなく、いつだって脱線と寄り道と停車と勘違いでできている。だからこそ、後から振り返ると、妙な柄の織物みたいに見えてくる。

私は片脚を失った。だが、それと引き換えに見えてきたものもある。病院という白い迷宮のなかで、私は人間の滑稽さを見た。制度の粗さを見た。身体の情けなさを見た。そして、それでもなお前へ進もうとする意地の、みじめで美しい形を見た。笑いとは、たぶん、その全部をまとめて抱きしめるための技術なのだろう。泣いたところで変わらない現実に、せめてこちらから変な名前をつけてやる。野戦病院でも、地獄でも、夏休みでも、迷宮でも、何でもいい。名づけた瞬間、苦しみはほんの少しだけ、こちらの側へ寄ってくる。完全には手なずけられなくとも、ただ一方的に蹂躙されるだけではなくなる。いまも私は白い廊下を歩いている。ときに杖をつき、ときに壁に手を添えながら。その歩みは遅い。坂道にはまだ敵わない。だが遅いからこそ見えるものもある。午後の光が床に置いていく長い四角形、リハビリ室の窓から見える低い雲、食堂のざわめき、若い療法士の額の汗、夜更けのスマホに映る自分の疲れた顔。それらはすべて小さい。だが、小さいものの総和こそが、生きるということの正体なのかもしれない。人生は、大きな決断より、小さな持続によって出来上がる。

片脚の夏は、まだ終わっていない。たぶんこれからも形を変え、季節をまたぎ、別の名前を与えられながら続いていくのだろう。それでも私は、ときどき思う。あの夏、笑えてよかった、と。もし笑えなかったら、私はもっと深いところで壊れていた。だからこれからもきっと、私は痛みのただなかで比喩を探し、理不尽の隙間に小さなオチを見つけ、どうしようもない現実に、なんとか語りのかたちを与えようとするだろう。それが私に残された、もう一本の脚なのだと思う。肉ではなく、言葉でできた脚。遅く、脆く、ときに滑稽で、それでもまだ、前へ進もうとする脚である。


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