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白い部屋

白い部屋 (12000字くらい)

「自分で決めたんだもんなー」

 IHの上に置いたヤカンの口から湯気が上り始めた。 向こうで赤ちゃんが、顔のついた電車のおもちゃで静かに遊んでいる。夫は眉間に2本の皺を入れスマホの画面と睨めっこをしている。レースのカーテン越しに差し込む光の中に、さっき食べた朝食のトーストの匂いが漂っている。
 「ピンポーン」インターホンのベルが鳴った。今日は妹夫婦が遊びにくる日だ。壁に付いたディスプレイには二人が写っていた。

「はーい。今開けるね」

 おもちゃを握りしめたままの赤ちゃんを抱き抱え、玄関の扉を開けた。冷たい外の空気がヒュゥッと吹き込み赤ちゃんが顔をしかめている。風邪を引いたら大変だ。挨拶はいいから早く入ってほしい。

 その日は、唇の割れたところがカピカピになるほどの強い風が吹いていた。サングラスをかけてきて正解だった。目の前の景色が黄色く霞んで見える。お義姉さんのマンションへ向かう足取りは重い。正月早々に気乗りしない僕の心は、この天気で更にへし折られそうになっていた。たどり着いた最上階角部屋。

「いらっしゃ〜い。風強かったでしょ。あ、あけましておめでとう」

 お義姉さんが赤ちゃんを抱き抱えて出迎えてくれた。

「あけましておめでとうございます。今日はお邪魔します」

 とりあえず新年のご挨拶をしてから妻の後に続き、開けられた玄関の中に足を踏み入れた。何も置いてない綺麗な玄関なのに・・・。ミルクの匂いと、どこか慣れない他人の家の匂いがした。

「遠かったでしょ。あけましておめでとう」

 リビングでは、スマホを触っていたお義兄さんがにこやかに顔をあげて挨拶をしてきた。

「電車で2時間位でした。結構ありましたね」

 とりあえずお義兄さんに答えたが、その次の言葉が出てこない。

「コーヒーか紅茶あるけどどっちがいい?」

 お義姉さんに聞かれたが、その選択は妻に任せた。
 僕は次に続く気の利いた言葉がみつからず、あたりを見回していた。壁の色、天井、安物じゃない家具、床、全て白。ほぼ白に統一されていた。綺麗だけど・・・違和感と呼ぶほどでもない・・・なんだろう。どこからともなく僕に向けられている視線?息苦しさだろうか。呼吸は出来ている。

 「んっ・・・?このか・・」

 そう言いかけて、最後まで出切ってしまいそうになった言葉を飲み込んだ。早く帰りたい。

 何かが・・・変だ。
 何がおかしい?と、聞かれると答えられないが。

 何かが・・・知っているような・・・

 お義兄さんが話しかけてくる。演技をしているような台詞。入ってこない。頭がクラクラしてくる。

 それは突然閃いた。「あっ・・・」言葉が漏れた。

 胸が、少し苦しい。
 帰りたい。
 入ってこない会話。
 窓から差し込む白い光。
 明るいけど暗いような。
 辺りに漂う微かな重み。
 もう帰りたい


ーーーーーーーーーーー
 「お正月くらい二人で遊びに来ればいいのにって、お姉ちゃんが言ってるけど。今年、どうする?」

妻はそう言いながら、返事を待たずにスマホを手に取った。
 結婚して数年経った年末の夜、夕食を終えてソシャゲをしていた僕に、妻はそう言った。義姉夫婦とは、結婚前に一度挨拶をしたきりだ。妻は時々、義姉と会っていたらしいが、僕が会う機会はなかった。一年ほど前、義姉夫婦に初めての子どもが生まれた。お披露目をしたいのだろうと思い、僕は渋々うなずいた。

 帰りの電車の窓から見える景色は右から左。見えた時には目の前から無くなって、どんどん新しいモノに入れ替わり現れては消えていく。電車は嫌いなのだが、電車から見える外の景色は好きだ。ずっと見ていられる。薄暗い外と、目が乾くような蛍光灯の光がさっきまでの室内の明るさとの違いを際立たせていた。

「今日お義姉さんところ行って気づいちゃったんだけど、僕が育った家の中と同じ空気だったんだよね。無意識で声に出そうになった」

 さっき飲み込んだ言葉が、電車の振動に合わせて押し出された。

「えっ?なんで、お姉ちゃんはあんなもんだよ」

 吊り革には手をかけず、立ったままスマホを見ていた妻が答える。

「身内だとそうかもだけど、空気だからさ。何がと言われると説明できないんだけど。なんか、こう、お義姉さんお義兄さんのあの感じ・・・言葉が出なくなっちゃったよね。以前会った時はわからなかったんだけど」

僕はそう言って、鼻に乗ったメガネをずらした。電車の中の匂いはどうも好きになれない。

「普通にしてたじゃん。馴染んで喋ってたよ。赤ちゃんにも好かれて楽しそうにしてたし」

「いや、あれはさ。大人だし、オート、自動応答だよ。赤ちゃんはまだ染まってない感じで可愛いけど、
これから先が大丈夫かなって心配になっちゃったんだよね」

「また、そーやって決めつけてる」

「そっか決めつけか・・・。決めつけは良くないか。元気に伸び伸び育ってくれればいいなっていう老婆心というか、余計なお世話だね」

 口ではそう言ったが、確信にも近い背筋に抜けるあの感覚。いつかわかることだ。電車を降りると、乾いた空気が鼻の中にツンと入り込んできた。

 自分のことではないし、他人のことだと。僕はお義姉さんの家に行く事を控える事に決めた。


ーーーーーーーーーーー
 私はその後も年1〜2回、かわいい甥っ子に会いに、姉の所に遊びに行っていた。その間姉の家には女の子が二人増えた。男の子も可愛いけれど、姪っ子が二人増えると、また違う可愛さがあった。家族共有の写真アプリには可愛い三人の写真が頻繁に投稿される。夫にもこれは!という写真や動画を見せて、

「また、少し大きくなったね。なんかしっかりしてそうだねぇ。」

 二人で画面を覗き込みながら盛り上がった。
 私は通知が来ていないか、いつの間にか自分から確認するようになっていた。仕事の疲れさえ忘れられる、微笑ましい成長の記録。
そう思っていた。

「はあ〜〜疲れた。往復の電車もだけど・・・。でも三人とも可愛かったなぁ〜」

「おかえりー。少し気になったんだけど、お義姉さんの所に行ってくるとやたら疲れたあ〜って言ってるよね」

 何気なく口から出てきた一言に、夫が返してきた。言われてみればそうかもしれない。
行く前は、姉や子供達の顔を思い浮かべお土産を買って準備したり、子供達の写真を見て色々想像したり、楽しみにして行ったはずなのに帰ってくると異様に疲れているかもしれない。
 初めのうちは、「台風の低気圧のせいでしょ」「往復移動4時間くらいかかるからね」「子供達元気に動き回るから、そのパワーについていけないんだよ。歳のせいでしょ」などと気楽に考えていた。何より可愛いのだから。

「毎回疲れて帰って来るけど、話を聞いていると、どうもそれだけじゃないよね。お義姉さん、すぐ機嫌が悪くなることがあるみたいだし。子どもたちへの接し方も、なんというか・・・。」

 そんな事はないと思っていたが、言われてみれば。

「そうなんだよね。お姉ちゃんはもともと発言が厳しめなんだけどね。最近、行くとモヤモヤする事が増えてきて。甥っ子達と遊んでいる時は楽しいんだけど、お義兄さんの子供達への対応?が、ん?ってなったり」

 夫に指摘されて初めてこの疲れについて考えた。

「え。お義兄さんの対応?たとえばどんなの?」

「子供っていろんな事に興味持つじゃん。それをさせないというか、ずっと危ないよー危ないよーって。今日行った公園で撮った動画、帰りの電車で見てたらその声入ってて」

「ちょっと見せてよその動画」

「ほら」

 二人で覗き込んだスマホの画面には、甥っ子が公園を走っているところが映っている。テッテッテッ!っと砂の上をブランコの方へ走っている・・・強い風の音がゴッ!ゴッ!と入っている。そこに被せるようにお義兄さんの声が入っている。

 俺が守ってあげないと。大事な長男なんだから。
「アブナイヨ。ホラ、ダメだよ。アブナイヨ。アブナイヨ。ホラホラ。アブナイヨアブナイヨ」

 さっき見た時より、その声は何かの呪文のように私の耳にはっきりと入ってきた。

「何回言った?このアブナイヨはお義兄さんか?これは、まあ、こういう親、よくショッピングモールなんかで見かけるね」

「私も撮ってる時は気にしてなかったけど、動画見返してザワってきた」

 言葉に出しているうちに、私の中の違和感が輪郭を帯びてきた。

「他にもなんかあったんでしょ」

「まあ、お姉ちゃんは昔からそういうところあったんだけど、すぐ機嫌悪くなるというか、なんて言ったらいいんだろう。昔よりも発言がなんか私を見下してるような感じがしちゃって」

 そういう所は、変わらない・・・むしろ酷くなってる?

「お義姉さんもお義兄さんも優等生な感じだから」

 私と違って、姉は昔から勉強もスポーツもなんでもできて、父と母に褒められていた。

「良く考えると、私が行ってもいつも通りの日常に、私が巻き込まれているだけな感じがしちゃって。忙しいからしょうがないとは思うんだけど。そういう態度があの家の中で日常になっているような感じがしてね。私が帰るっていうと泣きそうになってて。大丈夫かなって心配になったよ。帰った後泣いちゃってしばらく泣き止まないって、お姉ちゃんからメールが来たし」

「だから前に言ったじゃん。お義姉さんの事だからあまり言わなかったけれど、僕の育った家と同じ感じがするって」

 そういえばこの人と姉の家に行った帰り、そんな事言ってたっけ。

「それ、引っかかってたんだよね。あ〜あ。色々見えてきちゃって、甥っ子に会いたいのに、あの家には行きたくなくなってきたなぁ。」

 指摘され、言葉にして、私は、ずっと見ないようにしていた事に気がついてしまった。


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 ついさっきまで騒がしかったのに、急に静かになってしまった。母さんと二人、いつものことなのに。やけにリビングが、広く静かに感じるな。孫達は無事に家に着いただろうか。娘も婿の亮一君も疲れているみたいだったしな。仕事大変なんだろう。
 長女がお盆休みで家族で泊まりに来てくれていた。孫を三人も抱けるとは思っていなかった。それが今では三人だ。いいところを見せようと頑張りすぎたか、腰を少し痛めたかもしれん。
 次女はまめに連絡くれるけど、あまり帰ってこないし。長女はメールは冷たい。二人とも嫁に行ってからは母さんと二人きりだからなあ。とりあえず次女の方に気になった事もあるし報告がてら電話してみるか。
 次女はかけるとすぐに出てくれる。

「いやぁ〜孫三人可愛いなぁ。男の子に女の子二人も。まさか三人も孫抱けるとは思わなかった。」

 母さんは隣でお茶を飲みながらテレビをみている。

「張り切りすぎて少し腰痛めてしまった〜。で、気になった事あってよ。孫達可哀想だと思ってしまって。亮一君ずーっと子供達に、アブナイよ〜、ダメだよ〜って言っててな。あれじゃあのびのび遊べないなぁ。全部先回りしてダメダメ〜って。育児方針があるんだろうから黙って見てたけども。長男なんか帰る時、じいじと離れたくないって泣いてしまって、泣きながら車に乗って帰って行ったよ。胸いっぱいになってしまった〜。母さんも余計な事は言っちゃダメだっていうからなあ。でもあれは可哀想だった」

 電話口の娘も、「同じようなの見たよ」と。共有アプリに動画上がってたよと言ってたな。スマホを開いてアプリを開いてみる。いつもは可愛いなあくらいしか考えてなかったからなぁ。あ。この動画か。昔は娘達もこんな感じで走り回ってたなあ。

「アブナイヨ。ホラダメだよ。アブナイヨ。アブナイヨ。ホラホラ。アブナイヨアブナイヨ」


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 そんな僕達の気持ちを察してはいないだろうが、新型コロナというパッと出の感染症は、日本全体に、人との関わり方に大きな変化をもたらした。
 それまで定期的だった、妻のお義姉さん宅への訪問はなくなり、代わりに家族間の写真共有アプリでの交流に切り替わったのだ。僕は無関係というかそういうのは面倒なのでやらなかったが、妻はどっぷりだった。お義姉さんの一族とお義兄さんの一族の、グループに甥っ子達の写真や動画が事あるごとにアップされるようだった。
 定期的に見る事になった甥っ子達の成長は早く、写真や動画を見る度に大きくなって行った。長男の表情だけを置き去りにして。


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「最近なかなか行けないけど、大きくなったかなー」

 僕が仕事から帰ると、ランニングウェアに着替えながら、何気なく言った妻の一言。

「写真はアプリでしょっちゅう見てるじゃん。まあ、写真とか動画だけじゃわからないか。そんなに気になるなら行ってくれば?」

「お姉ちゃんからは遊びこないのかって何回か連絡来てたし、行ってあげようかなぁ」

 準備運動をしながら独り言のように話している。

「二年くらい行ってないか。思い立ったが何ちゃらだから今週末でも行ってきたら」

「そうだね。行くって連絡しとこう。帰ってきたらメールしてみる。じゃあランニング行って来るねー」

 間があいた事もあり、妻は結構乗り気だ。手にポカリを握りしめ週末ランニングに軽やかに出掛けて行った。無事に行けるといいなと思いながら、僕も着替えてランニングに行く事にした。

 いよいよその日が近づき、前日の夜

「なんかお土産買った?久しぶりに行くんだから少しお菓子とか買って行ったほうがいいよ。これで買って行って」

 僕も一緒には行かないけど、甥っ子姪っ子は可愛いと思っている。これくらいは出そうと少し奮発してお金を渡した。

「おお、ありがとう。駅で買っていくよ」

 なんて話をしながら妻は、「明日行くからねー」とお義姉さんにしたようだ。夕飯を食べながら、録画したドラマを二人で批評しながら見ていると、しばらくして返信が来た「下の子が体調が悪いけど待ってるね」と。

「姪っ子が体調悪いんだって。連絡が来たけどどうしよう?」

と聞いてくる妻の顔には、「行くのやめる」とすでに書いてある。箸を咥えてブーたれている。

「まだ新型コロナ流行ってる訳だし、体調悪い人のところに行くのはやめてほしいな。ていうか、家の中に体調悪いのがいるけど来いよ。って言う神経が気が知れない。お義姉さんだから悪く言いたくないけどそれは常識なさすぎだよ。さっき渡したお金は返してね〜」

「そうだよね。こう言うところが、昔からあるんだよこの人。今回は残念だけど断るよ。楽しみにしてたのに。行ったらモヤモヤするしなぁ〜。これも返さなきゃだめ〜?」

お義姉さんには「コロナ流行ってるし今回は行くのをやめるよ」とメールを入れたそうだ。
そこに返ってきた返信は目を疑うものだった。

「ふーん。そんなこと気にしてたらどこもいけなくなっちゃうよ」

見せられたスマホの画面の中で、当然ですとばかりにその一文は白く光っていた。



ーーーーーーーーーー
 妻のスマホはやたらと通知が届く。ほとんどが甥っ子と姪っ子達の写真や動画の投稿通知だ。

「最近頻繁に届くね。そもそも、その家族共有アルバムアプリいつからやってるんだっけ?」

 テーブルに置かれた妻のスマホが、あまりにもピコンピコンと通知が続けて来るものだから聞いた事があった。

「一人目が生まれてからだね。お姉ちゃん子供欲しかったけどなかなかできなくて、大変だったみたいで。ようやくできた念願の一人目だったからね。お義兄さんもよっぽど嬉しかったんじゃないかな」

 通知された写真を流し見しながら、甥っ子達の成長を僕も覗き込んだ。念願の子ねぇ・・・昔そんな話あったな。今でもたまに夢に出て来る中学の時の担任、説教がやたらネチっこい気持ち悪いやつの顔が浮かんだ。

「今日のホームルームは先生の個人的な話をする」

 下校前の教室に響いた担任の一言は、「部活あんだから早く終われよ」圧が充満する。

「そんな嫌な顔しないで早めに終わらせっから、まあ、きいてくれ・・・子供ができました!」

 唐突な告白。

「えっ?」

 みんながあたりを見回す。誰かの声。

「まあ、聞け。なんでって思うかもしれないけど、うちは中々子供ができなくて、不妊治療を、何年もやってたんだよ・・・」

 言葉が詰まった。泣いてんのか?それって今言わなくても良くね。

「うちの嫁さんずっと治療しててやっと・・・」

「ズッ」

「ずっ」

 誰だ泣いてんの。横を向くと見える範囲で3人くらい泣いている。「カーン!レフトー」窓の外から野球部の掛け声が聞こえてくる。

「女の子でさあ。ここまで本当大変だったけど念願の子供が出来たんだよ」

 担任は目の周りを真っ赤にしてドヤっていた。「ざけんな、きもちわりー」気がつくと、グーを握りしめていた僕の拳の中はじっとりと汗ばみ、腕には鳥肌がたっていた。


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 一人目の甥っ子が生まれたところから始まった、写真と動画の家族共有。リアルタイムで人生を切り抜かれ、自身の言葉ではない言葉でラベリングされ、身内全員のスマートフォンに配信される。
 誕生。喜びと歓迎のどこにでもあるよくある写真。生まれてきてくれてありがとう。からその共有は始まっていた。何者にも染まっていない無垢な眠り、何かを見つめ笑う動画、何かを伝えたくて泣いている動画、誰かの指を握りしめる小さな手。二人目と三人目の誕生。それぞれの成長。どこかで撮った五人の家族写真。スマホの画面に次々と増殖するデジタルな写真や動画。妻はたまに甥と姪達に会いに行っていたので、その動画なんかもアップロードのされていた。それらを見て、「可愛い」とお義父さんと電話で盛り上がっている妻を見ていると、便利な世の中になった物だと微笑ましくも思っていた。
 成長の記録は、愛かエゴかわからないまま、少しずつ変化を見せ始める。

「おっ。また甥っ子達の写真上がったんじゃね?ちょっと見せてよ。大きくなった?」

 ある時僕は最近子供達の写真見てないなと思い立ち、通知に合わせて妻に聞いてみた。

「うーん。この家族写真この前撮ったらしいんだけど・・・」

 テーブルに置いたスマホの画面をビールを飲みながら覗き込んでみた。

「あ、あぁ。これね・・・」

 どこかのスタジオでプロが撮ったのだろう。真っ白な部屋の中に真っ白な花が飾られている。窓の外には緑が見えてキラキラと輝いている。そこに映るお義兄さん、お義姉さん、三人の子供達。どこの家でも撮りそうな家族の記念写真と、子供の可愛さをわざとらしく切り取ったそれぞれの写真。一瞬グッと胸の中を掴まれた。飲み込むタイミングを失ったビールが口の中で止まってからゴクッ!と変な音を立てて喉を通過していく。

「これは写真の撮り方が下手なんだな。前に写真撮るのハマってやってたじゃん。難しいんだよ・・・カメラとレンズの性能で綺麗に写るけど、切り取る一瞬がダメなんだな。多分」

 取り繕うように饒舌に舌が回った。なんでこんな事言ってんだろう。

「そうだよね。写真って撮る人によっても全然違うもんね。子供達だけの写真は表情もよく撮れてると思うけど」

「あー。そうだねぇ。確かに可愛く撮れてる。でも、姪っ子二人の方がイキイキしてない?楽しそう」

 コロナ禍になり帰省も出来ない分写真の投稿数は激増した。そしてスマホの画面の中の子供達は、ただ、ただ、成長していった。

 上の甥っ子が中学受験する。そんな話は、お義父さんからのメールで知る事となった。娘と孫達の帰省を誰よりも楽しみにしているお義父さんは、「中学受験で勉強大変になるからあまり帰省できなくなるよ」とお義姉さんに通告されてしまったようだ。妻に嘆きの電話が行ったそうだ。それはそうだろう。甥っ子長男の方は帰省するともっとじいじと遊びたい。帰りたくないと、毎回泣いてしまう。一度話で聞いていたが、その後も毎回の事らしい。僕の中では中学受験よりも、むしろ12歳くらいになっても毎回泣いてしまう事の方が、スゴイと思った。

「中学受験は、お義姉さんの所ならやりそうだと思ってたけど、やっぱりだね。大変だ。それより気になったのは、いまだに帰省して帰る時毎回泣いちゃうってヤバいんじゃない」

「え?洗い物してると聞こえないからこっちで話してくれない」

 夕食後、食器を洗う妻に話しかけたら聞こえなかったらしい。折り畳み椅子を開き食器を洗う妻の横に腰掛けた。

「そうそう中学受験。ただでさえストレス多そうなのにね。可哀想に思っちゃうよ。毎回泣いちゃうのもよっぽど、じいじがいいんだろうね」

「中学受験なんて、田舎育ちの僕には全く想像つかないなぁ。勉強苦痛でしょうがなかったし」

「都会は大変だ。まあ、お姉ちゃんも頭良かったし。いい大学出て、いい企業に就職してそれが正しい。みたいなところあるし。お義兄さんもどちらかと言うとそんな感じだし。前に遊びに行った時に、お姉ちゃん言ってたもん。お義兄さん優しそうでいいね。尻に敷いてんでしょ。って言ったら、全然・・・って。それ以上何も言わなかったけど」

 そんな会話をしてしばらく経ったある日。仕事から帰宅した妻は、僕に興奮気味に話しかけてきた。

「ねぇねぇ!ちょっとこれみて!」

 ちょうど夕食の卵焼きを作っていた僕はそんなすぐには手を離せない。

「今はダメだよ!佳境なんだから!失敗できないからね!ちょっとあとで」

「スゴイやつ見ちゃったのに」

 夕食の準備が出来上がったところで見せてもらおうとしたら、今度はお腹が空いたからと、食後に見せてもらう事になった。

「でね。これなんだけど」

 それは、共有アルバムにアップされた、机に向かい勉強をしている甥っ子長男の動画だった。真っ白い部屋の中に置かれた勉強机に向かい、参考書やら教科書やらを広げ問題を解いているのだろうか。必死感が伝わってくる。そこに、義兄さんの声がわざとらしく入っていた。

 選びやすいようにアドバイスはしたし。俺の息子なんだからな。
「中学受験。自分で受験するって決めたんだもんな〜♪」

 その声に無言で頷く甥っ子の後ろ姿。その横で画面に見切れながら姪っ子二人がニコニコピースしている。全身の毛が逆立った。それ以上痛々しくて最後まで見れない。自分で決めたことにさせられている。無言の圧でそう言わせた。その選択肢しか無いように誘導したとしか思えないような言い方。

「流石にこれは私もヤバいって感じちゃった」

「これは異常。この動画をあげちゃう事も怖いな・・・。あと、動画はいいよ」

 さっきまで見ていたテレビの画面には何かのバラエティ番組と爆笑している声が流れている。お腹の中の卵焼きが戻ってきそうになり僕はコップの水を流し込んだ。


ーーーーーーーーーー
「志望校合格したって」

 そう言って見せられたスマホの画面には、甥っ子長男とお義兄さん、お義姉さんが写っていた。入学式の写真だろうか。

「おお〜狂ったように勉強した甲斐があったのかね。すごいじゃん」

 その写真は左側にスーツを着たお義兄さんの顔が、もう・・・。眉間の皺と、僕からすればもはや逝っちゃっているようにしか見えない表情。ほんの僅か離れるように制服を着た甥っ子。全く嬉しそうじゃ無い。ひきつった笑顔。その右側、甥っ子に寄り添うように着物を着て立つお義姉さん。かなりやつれた顔で笑顔を作っている。満面の笑みの姪っ子が走り抜けていくところが、端の方に見切れて写っていた。
これはもう、心霊写真より怖い。

「お姉ちゃんが言ってたんだけど、志望校は自分で選んだらしいよ。学校の周りに自然が多いんだって。お義兄さんとお姉ちゃん的には別な学校に行ってほしかった。って言ってた。3つくらい候補があったんだって」

 少ない選択肢からなんとか自分の意思表示をしたのだろうか。投稿された写真にはそんな事は一言も書かれていない。「〇〇中学校合格しました!よく頑張ったね」と。おそらく有名な中学校なんだろう。

「その自分で選んだってところは良いね。よく頑張ったよ。偉いよ」

 僕の中では、「自分で選んだ」そこがとても大事な事だし、少しだけ自分の事のように嬉しく思った。と、同時に沸き起こった疑問を、わかるはずもない妻にぶつけてみた。

「まあ、合格はよしとして、甥っ子長男も中学生じゃん。彼もモノじゃ無いんだし、身内だけといえ、いつまでその共有アプリに晒され続けるんだろうね。本人に確認してるのかな?僕だったら嫌だな。そもそも年齢関係なくそんなことされてるのを知ったら嫌だけどな」

「ええ?そんなの確認なんかしてないんじゃ無い?・・・・・そう考えると怖いね。身内だけど、晒しモンだもんね。でもそんな事お姉ちゃんに聞けない」

「まあ、でもSNSにはそういう写真もいっぱい上がってるから僕の考えが保守的なのかもしれないし。でもやっぱり自分だったら嫌だ。断固拒否だな」

「予想外の部活動に入ったーってお姉ちゃんからメールが来てたよ」

夕食の準備をしている時この話題になりやすいのか。この日は酢豚を作っている最中だった。時間との勝負なんだ。が今日は作りながら話を聞く事にした。

「全く予想外の部活動に入ったんだって!なんだと思う?」

「えー。わかんないな。サッカー・・・。いや。スイミング行ってたから水泳部とか、意外性で空手、剣道、柔道とか武道かな」

「全然違う〜。卓球だって。お義兄さんもお姉ちゃんもビックリしたって!ささやかな反抗かな」

「意外性を狙ったのかな。反抗大事だからね!良いじゃん!」

 などと話をしていると、写真が投稿された通知が鳴る。

「あ、もう上がった。・・・ほらこれ」

 出来上がった酢豚を皿に移しながら、向けられた画面を見ると、白い部屋の中。リビングだろうか。新品のユニフォームを着せられ、新品のラケットを持たされ、新品のシューズを履かされ、サマにならないポーズを取らされ、微妙な笑顔で写っていた。その隣に姪っ子二人が満面の笑みでピースでこっちを覗き込んでいる。「部活動も頑張ります!」とキャプションが添えられていた。

「中学生だよな。下の子との差が・・・」

 思わず声に出てしまった。

「あ、もう一枚上がってきた・・・。ん?・・・なんでパパ?ちょっとこれも見て」

 目の前に出された画面にはデッサンが写っていた。真っ白い画用紙の右寄りにカッターナイフを握った手の絵。確かにうまいのだろう。描きたかったのは手ではなくカッターナイフのように見えてならなかった。添えられたキャプションは・・・

 俺も昔、美術で褒められた事あるし。さすが俺の息子。
「美術の時間デッサン褒められた。上手!パパに似て絵心があるな」


「父ちゃん大丈夫か?」

 もう一度声に出てしまった。

 部屋中に酢豚の匂いが充満していた。換気扇をつけ忘れていたらしい。



ーーーーーーーーーー
 家族会議だ!人ん家の事だけど。

「危うく無いか?大丈夫かな」

 酢豚を食べながら出た僕の第一声だった。

「不穏だよねぇ。カッターナイフ。」

「彼とメールとか出来たら良いのか?僕が友達と行ってる釣りにでも誘ってみるとか。一緒に山登り行かない?って誘ってみるとか」

 酢豚の素を使わずに作ったけど、上手にできたみたいだ。

「でも、多分忙しいって断られちゃうし、あんまり変な事も突っ込んで話できないしね」

「そうだよな〜。一番は現状に本人が不満があったり、辛かったり、苦しんでたり、何か気がついてないと、僕達はただのおせっかいな面倒臭い叔父さんと叔母さんになっちゃうだけだし、お義兄さん、お義姉さんとも揉める事になるのも違うよなぁ。彼が助けを求めているなら、できる事はしてあげたいけど」

「あ、そうだ!お父さんは一応メール交換してるみたいだ。」

 酢豚のパイナップルを箸で持ちながら妻が思い出したように言った。

「お義父さん!彼と仲がいいのか!」

「でも連絡先聞いても、こっちからなんて送る?本人がどう思ってるかわからないよ」

「お父さんから、甥っ子に何かあれば僕たちに連絡してみなって、上手く伝えてもらうとか」

「そうだね。一番は本人の意思が大事だし、本人が幸せなら現状をわざわざ壊すような事、無理にやらなくてもいいしね。彼がおかしいって思って、変えたい、変わりたいって意思があるならそれをサポートできればいいか。僕も自分で気がついたから今こうしていられるんだしな」

 そう言って箸で持ったパイナップルを口に運んだ。
 本当にそうなんだろうか。このパイナップルみたいだ。



ーーーーーーーーーーー
 目の前は真っ暗だ。何も見えない。ここはどこだろう。

「・・・・・」

 微かに何か聞こえる・・・

「・・・・・。・・・イヨ。アブナイヨ」

 確かに、少しだけ聞こえた。誰に言っているのか。

「おぉっ」

 ヌルッと滑って足を取られそうになり、思わず声が出た。バランスを取ろうと動かした手が何かの上についた。

「カチャ」

 何かある。咄嗟にそれを掴んでしまった。端の方が滑った?濡れているのか?
 微かに風が流れているようだ、足元のヌメリは酷くなっている。暗闇の中手がかりを探して慎重に探る。
 何かが上からぶら下がっている。掴み損なって動いてしまったようだ。戻ってきたものが手にペシっとぶつかる。慎重にそれを掴み・・・バランス崩してしまった。掴んだ紐のような物は

「ガチャ」

 音を立てて弾け飛んだ。同時にリング状の輪っかが一瞬点滅して白く光る。

 眩い光に目を瞑ってしまった。恐る恐る左目から・・・
 鏡がある・・・?見慣れた場所のような、いまいちよく見えない。
 少しづつ明るさに慣れてくる右目も・・・
 目の前の鏡には真っ赤に汚れた部屋の中に甥っ子が映っている。僕・・・なのか?
 辺りを見回す。ここは?僕の育った家の居間だ。鏡の向こう・・・は・・・あの甥っ子の白い部屋だ。

 鏡を挟んでそれぞれの部屋は真っ赤に汚れている。そこに僕と甥っ子が鏡越しに向かい合っている。手にはカッターナイフを持って。

 「ジブンデキメタンダモンナ〜」

 突然!後ろから男の声が聞こえた。
 テーブルの上に置かれたスマホが光って震えた。ブブッ!


 パジャマが汗でヒタヒタになっていた。

 白く光ったディスプレイはすぐに消え、あたりは暗闇に包まれた。



note創作大賞エントリー作品もお暇があれば読んでみてくださいm(__)m

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